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「くぐり抜ける」

「おっきょちゃんとかっぱ」
長谷川摂子・文、降矢奈々・絵、福音館書店

 小学校のサマースクールで、『おっきょちゃんとかっぱ』を読んだ。おっきょちゃんと言う女の子が、河童のガータロに誘われ、河童の国に出かける物語だ。
読み進んでいくと、必ず水を打ったように静まる箇所がある。おっきょちゃんが、河童の国の餅を食べる場面だ。
「ひとくちたべたら、おとうさんのことをわすれ、ふたくちたべたら、おかあさんのことをわすれ、みくちたべたら、みずのそとのことをぜんぶぜんぶ、わすれてしまった」
 聴いている子どもたちは、とんでもないことになったぞと言う顔で、みな息を呑む。
だが、境界をくぐり抜けたおっきょちゃんは、河童の世界で楽しく過ごすことになる。ある日、水の中をひらひらと流れてくるお人形を見つける。
「あ、これ、わたしの人形!」。人形によって水の外の世界を思い出したおっきょちゃん。「うちに帰りたいよう」と泣き出す。
ここでは、子どもたちのため息がもれる。どんなに楽しくても、異界に居場所はない。いつか「うち」に帰らなければならないことを子どもたちは、ちゃんと心得ているからだ。
おっきょちゃんは、ガータロの助けを借りて、お母さんの所に帰っていく。
河童の国のことはすっかり忘れてしまったが、泳ぎがかっぱそこのけにうまくなっていた、という結末がいい。さりげないようでいて、子どもの成長をうまくとらえている。
お話会にくる子でも近所の子でも、秋口になって出会うと、あれっと思うほど、顔つきや体つきが違っている。子どもは夏にぐんと変わるのだなといつも思う。きっと、何かをくぐり抜けるのだろう。
この夏、私は河童伝説が残る福島の片貝川に出かけた。誘ってくれたのは詩人の廣田さんで、片貝川の緑の中を、野草を愛でながらてくてく歩いた。片貝川には、河童が薬草を作ったと言い伝えられる、穴の開いた大きな石がある。
「せっかくだから触ってみましょう」と廣田さん。「私、人工呼吸の講習受けたばかりだから、おぼれても大丈夫よ」岸から保育士の野口さんが、声をかける。野口さんに見守られながら、昔のお転婆二人は、がしがしと流れを越えた。冷たくなった足を、苔に覆われた大きな石が温かく受けとめてくれた。石に丸く開いた穴は、深くなめらか。そっと触れると、静かに私たちを待っていてくれたのがわかった。
湯岐(ゆじまた)の温泉宿では、語り部のトヨばあちゃんと合流した。トヨばあちゃんは、福島弁で「河童のすり鉢」を語ってくれた。三十七までは無口で、感情を殺して働くばかりだったと言うトヨばあちゃん。「しゃべらなかったけれど、頭の中はいつもさわがしかったよ。畑にいても山ん中にいても」
豊かに年を重ねたトヨばあちゃんの口からは、今、あふれるように言葉がこぼれ出す。いい語り部に出会った言葉は、見える世界と見えない世界を駆ける羽のついた馬車のようだ。私たちはその馬車に乗り、ふたつの世界を行き来した。その夜は、みんなで布団を並べて寝た。耳もとに響くトヨばあちゃんの声は、片貝川の流れのよう。布団で昔話を聞くのは何年ぶりだろう。耳の悦楽、心の悦楽。とろとろと甘い眠気が訪れて、いつの間にか子どもみたいに寝入っていた。
異界をくぐり抜け、緑一色に染まった私は、あれからずっと、河童のことばかり考えている。

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