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1983年のプログレ的風景:ピンク・フロイドの健在ぶりと、もはや貫禄のジェネシスファミリー、そして帰ってきたイエスの大ヒット...

81年、82年は、ジェネシスファミリーの怒涛のアルバムリリースの合間に、エイジアのヒットがあったりしたわけです。ただ、復活したキング・クリムゾンは表舞台から消えてしまったような感じとなり、旧プログレ勢として気を吐いていたのは、ほとんどジェネシス関係者ばかりではなかったかと思うのです。そんななかで、83年になると、また大御所、ピンク・フロイドの新譜がやってきたわけです。

The Final Cut / Pink Floyd

 このアルバムは全英1位、全米6位という大ヒットとなります。もうピンク・フロイドは、出せば必ず売れるというすごいバンドなわけで、彼らがアルバムをリリースするたびに、「どこにこんなにプログレ・ファンがいるのよ」という感じになるのですが、やはり彼らはプログレ好きだけではなく、普通の人の中に沢山ファンを持っているということなのでしょうね。ただ、このアルバムから唯一シングルカットされた Not Now John は、ビルボードトップ100にすら入らないという状態だったため、この頃ピンク・フロイドが売れたという一般的な印象がそんなに無かったかもしれません。でも、本当にアルバムだけでビルボード年間アルバムチャート20位というヒットになるというのが、やはりピンク・フロイドのただならぬ存在感なわけです。ところが、このアルバムは実質ロジャー・ウォーターズのソロアルバムであると言われるそうで、歴史的には、この辺りからロジャー・ウォーターズとデイブ・ギルモアがごたごたするわけですね。そしてロジャー・ウォーターズの脱退、87年のデイブ・ギルモア中心のピンク・フロイド復活となるわけですが、この時点ではまだあまりメンバー間の確執は報道されていなかったような気がします。

そして、またまたスティーブ・ハケットです。

Highly Strung / Steve Hackette

 このアルバムは、全英16位と、それまで通りイギリスではそれなりにヒットするわけですが、やはりアメリカで全く売れないわけなんです。前作同様スティーブ・ハケットが全曲でヴォーカルをつとめているんですが、もしかすると、前作同様、ギャラが厳しかったのかもしれません…(^^;)。前作 Cured のポップ路線は好意的に評価され、セールスもちょっとはついてきたはずなのですが、このアルバムを聴くと、やっぱりどうしてもポップに全振りできないスティーブ・ハケットがいるんですよね。迷いなのか、それともやはり何かのこだわりなのか、よく分からないのですが、そういう感じなんです。そして彼は、このアルバムを最後にジェネシスの時代からずっと在籍していた英カリスマレコードから契約を切られるのですね。こうしてスティーブ・ハケットは、この年10月に、いわゆるマイナーレーベルからBay Of Kingsというアコースティックギターソロのアルバムをリリースすることになるわけです。このアルバムは決して嫌いじゃなかったんですが、やはりマイナーレーベルの悲しさか、ほとんど話題にならなかったような気がします。こうしてスティーブ・ハケットは、このあと1986年のGTRまではほとんど表舞台から消えてしまう感じになるわけです。

Crises / Mike Oldfield

 ここにきて、あの天才マイク・オールドフィールドがついにポップ化したのですね。アルバムを聴くと、1曲目はまさに今までのマイク・オールドフィールドに近い感じでスタートするのですが途中から、あれれという感じで、ちょっとポップなヴォーカルが入ったりするのです。そして2曲目の Moon Light Shadow が、いきなりヴォーカルつきのポップな曲でして、ちょっとびっくりするわけです。前作まではほとんど時代の雰囲気を感じない独自の音だったと思うのですが、ここに来て突然時代の雰囲気を取り入れた感じになったわけですね。結果 Moon Light Shadow は全英4位という大ヒットとなり、アルバムも全英6位を記録するのです。

