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『自分らしく』

     〜歳を感じる瞬間〜


 人にはそれぞれに時間の感じ方がある。
あっという間…と感じたり、長く感じたり、心地よく感じたり、、、
 過ごし方によるのだろうか。年齢には関係ないと思う。如何に好きなことに費すか、生き甲斐を感じるか、である。

 お気に入りの場所、お気に入りの音楽、お気に入りの料理、、、
現代社会は、一斉から選択へと形を変えている。心を病むほど寄せ付けない事象に、無理して合わせる必要はなくなった。学校がイヤなら無理に行かなくていい。給食がイヤなら食べなくてもいい。服装の自由。授業のスタイルも登校かWebか。集団が苦手なら個別対応も可能となった。一人ひとりの選択が正解かどうかは分からないが、ストレスフリーであれば申し分ない。自分らしく!をモットーに。そんな時代を生きている。

 男女の差別、年齢の差別、、単に見た目のことか。それは主観でしかない。

 他人の目にどう映るか、、ではなく、きっと自分自身が、何某か、変化を感じる瞬間があるはずだ。

 私自身、昔から物覚えは良くなかった。
「あれ!あれ!、、あれよ!!えーっと何だっけ?!!」の類が多かった。だから、歳を重ねていく間に多少思い出せないことが増えたとしても、「昔からそうだった」ということで済ませてしまうことになる。
 昔とは全然違うなぁ…と感じるのは、思い出せなくてモヤモヤすることがなくなってきたこと。
ん?これは危険なサイン?、、、ではない。スマホを手繰ればすぐに検索できるというシステムが習慣になったことにある。
何だったかな?→検索→ものの数秒で答えがわかる→モヤモヤがなくなる。というわけだ。良いのやら、悪いのやら…

 若者ですら、考えたり思い出したりするのが面倒くさいのか、スマホやパソコンに依存することか多くなっている。

 
 私の若い頃は、ケイタイやスマホなんてなかった。パソコンがチラホラ出始めた頃で、余程の新しい物を好む人でなければ、触ってみようなんて思わなかったはずだ。
 わからないことがあれば、直ぐに国語辞典で調べた。連絡手段の殆どは固定電話や公衆電話で、「何日の何時にどこそこで!」と約束を交わしたあとは、当日のその場所で出会うまで何の遣り取りもしない。そんな時代だった。今では考えられない。よくぞ、間違えることなく会うことができたなぁ、と感心してしまう。

 大した娯楽もなかった。インターネットやテレビゲームなんかで夜更かしをすることもなく、ごくごく当たり前の日常を送っていた。そして、その日常がとても楽しかった。だけど、そんな私たち世代でも「今どきの若いモンは…」と言われることがあった。そう言われることが若さの象徴。深く反省することもなく、「テヘッ!」と舌を出して通り過ぎていた。

 時代は巡る…。個々の環境や習慣、世の中の動向など大きく変化している中、変わらないものもある。
赤ちゃんが、両親や兄弟、親族、縁者、、多くの人たちの情愛を受けながら安心して育ち、その過程で多くの悩みや不安を抱く親の気持ちも、大昔から変わらないはずだ。そうして歳を重ねていく。少しずつ、少しずつ、歳を取っていく。

 若さを失ったことを自覚したとき、、、周囲の若者たちが眩しいほど輝いて見え、「あー、私も昔はあんなだったのに…」と嘆かわしく思えるとき、、、「今どきの…」という台詞が口をついて出るとき、、、

 こんなとき、歳を取ったなぁ…と感じてしまう。

 若者と張り合うつもりはないけど
衰えていく自分に気づくと悲しくなる。
私は私らしく私のままで…と言い聞かせる。

買い物に行く。服を見る。化粧品を見る。バックを、靴を、、、
店員さんは若い女性客に愛想振り撒いて、懸命に接客する。置いてけぼりを感じる。
現実は厳しくも残酷である。

所詮、私は私。どんなに抗っても、私以上でも以下でもない。
これからの人生で、
今日の私が、
たった今の私が、
一番若いのだから、前向きに生きよう。
   私は私らしく私のままで。

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