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タンジェリン・ドリームで感じた「アナログシンセサイザーはライブが命」

 ドイツの3人組シンセサイザーバンド、タンジェリン・ドリームを初めて聴いたのはいつなのか、正直あまり正確な記憶がありません。唯一の手がかりは、高校1年生のときのクラス替えで初めて同じクラスになったM君という男が、やたらとマニアックなプログレが好きで、彼からレコードを貸してもらったのではないかと思うのです。だとすると、やっぱり1975年くらいのことなのだと思います。

Phaedra (1974)

Rubycon (1975)

Ricochet (LIVE) (1975)

 そのときに聴いたのがこの3枚ですね。これはいずれもけっこう印象に残っていて、案外リピートしたものです。当時のわたしといえば、EL&Pでプログレに入門したのと、生来のメカ好きも手伝って、キース・エマーソンが使っていた山のようなモーグシンセサイザー(いわゆるタンスというやつですね)には、ものすごい興味と憧れを持っていたのですよね。このバンドは、音楽雑誌などの写真を見ると、これがまたモーグとは異なる見たこともないシンセサイザーをいろいろ使っていたようで、その珍しさから聴いてみたいと思ったのでしょう。

 内容も、ロックとはまるで違う世界なのですが、当時はこれくらいとんがっていても、なんかプログレの文脈で聴けてしまったという時代だったのでしょうね。ちなみに74年には、やはりドイツのシンセサイザーグループであったクラフトワークが、名盤と言われる Autobahn という作品をリリースしていて、けっこうこっちも一部で流行っていたりしたのです。ただ、クラフトワークというのは、シンセサイザーを使いながらも、ちょっとポップなセンスがあって、プログレの極地のようなタンジェリン・ドリームとは全く違う印象がありました。当時のわたしは、クラフトワークのちょっと軽いペラッとした感じの音楽よりも、こういうの聴くならタンジェリン・ドリームの重圧でわけ分からない雰囲気の方が好きだったのですよね。なんか「難解」な方が「偉い」「頭良い」みたいな雰囲気がまだまだあった時代だったのかもしれません(^^;)

Autobahn / Kraftwerk 1974

 ちなみに、タンジェリン・ドリームのレコードを貸してくれたM君は、この辺を切り口に、もっともっと深いジャーマンプログレの世界に旅立ってしまい、ほとんど話が通じなくなって、その後はあんまりレコードの貸し借りはしなかった覚えがあるんです。青春ですね(笑)

 その後、1977年にあのエクソシストで大ヒットした映画監督、ウイリアム・フリードキンが、「恐怖の報酬」という映画を公開するのですが、タンジェリン・ドリームは、そのときのサウンドトラックにも起用されてちょっと話題になるのです。エクソシストは、マイク・オールドフィールドを世界的に有名にしましたが、こちらの映画の方はそこまでヒットしなかったようで、タンジェリン・ドリームが世界的にヒットすることも無く、そのままわたしもあんまり聞かなくなってしまったのです。数年後にYMOが大ヒットして、シンセサイザーミュージックが一躍ポピュラーになった時代がありましたが、そんなときに「そもそもシンセサイザーバンドの元祖に、タンジェリン・ドリームというバンドがいましてね….」なんて話しても、誰も聞いてくれませんでしたからね(笑)

 それでもタンジェリン・ドリームにはちょっと縁があるのかなと思うのは、1983年6月のことです。このとき、わたしはすでに東京の会社に就職してサラリーマンをやっておりました。たまたま打ち合わせで中野に行ったら「タンジェリン・ドリーム来日公演 当日券あり」というようなポスターを目にするのですね。その頃、タンジェリン・ドリームなんかすっかり忘れていたのですが、久しぶりに思い出して、仕事帰りにチケットを買ってライブを見たのです。それが、このライブアルバムのツアーの時なんですね。

Logos(Live) (1982)

 はじめて生で聴いたタンジェリンドリームは、以前よりずいぶん聞きやすくなっていたのですが、アナログシンセサイザーの野太い音がビンビンと体全体に響いてきて、それはそれは、心地よいライブだったのです。これぞタンジェリン・ドリームという感じは、80年代になっても健在でしたねぇ。もし70年代にも彼らを生で体験するチャンスがあったら、もっとのめり込んでいたかもしれないと思ったくらいだったのでした。

 尚、これは後付けの知識ですが、このライブとほぼ同時期にあのデジタルシンセサイザーとして一世を風靡したYAMAHAのDX-7が発売されているのですよね。つまり、あのときのライブは、アナログシンセサイザー時代の最後を飾るようなコンサートだったと言ってもいいのかもしれません。ところがこのとき、中野サンプラザの客席は目を覆うほどのガラガラ状態で、なんかバンドに申し訳ない感じだったのです。そんなこともあったのですが、このライブ体験にはひさしぶりにシビれて、直後にこのライブアルバムを買ってしまいました。

 ということで、今でもわたしが持っているタンジェリンドリームのアルバムは、このとき買った Logos 1枚だけというわけなんです。AppleMusicがはじまったときに、過去のアルバムがほとんどライブラリに入っていたので、そこから久しぶりにいろいろ聴いていますが、やはり70年代に聴いていた3枚のアルバムは、彼らの歴史を作ったアルバムと言って良いのではないかと思います。

 その後、タンジェリン・ドリームは、メンバーチェンジを繰り返しながらも、今も活動継続中です。もうオリジナルメンバーは鬼籍に入った人もいて、結局最近はバンド名だけが歌舞伎の名跡のように引き継がれ、全く別のメンバーで活動している状態です。最近は日本人の女性バイオリニストがメンバーとして入っていたりします。でも最近、そういう続き方も案外ありかなと思うようになりました。最近見ていると、イエスもなんかそうなっていくような雰囲気ありますもんね。

 ちょっと前に、川崎のクラブチッタに来日する予定があって、久しぶりに見たいなと思っていたのですが、コロナのために中止となってしまってそのままになっています。やはりこの手のシンセサイザーは、ぜったい生で聴くと本当に迫力が違うと思うので、ぜひ再び来日してもらいたいなと思ってます。

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