 やはり天才はその気になれば、何でもできるんですかね。ただ、例によって彼はアメリカではそれほどのセールスは記録できていないのですが。

Alpha / ASIA

 さて、前年に大ヒットを飛ばしたエイジアですが、その余韻が冷めないうちにやってきた2ndアルバムという感じでした。そのためか、珍しく(笑)メンバーチェンジもなく、2ndアルバムが制作されたのですね。ところが、大ヒットは続かなかったわけです。それでも全英5位、全米6位と、相当のヒットではあるのですが、前作があまりにもビッグなヒットとなったために、これでは満足できなかったのでしょうね。結果エイジアはこの後あっというまに流動化してしまうのです。ちなみに、当時わたしの周囲に少しいた濃いプログレマニアの人は、一様にこの2ndアルバムをけなしておりました。「1stは良かったのに2ndでダメになった」という意見が大半だったのですよね。もはやフィル・コリンズに慣らされてしまったわたしにはそれほどダメに聞こえなかったのですが、なかなか難しいもんですね(^^;)

 ちなみに、この年の12月に、ASIA IN ASIAと称して、衛星回線で日本でのライブが世界に同時中継されるというイベントがありました。わたしも武道館に見に行った覚えがあるのですが、このときなんと直前にジョン・ウェットンがクビになり(アル中だったと言われている)、急遽元EL&Pのグレッグ・レイクがジョインしたライブだったのですね。わたしとしては、グレッグ・レイクを生で見るのは初めてで、それなりに嬉しかったのですが、さすがに急遽のピンチヒッターで、ジョン・ウェットンの穴を埋めるというのは厳しかったようで、かなり微妙なライブだったのでした。ここでわたしもエイジアの終わりを予感してしまったわけでした。

The Fugitive / Tony Banks

 さて次なるは、ジェネシスの屋台骨、トニー・バンクスの2ndソロアルバムです。実は、この年の4月に、The Wicked Ladyという映画のサウンドトラックアルバムをリリースしていて、フィル・コリンズだけでなく、彼もけっこう仕事していたわけなのですが、この映画があまりヒットせず、アルバムもほとんど話題になりませんでした(わたしは買いましたが^^) 今度のアルバムは、本人名義のソロアルバムなので、こちらはかなり期待したわけなのですが、このアルバムにはずっこけました。前年、同じくジェネシスのマイク・ラザフォードが2ndソロアルバムで全曲ボーカルをとって、大コケしたのを見ているはずなのに、なんとトニー・バンクスまでもがここでリードボーカルをやってしまうんです。そーんなにフィル・コリンズの衝撃が大きかったのでしょうか(笑) この件について彼はこう語ってます。まあこういうところがいかにも英国人トニー・バンクスなんですが…

It was pretty nervewracking stuff but occasionally my voice sounds all right. It’s as good as Bob Geldof’s. It’s better than Bob Geldof’s actually.
かなり神経を使う作業だったけど、ときどき、僕の声がイケてる瞬間もあっただろ。ボブ・ゲルドフと同じくらいイイ声なんだ。いや、実際はボブ・ゲルドフより上だよね。

Although I'm not the greatest singer in the world, the songs stand up and I think a lot of the fanbase liked it because it was me singing, which was unusual.
僕は世界一歌がうまいわけじゃないけど、歌はちゃんと歌えたし、僕が歌ってることで、多くのファンに気に入ってもらったと思うよ。これは滅多にないことだからね。

Genesis Chapter & Verse(日本語訳は筆者)

 ところが、そんなことよりも、アルバム内容がこれまでのジェネシスファンがトニー・バンクスに期待する音とはかなり違う仕上がりになっていたわけなんです。まあトニー・バンクスも割と引き出しの多い人で、例えば直近のジェネシスのABACABに入っていたWho Dunnit! のような変な曲も主にトニー・バンクスのアイデアから作られた曲だったりするわけなのですが、このアルバムでは、最新のシンセサイザーを駆使した、超クセの強いエレクトロポップのよう音がメインだったんです。長年のファンのわたしとしても、彼に期待するジェネシスのリリカルな部分とは全く違う曲ばっかり(それでも聴けば、こんな曲作るのはトニー・バンクス以外ありえないし、妙に耳につくメロディも多いし…となるのですが)、に、トドメは彼のひどいボーカルで、すっかり萎えてしまったというわけなのです。一部の曲のドラムにスティーブ・ガッドが参加してるとか、ベースはフィル・コリンズの2ndソロにも参加した名ベーシスト、モー・フォスターだったりとか、彼的にはきっと頑張った作品だったんだと思うんですけどねぇ。

 そして、案の定セールスは大惨敗(全英アルバムチャート最高50位、全米はランクインせず。シングルカット曲は英米ともにランクインせず)となるわけなんです。世間的に、トニー・バンクスという人は、彼がいなければジェネシスが成り立たないような、まさに屋台骨であるはずなのに、ソロになるとどうにも売れない変なものを作る人というイメージは、この作品で定着してしまったのだと思うのです。

