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「頑張る」と「やる」って全然違うよね、という学び。

前回書いたこの話からもうすぐ1ヶ月。
結論から話すと、私は会社を辞める決断をした。

なぜ辞めることを選んだのかは最後に話そうと思う。

「頑張ります!」の危険さ

私が尊敬する占い師のMayuさんの『ミラクルが止まらない「奇跡のループ」の作り方』という著書に、ハッとさせられる言葉があったので抜粋する。

もしあなたが、「やりたいこと」のために「頑張ろう!」と思っているのだとしたら、それは本当にやりたいことではないのかもしれない。

頑張らないといけない時点で、無理をしている証拠です。本当にやりたいことをしているとき、人は「頑張らなきゃ」とは思いません。傍目には頑張っているように見えても、本人はいたって楽しいのです。

「私、頑張っています」という裏には、「(辛くても)頑張ることが正しい、えらい」という世の常識、他人軸が、こっそり隠れているのです。

『ミラクルが止まらない「奇跡のループ」の作り方』より

もしあなたが今取り組んでいることへの姿勢に対して、「頑張ってるよね」といわれた時、「いえいえ、楽しんでやってますよ!」と笑って返せますか?

なんでもやる。とりあえずやる。
まずはやってみる。
こういうポジティブな姿勢で物事に取り組める人ほど、「頑張る」と「やる」があやふやになってしまいがちなのではないかなと思う。

私も、いつしか「やります!」が「頑張ります!」に変わっていて、しまいには「頑張ります!」の前に(やる目的がわからないけど、認められるために)が付いてしまっていた。

やります、やりたいです、やらせてください。
この言葉が、
頑張ります、頑張りたいです、頑張らせてください。
に変わってしまったら黄色信号だなと今回のことを通じて強く思った。

なぜ「やる」のか?の目的

「やりたいです!」と言葉にする時、おそらく9割は他の誰のためでもなく自分のため、だと思う。

例えば、英語の集中講座を受ける時の目的は、スキルアップのため、留学のため、コミュニケーションの幅を増やすため、いろいろあるだろうけど、結局自分の理想の姿になるためというゴールには変わりないのではないだろうか?

そこが、急に他人軸になった時点で「やる」は次第に「頑張る」に変わっていく。

例えば、〇〇さんに認められたいから、組織力向上のために自分が…みんなに還元するために自分が…などだ。

一見「人想いのいい人」に見えるのだが、蓋を開けてみれば全くそうではない。いや、人のことを優先して考えられる素敵な人であるのには変わりないのだけど、自分自身に対して危険信号が出ているサインだと思う。

自分は何がやりたいのか?
自分はどうなりたくてそれをやりたいのか?

この問いに答えられなくなってきたら、一旦振り返って考えてみる。
この習慣を忘れてはいけない。

「誰かのためにじゃないと頑張れない」と言いがちな人想いな人ほど、本当に気をつけて欲しい。(もろ私)

転職活動をして気づいたこと

正確には、転職というより独立活動?のようなものだが、フリーランスとして一緒にお仕事をさせていただく業務委託先を探す上での面談を合計10社ほど受けさせていただいた。

びっくりした。
自分が井の中の蛙すぎたことに。

自分の正解と、組織の正解

前の記事で書いたけれど、「会社は学校じゃない」そういわれたことや、あまりにも個人プレイすぎる、みんながトップからの評価だけに固執していたことに私は違和感を感じながら、でもそれが正解だと思っていた。

初めて正社員として働かせていただいた組織だった。大好きな組織だった。一生ここで働くと思っていた組織だった。
理念やそこにいるメンバーの人柄に心から共感していたし、惹かれていたから。

勝手に信じて、期待して、裏切られた気分でいた。

でも、それは違う。

私には「合わなかった」だけなのだ。
根本にある想いとか、理念(大事にしていること)が一緒だからといって、自分と組織の仕事観や組織づくりに対する考え方が合うとは限らない。

