自分に厳しい人へ
こんにちは♪ RAMです🐰☆
いつもご覧いただきありがとうございます。
今回は、「自分に厳しい人へ」向けたお話しです。この記事を読んで、みなさまの気づきのきっかけになれば幸いです。
1.自分に厳しいとどうなる?
自分に厳しい人は、あらゆるモノサシを持っています。そしてこのモノサシで、常に自分をジャッジしている状態なんです。
例えば、「学歴」「資格」「パートナー(結婚、お付き合い)」「子供の有無」「家」「年収」「美貌」…….等
こういったモノサシを自分に当てて、それに足りない自分はダメなんだ、劣っているんだとジャッジしています。
そして、そのモノサシは必ず「自分と比較して大きいもの(自分にないもの)」です。
「学歴があれば周りから高い評価が得られる、自信が持てる」といったモノサシを持っていると、必要以上に自分に厳しくする。そしてそれは終わりがなくとても苦しいものです。
勉強できない自分はダメとか、遊んでる自分はダメとか、この大学にいけなかった自分はダメとか、そういった感じでとにかく自分を厳しく責める。
それは、「学ぶことが好き」で行動しているのではないんですね。
そうでない自分は愛されない、認められないと思って怖いから。
そういったモノサシを持っていたら、周りから愛された、認められたという経験があるから。
だから、このモノサシを自分に厳しくする必要があるんですね。
そうで無い自分は「愛されないよ」って脅かしているから。
自分に厳しいとは、あらゆるモノサシで自分を責めることです。
とすると、生きることが窮屈になるんですね。
2.厳しさの裏側にあるもの
なぜ、厳しくしてしまうのか。
なぜモノサシを作って自分を責めてしまうのか。
それは、「そのモノサシに適した自分は愛される」という経験がどこかであったからなんですね。それは、大抵、家庭環境であることが多いです。
つまり、「無条件に自分が愛されなかった」から。
だから、そのモノサシをずっと持っていて、それに合わなければ愛されないんだと思っている。条件付きで自分を認められていた、ということ。
だから、その家庭環境を抜け出したとしても、そのモノサシで常に自分を見るクセがついている。だから、必要以上に自分に厳しくする。なぜなら、そうしないと「愛されない」と思ってとても怖いから。
モノサシを持って常に生きているから、自分に不足感がある。
だから、あらゆる出来事を「自分がそのモノサシに適していないからこうなる」とジャッジする。
厳しさの裏側には、「無条件に愛されたかった」という思いがあるんですね。
3.厳しさと甘さについて
自分にモノサシを当てて、常に厳しくしていた人は、「甘さ」についてもとっても厳しいです。
休んでいる自分が許せない、決めたことをできない自分が許せない、理想に到達していない自分は許せない。
だから、自分を労わるとか、自分の楽しいことを選ぶとか、自分が心地いいものを選ぶとかが出来ない。怖い。
それをするということは、モノサシから大幅に外れることになる。愛されない。それが怖いのは当たり前なんですね。
4.厳しい自分を認める
特に自分に厳しい人は、「自分に甘くしましょう」という言葉がなんか腑に落ちないということが多いかと思います。
それは、自分に甘くすること自体がよくわからないし、甘くする方法を仮に知ったところで、自分が愛されること(モノサシに適した自分になろうとすること)とは逆の行為ですから、「甘くする」をしないのは当然です。
しかも、仮に無理やり「甘くする」をしたところで、根本の思いは置いてけぼりなので、罪悪感がでたり、嫌になったりするんですね。
だから、今この瞬間で「厳しい自分がいるということを認める」。別に厳しくてもいいんです。
色々あっての、今ですからね。大丈夫です。なるようになって今ここに存在していますから。
厳しさを取り除きたい!と思っても、すぐにはできないですし、厳しさを緩めていくのには時間がかかることが多いです。
自分に内包する厳しさの存在を認めること。
それが、自分をユルめていくための一歩になります。
5.まとめ
今回は、「自分に厳しい人へ」のメッセージを記してみました。
自分への厳しさで苦しくなっている方は、その厳しさがどこからくるのかを考えてみてください。
それは、厳しくしたいのではなく、「無条件に愛されたかった」「自分への期待(尊敬から来る愛)」「自分を好きになりたい」からではありませんか?
最後までご覧いただきありがとうございました♪
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