Plays Live / Peter Gabriel

 そしてこんどは、ピーター・ガブリエルの2枚組のライブ盤のリリースです。このジャケットを見て、あれ?と思った人は多かったと思います。「まだ化粧してるの?」って。まあもはやどうでも良いのですが、それにしても80年代にまだこれやってるんだ…というのはちょっと衝撃だったのです(^^;)。ところが、音の方はすんごかったのですね。彼のライブ盤を聴いたのはこれが初めてなのですが、やっぱり驚愕するわけです。もともとプログレ系の人は、演奏技術が高く、たいていはライブバンドとしても定評のある人達なのですが、初めて聴いたライブのピーター・ガブリエルが、こんなにもライブバンドとして完成しているというのは、ちょっと驚きでもありました。何よりもスタジオ盤に入っていた曲が、全く別の印象を受けるほど、ライブで良いのですよ。「ピーター・ガブリエルバンドは、プログレ界のローリング・ストーンズである!」なんて言ってるのはわたしだけかもしれませんが、本当に彼らは希有なライブバンドだと思います。この傾向は、この後の彼のライブ盤を聴いても、全てで確認できると思います。(そもそも、後期キング・クリムゾンで活躍したベーシスト、トニー・レビンは、もとはピーター・ガブリエルバンドとして、彼の1stアルバムからのパーマネントメンバーであり、ロバート・フリップがトニー・レビンと初めて会ったのは、ピーター・ガブリエル1stのレコーディングスタジオだったのですからね)

Genesis / Genesis

 この年のフィル・コリンズは、シングルヒットもほとんどなく、比較的ジェネシスの活動に専念していた時期のようです。このアルバムで、はじめて彼らは、予め各自が書き溜めた曲を持ち寄ってアルバムを完成させるというスタイルを捨てて、3人がスタジオに何も持たずに集合し、そこで即興でジャムりながら曲を完成させるというやり方で、アルバムすべての曲を完成させたのです。つまりこのアルバムで、初期の頃にメンバー全員で楽曲を共有していたときのように、再び曲ごとのクレジットがすべて無くなったというわけです。全曲が3人の共作のアルバムタイトルに、バンド名をクレジットするというのは、やはり彼らの自信の現れではないかと思うのです。こうして制作されたこのアルバムは、前作よりジェネシスらしさがまた戻ってきているような気がします。特筆すべきはHome By The Sea 〜 Second Home By The Sea という11分を超える長い曲が復活していたり(ABACABにはそんな曲はなかった)、Mamaのような不可思議な曲とか。ポップな曲も入れながら、やはりジェネシスでなければ絶対にこんな曲ありえないという作品を提示してきたわけなのです。そしてアルバムは全英1位、全米9位と大ヒット。シングルカットされたThat's All(全英16位・全米6位) 、Mama(全英4位・全米73位)がヒットするわけです。この2曲のチャートアクションを見ると、片方はイギリスで売れ、片方はアメリカで売れてるわけですね。狙ったわけではないと思いますが、彼らはアメリカでもイギリスでもそれぞれ売れる曲が作れて、それを混ぜてアルバムを作ることができてるということで、これこそがジェネシスの強みだったのではないかと思うのです。


90125(邦題:ロンリー・ハート) / Yes

 さて、ジェネシスがもはや安定した人気を示すようにすらなってきたところで、この年の締めくくりにやってきたのは、しばらく音沙汰のなかったイエスなんですね。

 このアルバムは、何と全米5位、全英16位という大ヒット(順位だけ見るとエイジアのアルファよりちょっと低いですね)。さらにシングルカットされた、Owner Of A Lonly Heart(邦題:ロンリーハート) は、イエスの歴史上唯一の全米No.1ソングとなるほどの大ヒットとなるわけですね(実際にビルボードで1位となったのは84年になってからですが)。これには正直驚きました。テレビで Owner Of A Lonly Heart のMVがOAされまくっていたのですが、それを見ても、わたしには正直これがイエスなのだという実感があんまり沸かなかったのです…。

