織田ヘルメス、浅井アポロン

 かの戦国時代、かの有名な戦国武将、織田信長には26人の兄弟と多くの甥、姪がいた。しかし彼らの内の誰も、織田信長どころか、その家臣よりも名をはせる武将にはなれない。誰も器でなかったといってしまえばその通りだが、やはり彼らにのしかかる「織田」という苗字はあまりも重すぎるものであった。信長の時代において、彼に逆らえるものなどいなかったことなどは当然としても、信長亡き後も彼らが時代を作ることはない。織田という名前だけを目的に多くの武将がすり寄り、利用され、使い捨てられる。残酷な戦国時代を象徴するような「語られない」歴史の1ページである。
 女もまた同様である。お市の方の話は有名であろう。戦略結婚で嫁いだ夫を、兄である信長の侵攻によって亡くすことを二度経験し、その二度目で、夫とともに自害している。その娘、信長の姪である茶々、通称淀殿もまた、豊臣秀吉に嫁いだ後、大坂の陣に敗北し、息子の秀頼とともに、自害している。彼女らは、織田信長という武将がいかに強大な存在であったか、織田信長の血縁ということにいかに価値があり、その実、その価値が全く幸福を保証しないことを、悲痛な生涯をもって示しているのである。
 そして、この物語はその織田信長の姪であり、茶々の姉である崇源院、通称「江」と、同じく信長の甥、佐治一成から始まる。江はその周りの女性と同様に戦略結婚で、一成に嫁ぐが、すぐに秀吉の戦略によって離縁させられている。一説には一成が秀吉の不興を買ったからだといわれているが、真偽は定かではない。その後一成は織田信長の実娘である於振と結婚したが、江の消息は一成には分からなくなってしまった。

