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「愛する」


「プラテーロとわたし」
ヒメーネス作・長南実訳
岩波文庫

『もしもきみのほうがわたしより先に死んだらね、わたしのプラテーロよ、きみは雑役夫の荷車に乗せられて、あのだだっ広い沼地だとか、山道のあの崖っぷちだとかに、連れてゆかれることはあるまいよ……安心して生きていなさい、プラテーロよ、わたしはきみを、きみが大好きな松かさ農場の、あの大きなまんまるい松の木の根もとに埋めてあげるからね。きみは楽しく穏やかな生活のそばで眠ることになるのだよ。きみのそばで、男の子たちは遊びまわり、女の子たちは低い小さな腰掛けにすわってお裁縫をするだろう。孤独がわたしにもたらす詩を、きみは耳にするだろう』
 愛しいものを失った時、その悲しみに耐えることができるだろうかと、時々、苦しくなる時がある。詩人ヒメーネスのこの言葉に巡りあった時、美しいものを飲み干した気分になった。
失うことを恐れるのではなく、「安心して生きていなさい。死ぬまで私が守るから」そんな言葉を投げかけられること、それが、愛すると言うことだ。自分の感情の浮き沈みに心を砕くことなく、相手をどれだけ想うことができるかと言うことだ。 
 この本は、どのページを開いても美しい。美しすぎて切なくなるほどだ。
 処はスペインのアンダルシア地方。突き刺すようなオレンジの香りに白い月。明るい色で響いてくる教会の鐘の音。そして、そこにいるのが、プラテーロ。月の銀色をしたプラテーロは、こんなロバだ。
『プラテーロはまだ小さいが、毛並みが濃くてなめらか。外がわはとてもふんわりしているので、からだ全体が綿でできていて、中に骨が入っていない、といわれそうなほど。ただ、鏡のような黒い瞳だけが、二匹の黒水晶のかぶと虫みたいに固く光る……わたしがやさしく、「プラテーロ?」と呼ぶと、うれしそうに駆けてくる。笑いさざめくような軽い足どりで、妙なる鈴の音をひびかせながら……かわいらしくて甘えん坊だ、男の子みたいに、女の子みたいに。けれどもしんは強くてがっしりしている、石のように』
降りしきるバラを浴びるプラテーロ。夕焼けに染まった川の水を呑むプラテーロ。詩人の筆は、様々なプラテーロの姿をいきいきと愛らしく描き出す。
私はこの銀色のロバに、飼っている猫のシロとクロを重ね合わせる。とりわけ、不器用で病を背負ったクロの姿を。
いつか、友人が言った。
「愛情を注ぐのもほどほどにしておいた方がいいよ。別れが辛いから。明らかにペットロス予備軍だね」
「大丈夫。ちゃんと距離感は心得てるから。猫も私も」
だが、猫は大丈夫でも、私は、そうではなかったことに気づかされた。シロとクロがそれぞれ脱走した時、風の音にも、落葉のかさこそにも跳ね起き、空耳ばかりを聞いた。悪いことばかり考え、泣き暮らした。猫たちはけろっとして戻ってきた。今もたびたび逃亡する。愛はとどまるものではなく飛び出していくものだと、ようやく愚かな飼い主も気がついた。
朝帰りのシロを、そっと腕に抱く。夜の匂いがする。青い草のような。湿った土のような。目は、油断なくきらきらと光っている。
どんな時間を過ごしてきたの。そう聞いても答えてはくれない。「悪さをしないこと。車に気をつけること」。耳もとで何度も何度も言いきかせる。シロは糸のように目を少しだけ開けて、私を見る。前足でぎゅっとこぶしを作り、めんどくさそうに返事をする。


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