 もちろん、歌はジョン・アンダーソンだし、ベースも、クリス・スクワイア以外あんなベース弾かないでしょう。でもこのときスティーブ・ハウはエイジアに行ってしまっていたために、ギターはトレヴァー・ラビンなんですよね。これがイエスらしく感じないひとつの要因だと思うのですが、何より驚いたのは、キーボードがトニー・ケイだったことですね。リック・ウェイクマン以前の、大ブレイク前のキーボーディストがこの期に及んで復活するとか、いったいどうしちゃったの?という感じだったのです。大ヒットしたのはまあめでたいわけですが、結局これはイエスというよりは、例のバグルスコンビのトレヴァー・ラビン、トレヴァー・ホーン(このアルバムのプロデューサー)の仕事のようにしか見えず、わたしのプログレ魂は、このヒットでは、当時あんまり震えなかったのでした。

 そして最後に、この年の「プログレ」シーンの総括としては、このバンドのデビューは紹介しておくべきでしょうね。

Script For A Jester's Tear(邦題:独り芝居の道化師) / Marillion

アルバムは、全英7位、全米175位を記録。アメリカでは売れませんでしたが、イギリスではかなりのヒットとなったわけです。

 マリリオンとか、そのボーカリストであるフィッシュなんて、もはやプログレにかなり興味のある人でなければあまり聞いたことがないと思うのです。でもこの人たちが中心となって、この後80年代の後半〜90年代初めくらいにかけて、イギリスでちょっとしたネオプログレブームみたいなムーブメントが起こるのです。これをポンプロック・ムーブメントと言うそうですが、これは、この年のマリリオンのデビューから始まったわけなんです。(pomp とは華やかという意味)

 かくいうわたしも、この年には全くマリリオンの存在など知りませんでした。この頃はまだ現役のジェネシスや、そのメンバーのソロをひたすら追いかけることができた幸せな時代だったわけで、その裏で、まさかそんなムーブメントが起きていたなんて事は全く知らなかったのです。まだインターネットなんてなかった時代ですからね。正確な記憶が無いのですが、わたしがポンプロックについて知ったのは、90年代、それも94〜95年頃、つまりインターネットを使うようになって以降なのではないかと思います。もうプログレっぽいものがほとんど無くなってきて、なんか寂しくなってきたときに、恐らくネット経由でその存在を知ったのだと思います。

 わたしがこれにハマったわけは簡単です。マリリオンだけでなく、ポンプロックといわれたバンドはどれも、ジェネシスから多大な影響を受けていたのです。まさにジェネシス・チルドレンとも言えるバンドばっかりだったわけです。もちろんピンク・フロイドの影響もかなりありましたが、比率的にはジェネシスの影響の方が大きかったのではないかと思います。つまり、ヨーロッパを中心とした、ポンプロックムーブメントとは、ジェネシスがABACABで大きく舵を切ったために振り落とされたプログレファンの次なる着地点ではなかったかと思うのです。

 わたしは、変化したジェネシスにもついて行った口でしたが、それでも過去のジェネシスも大好きだったわけで、これらのポンプロックのミュージシャンのおかげで、かなり長い間プログレの悦楽を感じさせていただくことができたというわけなのです。

 こうして、イエスの大復活で1983年は終わるわけなのですが、ふり返ってみると、この年はピンク・フロイドあり、ジェネシス本家に、ピーター・ガブリエル、スティーブ・ハケットもあり、さらにマイク・オールドフィールドのヒット、さらには、その後ちょっとしたプログレブームをヨーロッパで起こすマリリオンのデビューと、その内容はともかくも、久々にプログレ系ミュージシャンが活躍した年ではなかったかと思うのです。ただ、歴史的に見ると、この年が、本当に最後の最後のプログレ系ミュージシャンの豊作年なのですね。

 そして世界的にはこの先、どんどんと「プログレ」風景は霞んでいくことになります。この後プログレ系ミュージシャンで、ヒットチャートに絡むのは、ジェネシス、フィル・コリンズ、ピーター・ガブリエル、マイク・ラザフォード(マイク+ザ・メカニクス)と、一発屋だったけどGTRのスティーブ・ハウとスティーブ・ハケットくらいなんですよね。何とスティーブ・ハウ以外は、全員ジェネシスの関係者なんですね。この後だいぶたってから、まさかのEL&Pの復活とかもあるわけですが、こうして見ると、歴史上最も長くコンスタントに活動して、脱退したメンバーも含めてヒットチャートを数多く賑わしたプログレバンドというのは、ジェネシスしかいないんですよね。日本では人気ありませんが(笑)



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