絵本探求講座第4期(ミッキー絵本ゼミ)2回(10月1日)振り返り



「あめだま」の翻訳



「あめだま」 ペクヒナ 作 長谷川義史 訳 ブロンズ新社 2018年
 第24回 日本絵本賞 翻訳絵本賞 受賞

 訳者の長谷川義史は、1961年生まれの絵本作家。大阪生まれ。
 ペクヒナの作品「天女銭湯」「天女かあさん」「お月さんのシャーベット」「ぼくは犬や」も訳している。
 2013年コルデコット賞を受賞・2014年ケイト・グリーナウェイ賞を受賞したしたジョン・クラッセン作「ちがうねん」も翻訳している。

「あめだま」の韓国語と日本訳を比較してみました。


【タイトル】
韓:アルキャンディ
日:あめだま
【p2】
韓:私は一人で遊ぶ
日:ぼくは ひとりで あそぶ
*主人公は男の子なので、長谷川さんは、ぼくと表現している。
【p4】
韓:ともだちは・・・ただ一人であそぶことにした。
日:みんなは・・・ぼくは ひとりで あそぶんや。
*この物語では、友だちのいない男の子が主人公、あえて友だちとせず、みんなと表現しているのではないかとおもった。
【p6】
韓:新しいビーズが必要です
日:あたらしい ビーだま ほしいな
*韓国では、丁寧な言葉にすることが多いのですが、日本では韓国ほど丁寧語は使わない。絵本の文章となると、子どもにわかりやすい言葉を用いる。
【p8】
韓:なんだか サイズも形も色もいろいろなんて
日:そうか、ほんで おおきさも かたちも いろいろなんや。
【p9】
韓:なにから食べようか? これは どこかでみた柄です。
日:どれから 食べようかな? これは どっかで みた もようや。
【p10】
韓:うぅ、ミントの香りがこすぎて耳までにじむ。
日:うわー、これ ハッカのあじや。スーとして みみに ポンときた!
*日本ではハッカ。オノマトペを使い、すっと耳にはいってきます。
【p12】
韓:・・奇妙な音がきこえはじめた。唾液をのみこんだ。
日:・・へんなおとがしてきた。ゴックン。つばをのみこんだ。
*子どもにわかりやすい言葉になっています。
【p13】
韓:ソファがはなす。・・・勇気をだしてソファのそばに行きました。
日:ソファーがものいうてる。・・こわごわ ソファーにちかづいた。
*勇気を出すんですが、こわごわという表現がやっとソファーに近づいた様子がわかります。
【p15】
韓:・・これは本当に奇妙なキャンディ。
日:・・どないなってるんや このあめ。
*まったく違う言葉ですが、驚きがわかります。
【p23】
韓:・・私のこころのようなあらいキャンディにした。
日:・・いまの ぼくのこころみたいな ザラザラした あめにした。
*あらい、という表現をザラザラと表現し、どんなあめだまか、すっとわかります。
【p34】
韓:そとからおとがきこえた。
日:そとから こえが きこえた。
*音より声の方が本当にあめだまのなかから、誰かが話をしているようにとれます。
【p41】
韓:私といっしょに遊ぶ?
日:ぼくと いっしょに あそべへん?
最後の台詞は、内気な男の子が断られてもいいような聞き方にしたそうです。ペクヒナさんの内気な息子さんをモデルに作成されたお話だということです。また、自分の勝手な表現や言葉はなるべく使わないように翻訳しているということです。(ブロンズ新社公式ブログ ペクヒナと長谷川義史トークイベントレポートより)
長谷川さんは、絵本の物語や主人公の男の子の表情や行動から、内気な男の子を上手く表現されています。

翻訳について  (灰島かり「絵本翻訳教室へようこそ」より

翻訳に「正解」はないのです(p173)
絵本の翻訳は、一方でなにかと制約は多いものの、翻訳者にまかされる自由度も大きくて、やりがいがありますよ。(p5)
絵本は絵も訳す・・絵本の翻訳は、絵そのものをよく見て、絵の語っている内容を理解する必要がある。(p7)
絵本では読者に語り掛ける調子があると、親しみやすさが出てきます。
(p140)

「絵本翻訳教室へようこそ」灰島かり 研究社 2021年

長谷川義史の「あめだま」の翻訳をみていくと、


灰島氏が述べているように、絵の語っている内容を理解した上で翻訳している。文を耳で聞くと絵本の絵とぴったりとして、絵が目にはいり、すっと脳に伝わる感じがする。また、読者に語りかけるように訳している。そして、日本の子どもたちにわかりやすい言葉に訳している。語りかけることばなので、心に残る。
「大阪弁にしたことで、原作よりあたたかいよい効果が出た」と言われたそうです。

子ども読者と「声」について(p12~p16)
翻訳を考えるときには、それぞれの作者や訳者個人が抱く子どものイメージとともに、それを取り巻く時代や社会がもたらす子どものイメージを考察に入れる必要がある。
子どもの本の文体を考える場合、耳で聞くことは重要な要素である。
そもそも、翻訳とは、作品の声に耳を澄ませることであるともいわれる。

「石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか」 竹内美紀 ミネルヴァ書房2014年

韓国絵本の翻訳をみてみた


韓国と日本は、近い距離の国ではあるが、文化や社会生活、絵本の歴史も随分違う。しかし、長谷川義史の翻訳は、上記の文献のように、日本の子どもたちが読んで、伝わりやすいように言葉を上手く使い表現していると感じた。そして、関西弁であるが、聞き心地のよい文章となっている。

今回、韓国絵本の翻訳について、様々な視点から感じたことをまとめてみたが、韓国語を詳しく知っているわけでもなく、韓国絵本の翻訳についての資料はほとんどない状態であった。

韓国絵本の歴史は、まだ浅く、1988年を韓国絵本の始まりとしており、「イヤギ」が初めての絵本の単行本、日本でこの絵本は1990年に翻訳出版されている。その後「マンヒのいえ」「あかてぬぐいのおくさんと7人のなかま」が翻訳出版されている。

「韓国絵本にみる絵本の言語文化」ゆん・へじょん 玉川大学出版部 2022年

講義やゼミ生の持ち寄った絵本から


今回、翻訳絵本をみていくと、訳により内容は変わらなくても雰囲気は変わること、タイトルの付け方で、その絵本のインパクトが変わることがわかった。
「おおきな木」の村上春樹とほんだきんいちろう訳の違いは、話題となり少し気にしていたが、他の絵本についたは、今まであまり意識していなかった。しかし、ゼミでの皆さんの考察やミッキー先生の講義を聞き、とても興味が湧き、違いを考えたり、なぜこの文章にしたのだろうと考えると楽しさを感じるようになった。他の絵本や訳者についても触れていきたいと思った。
翻訳の学びではあるが、絵を読み解くこと、絵も訳すということ。
改めて「絵本」の「絵」の大切さを理解したように思います。

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