何事にも正解はない。組織体制にも、教育体制にも、人間関係にも正解はない。でも、成り立っているから、その会社は今までやってこれたし、今も続いている。その会社にとって、彼らのやり方はそれで正解なのだ。

悲しいけど、とっても悲しいけど、自分の正解と組織の正解が違うこと、それを変えることは難しいこと、自分はその組織の正解を受け入れられないことに気づいてしまったら、期待するのをやめて自分の正解を優先してほしい。

期待しないってとっても悲しいこと。
それがトリガーになってストレス性の病気を引き起こしたのだから、私はほんっとうに人が好きなんだと思う。大好きな人たちに期待できない自分が辛かった。

でも、ただ「合わなかった」だけなのだ。
組織の中の大好きな人、じゃなくても関わる方法はある。「人じゃない要素」が複雑に絡み合っている組織の中での人間関係に対して(期待しない)、だからこそ難しいだけなのだ。

自分の正解を優先できる環境を

星の数ほど男はいる、なんてよくいうけど、属する会社も同じことが言えると思う。

休職期間の1週間を通して、そしていろんな会社の方との面談を通して、私は自分の「正解」をたくさん見つめ直した。

自分はこの先どうなりたいのか?
なぜこの職種を、業界でこの先もやっていくことを選んだのか?
理想像を叶えるために必要なスキルは何か?
そのスキルを身につけられる環境ってどういう場所なのか?
上司に求めることはなんなのか?
組織に求めることはなんなのか?
理想の組織との距離感はどれくらい?

自分への問いを繰り返して、面談でいろんな角度から質問されて、それに対してのフィードバックに新しい視点をもらって、自分の今の正解が見えた。

そして、他人軸で考えることをやめた。
「自分が」の主語で始まることだけをピックアップした。

頑張りたいこと(例えば、家族にキャンピングカーをプレゼントしたいとか、マンションの一部屋を買ってあげて隣の部屋に住みたいとか。)とやりたいことに分けることを徹底した。

自分のやりたいことの先に、誰かに対してしてあげたいこと(頑張ってでも成し遂げたいこと)がある。絶対にここを揺らがせないようにした。

そうして、自分の正解を見つけると、仕事を探すのもとっても楽しくなった。

就活は恋愛だ、なんていうけど

IT/Web業界の求人・採用情報に強い転職サイトGreen公式サイトより

この画像が全てだなあと思う。

私は恋愛でも一緒だ。
この人だ!と思ったら最初から恋愛モード全開で接してしまう。熱しやすすぎて燃え尽きちゃう系代表である。

今回のことを通じて、距離感を学んだ。何度も何度も壁にぶち当たった。辛かったし、まさかここまで追い込まれると思ってなかったけど、ほんっとうに大きな学びだったなと思う。

何度も言うけれど、私は人が大好きだ。
こうやって言えるのは、愛してくれる親だったり、大切すぎる友達の存在だったり、今まで関わってくれた大事な人のおかげだと思う。

でも、もう一つ理由がある。おかげというか、せい、というか…
私は「この人合わないな」と思ったらすぐに距離を置いてきた人生だった。人間関係は狭く深く。人間関係に努力したことがあまりない。友人に対しても、恋人に対してもそう。
大好きな人だけを常に周りに置いて、その人たちのために、という他人軸でも十分やってこれてしまったとんだハッピー野郎なのだ。

だから、「距離感を保つ」ということも、「自分軸で他人と関わる」ことも得意じゃないし、むしろ下手くそなままここまできて(これて)しまったのだと思う。

そんなハッピー野郎とって、今回のことが超激ムズミッションだった事はもうきっとお分かりだろう。

組織と関わる上で、組織の中の人と関わる上で、いい意味でも、悪い意味でも「自分軸で少しドライになること」は必要だと思う。

そして今後も誰かと働いていく上で、自分のやりたい事の先にいる誰かのために働く上で、それが課題になってくる。
まだまだ私は未熟だし、もっとストレス耐性をつけたり、自分の正解の精度をあげてぶらさないことを徹底しないといけない。

