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皇の時代の羅針盤 その二十七


月刊プレジデントイーグル

                         Vol.27 1996.04.19
人間心理の戦略を活かす
      経営者は会社を伸ばす!

時々刻々と移り変わる時代の変化と同様に、地球も宇宙も変化していることを感じるこの頃です。彗星の登場や星雲の発見、去年くらいからしきりと目につくものが天体の本です。肉眼で見えるものから電波望遠鏡で見えるものまで様々です。

宇宙の広さや大きさは無限ですが人間の叡知を持って届くところまで際限なく努力した結果が新たな星雲の発見でしょう。宇宙的な視野から眺めれば、世の中の事柄に捕らわれない気持ちになれるのではないかと思います。

人間の行為、小さなこと、取るに足らないこと、必要もないこと、これらに捕らわれて何もできないで人生を終える。このような人生は送りたくないものです。それよりは人から見て、一見おかしい人と思われても自分の道を行く人のほうが立派です。

人の行為に対してすべてを認め、さらに導くことができたら何と素晴らしい事でしょう。認めることや受け入れるとかできないのは自分自身ができていないからです。

動物は生きるために自然との調和を計っています。言い換えれば自然の掟に従っているということです。地球も宇宙の一つです、人も宇宙の一部です。地球や宇宙に変化があれば必ず人間にも変化があります。このことを知って、今回のテーマを考えてみてください。

《利口な馬鹿に成れるか》


人をたとえる言葉がいくつかあります、大才、中才、小才と表現するが、的を得たものだと思います。この中で、大才になることが一番良いのですが、この大才の器があまりにも大きいので一見ばかのように見えることがある訳です。
そう抜けていたり、頼りなさそうでいて頼りがいのある人、人それぞれの持ち味がありますが、利口な馬鹿なかなか成れそうで成れないものです。

利口者とは、利巧とも書きます。これは、口先だけではないことです。口先だけのことを要領がよいと言います,利巧とは賢いということです。賢いことと目立つこととは違います。よく混同する人がいます。

目的を、達成するためには、エゴやプライドを捨て、だれにも分からなくても知られなくても良いのです。世のため人のためになった人は、皆だれでもこの道を通っています。

例を挙げれば、芸術家、思想家、発明家、心当たりのある人が浮かびませんか。御木本パールの御木本氏、大石内蔵助しかり、大道を成し遂げるためには一切を捨て、命を懸けて行えば事は成就するのです。

このとき、他人からは馬鹿に見える事がありますが、自己の理想と信念があれば利口な馬鹿になれるのです。

利口を今度は、大物と置き換えてみると、大物とは利口だけではなれないことが分かると思います。大物を思い浮かべてみると、どこか抜けていて人心を掌握してしまう不思議さをもっています。

この抜けているところが、遊びであり落ち着きであります。それが心のゆとりになっているような気がします。変に利口になるよりは、相手を遊ばせられる心の広さが必要ですね。

利口者とは知恵があり、その知恵が人を苦しくしてしまうことを知らないのです。なぜなら、人はだれでも自己を認めてもらいたい気持ちがあります。そして、認められると心を開きます。

心が開くと自由があります。自由をなくすと人は去って行くのです。そして、自分がどんなにすばらしいと想っても、他人が、それを認めてくれなければ価値がありません。今の自分をおいて他に自分はないのです。それ以下でもそれ以上でもないのです。

そして、自分を直視できたとき初めて悟りがあります。この悟りを感じられたときから、見る目が変わります。見る物すべてが、新鮮に感じられ新たなる感動するできごとを見たとき、澄み切った鏡のような気持ちになれるのです。そこには、恐れや、怒りや、嫉妬がありません。

まさに、明鏡止水の心境でしょう。

知恵を活かし、心を明鏡止水の如く保つことができれば、本当の意味で、利口な馬鹿に成り切れるのではないでしょうか。

馬鹿になるという、タイトルの本がありましたが、これも私は、読んでいません。なぜなら本から学ぶことは、知識であり知恵にはなりません。この智慧を学ぶには実践しかないのです。

すなわち体験です、この体験も始めは知識を入れることによって生きてくるものですから、基本的な知識は当然必要です。多くの知識と体験を通して本当の智慧が身につくのです。

若いうちは、どうしても体験より知識が先行してしまいます。ですから頭でっかちに成りやすいのです。これを回避するには体を使うことが良いのです。それには運動が一番です。

スポーツの知識と体験により智慧を生み出すのです。これを疑似体験として人生の悟りにつなげることは可能なのです。思いっきり汗をかいて見ましょう。

追記1

最近では、奇跡のリンゴの木村さんが思い浮かぶ。

沖縄の石垣島に絵本の村の、山納銀之輔さんも逆転人生を
活かしています。

この時代の転換期には、世界を変えていくような働きの人たちが
たくさん現れるでしょう。

追記2

大きな特徴を上げると、見えないものが見えてくる時代の先駆者のような
働きをする人。

これまでの社会を壊していくような働きをします。この方たちは、
今までの時代の人で、これからの人ではないのです。

差別や区別をするためではないことを理解してください。理由があります。
これまでの時代を、地弥生時代と言い、祖の時代ともいいます。
この祖の時代には、プラスとマイナスがあり、プラスは作る人若しくは
保守的な人です。
マイナスの人は壊す人で、これからの人のようにも見えるので、間違えやすいです。

これからの人を、天縄文時代で皇の時代ともいいます。そして、桔の人と
皇の人がいます。

桔の人とは、地縄文時代に生きた人です。皇の人とは、皇の時代に生きるために、来た人たちです。
詳しくは、小山内洋子著、天縄文理論書を参照してください。

追記3

登校拒否や引き籠りの人は、桔の人が多いので、ニートなども
その表れです。

また、カワイイものが好きです。

皇の時代の人は、時代を壊すことが出来ません。ただ見ているだけです。
それは、時代が違うためです。

この端境期には、祖の人、桔の人、皇の人がいるので、わかりにくい時代でもあります。

価値観の転換が起きます。また、天変地異も起こります。

ヒント、神が行うことは人の手を借りて行うことが多いという事です。

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