ヒトだいすき人間にとって

人を好きでいること、人のために何かしたいと思うこと、人に好かれる幸せを私はやっぱり何があっても捨てられなかった。し、これからもきっとそうなのだと思う。

だからこそ、同時に、その前提の上で自分自身をどう磨いていくか、人への愛と自分自身への期待の切り分けをどうしていくかを考えることが一生の課題になるとも思う。

会社を辞めることを選んだ理由

会社を辞めることを決めた理由を最後に話す、と最初に書いたのでアンサーを。

前述した通り「合わなかった」に尽きるのだけど、結局は自分のことも、人のことも好きになれなかったからだと思う。そして、これからもそれはどうしても変えられないと思ったからだと思う。変えられないというか、もう変える力も、変えたいと思う気持ちも残っていなかったから。

大切な思い出も、学んだこともたくさんあるし、感謝してもしきれない。
この会社に入れてよかったなと本当に心から思う。

でも、辞めると社内全員に伝えた時、言葉をかけてくれる人、全くメッセージも連絡もない人がハッキリ分かれて、私はやっぱりかと思った。
自分の違和感は間違っていなかったと確信した。

し、「言葉をかけてくれた人」を組織の中でも、外でも好きでいたこと。その人たちがいるから、「そうでない人たち」との関係性のために頑張ろうと思っていたことに気づいた。

見つめ直して気づいた私の正解の中のひとつに、熱をもった人と働きたい、というものがあった。
でも、組織の中の全員がそうであることなんて超レアだなと思う。でも、私が譲れないところはそこなのだ。

人の熱は人に伝染する。その人の熱は自分に対してのものでも、勝手に自分の外に溢れてしまっている。そんな人と働きたいし、そんな人からいろんなことを吸収して自分をレベルアップさせたい。

だから、その正解をぶらさないために、私は一旦組織の中にどっぷり浸かるという選択肢を取るのをやめた。
もともと正社員という選択をしたのは、フリーの時よりもスキルアップのスピードを上げるため、という理由からだった。

けれど、私の理想の距離感を優先した上でもスキルを伸ばせる環境も選択肢もあることをいろんな会社を見て、いろんな方と話して知った。
いい距離感を保って、それでもスキルアップはしたい。それを理解して、応援して、一緒に働いてくれるパートナーさんを私はこの1ヶ月で見つけた。一旦、この形で、この正解でやっていこうと思う。

自分軸で生きること、その上で人を好きでいることの難しさ

世の中にはいろんな人がいる。
仕事は稼げればよくて、程よく楽しければよくて、プライベートの方が大事な人もいる。人間関係の構築とかチームとか、そんなのはどうでもよくて、個人でのびのびやっていきたい人もいる。

だから、みんな自分の正解を持って、その正解を軸に、組織との関わり方を考えることを大切にしてほしいなと思う。そして、自分の正解を優先できる選択肢を増やすためのスキルをたくさん持つべきだなと思った。自分のために。自分の先にいる誰かのために。

私にとっての課題は、表題の通り、自分軸で生きることと人への愛を捨てないことのバランスを取ることだけど、人によってその課題も違う。その「正解と課題」が分からないまま働くからこそ、仕事で辛い思いをする人が後を絶たないんだなと思う。

それをどうにかしたいと思ってしまうのも、これまたお人好しすぎるのかな、と思うけれど、コーチングの資格とか、キャリアアドバイザーとか、興味が出てきた最近。医者に助けられた人が医者を目指す理由ってこれか…違うか(笑)

とにかく、大きな学びを得た今回の出来事。たくさんの人にお世話になりました。21歳、またちょっと成長したよ、という長すぎる感想文でした。お付き合いいただいた方、ありがとうございます。

感謝を込めて。


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