  「それがしは、全知全能の神ゼウスになる。」
 叔父の信長がよくそう言っていたことを佐治一成は思い出す。そのころちょうど信長は、南蛮人の話に興味を持っており、その全知全能の神とやらにいたく憧れていた。信長の夢は結局果たされぬままであったが、今は江戸時代、信長に代わって豊臣秀吉が天下を統一したのち、さらに徳川が世を支配する時代である。そんなことを一成が少しでも口にしようものなら、所領の没収だけで済むならまだましなものだ。しかし、誰もいない夜の寝室にて、つい一成は口ずさむ
  「それがしは、全知全能の神ゼウスになる」
信長の血が流れていることを実感する。しかし一成はどこまで行っても伊勢の守、それ以上のものは目指せない。もしその神になれていたら、あのとき手放さざるを得なかった江とともにいることもできただろうか。そんな思いをもって一成は眠りにつく。明日は江戸に出向かなければならない日である。早く眠らなければならない。
 伊勢から江戸に向かうには二週間ほどかかり、身も心も疲れ切ってしまうが、その体で、将軍である秀忠のところにあいさつに行かなければならないのだから、何という苦行であろう。
  「今日は体調が悪いことにして、明日に予定をまわすことはできぬだろうか?」
  「全く面白くもない冗談ですな」
家臣はいつも厳しいことばかりだ。仕方なく、将軍が待つ部屋へ向かう。一刻も早く終わらせて部屋で休みたいものだ。しかし、将軍に会うのだから、疲れたような姿を見せてはいけない。それくらい自分でもわかっている。
 そして、将軍が待つ部屋に入る。さすが、「将軍」だけあって、素晴らしい装飾品、刀、そしていかにも屈強そうな侍たちが護衛についている。そんな中にあってあの将軍の余裕そうな姿は、間抜けさすら感じられてしまう。全く坊ちゃんといったところであろう。部屋を一瞥して、一通り値踏みしてしまうのは一成の悪い癖である。
 さて一通り挨拶を済ませ、部屋を出る。なんとも立派な庭が城の中にはあるものであると、感服し、一通り見渡した時、一成の目は大きく見開かれた。庭の反対側にいたのは、まぎれもない、あの時別れた江そのものであった。そして、江もまた、こちらに気づいたが、すぐに目をそらしてしまった。すぐに侍女に江のことを聞く。
 「あの向かい側にいる女性はどの御仁であろうか。」
 「あの方は将軍様の継室の崇源院様でございます。」
間違いない、江のことである。まさか別れたのち、将軍に嫁いでいたとは想像もしなかった。驚きは隠せるものではなかった。
 その夜、部屋で一成はずっと江について考えていた。江は間違いなくこちらに気づいていたが、しかしすぐに目をそらしてしまった。考えてみれば江は大出世である。一成と結婚したままであれば伊勢の守の正室であったのがいまや将軍の継室である。こちらのことなど思い出す必要もない。そんな諦めが一成にはあった。
 「失礼いたします。」
突然そんな声が聞こえた。間違いなく部屋のふすまの目の前にいる。女性の声だ。誰かはわからないが、夜に女性が一人で部屋をでて、わざわざ自分のところに向かうなどどのような要件であろう、と少し警戒心を持ちながら、一成はふすまを開けた。するとそこには、江がいたのである。
 江は部屋に入ったとたんに泣いて、一成の胸に飛び込んだ。その涙はもちろん再開できた嬉しさの涙でもあったが、それ以上にその涙からは悲しみが感じられた。少し落ち着くと、江は少しずつ話し始めた。江は一成と離婚したのち、織田勝家のもとに嫁いだが、朝鮮出兵の際に勝家と死別し、その後、秀忠に嫁いでいた。初めのころは秀忠ともうまくやっていたようだが、その後、秀忠の隠し子が発覚した。すると、秀忠はこれで隠す必要もないといわんばかりに、その隠し子のことをかわいがり始めたのである。それによって、江は江戸城の中で、嘲笑の対象となってしまい、心を病んでしまっていた。江は一成にすがりついた。一成は目を少し潤ませながら、江をやさしく抱き寄せ、接吻した。それは文字通り一晩の過ちであった。一成は明日には江戸を発たなければならない。一夜限りの再開を体で感じていた。
 その夜が明けぬうちに江は自室に戻っていった。こんなことがばれては大変なことになってしまう。墓までもっていく儚い思い出となって一夜が過ぎた。そして、一成は伊勢に帰り、その後江と会うことはなかった。
 一年後、一成は突然、知人の手紙を受け取った。その知人は、江と一成の共通の友人であり、一成が最も信頼している者の一人であった。ただ、その手紙には会いたいということしか書いていなかったため、一成はその知人の家に赴いた。すると、そこにはその知人と、その妻、そして小さな赤ん坊がいた。しかし、その赤ん坊は知人の子供ではなかった。その知人にそこで渡された手紙にはこう書かれていた。
「この子は、あなたと私の間にできた子供です。私では、育てられない、ごめんなさい。この子は、あなたが育ててください、名前は亡き父の名をとって、浅井禮三郎と名付けました。」
 間違いなく、江の字で書かれてあった。江はその知人に赤ん坊を預けにきていたらしい。出産のときは、病気の療養に行くといって、江戸を離れ出産し、そのまま預けにきて、江戸に帰ってしまったということだった。また、一成にあうと彼と離れがたくなってしまうと言って、一成には知らせないように言っていたらしい。その子は間違いなく一成と江の子供であった。なぜか一成はそう確信できた。しかし、一成ももちろん妻がおり、隠し子がいたなどばれるわけにはいかない。そこで一成は、十分な支援とともに、その知人に赤ん坊を育てることを頼んだ。子供のいなかった知人夫妻はそれを受け入れ、その子はすくすくと育った。
 その後、一成は三代目将軍家光の、厳しい締め付けにあい、領地をはく奪され、平民に成り下がってしまった。この時、妻の於振はすでに亡くなっており、於振との間に生まれた娘、お春とともに町で傘張りの内職をして暮らしていた。また、禮三郎は、15になった時に、育ての親である、一成の知人夫妻からすべてを聞かされている。初めはショックであったものの、やはり自分の親は間違いなく、今の育ての親であると確信していた。それだけ、その夫妻は愛情をもって、一成を育てていたのである。その後、職を持つにあたり、その知人夫妻は官職を禮三郎に紹介したものの、奔放な禮三郎にとって、その勤めはあまりにも堅苦しいものであった。そのため、彼は早々にその職をやめ、長屋で気楽な浪人暮らしを送ることになる。時はこうして流れ、この物語はなんと『鴛鴦歌合戦』(1939)につながっていく。

 さて、この後のストーリーはぜひ前述した『鴛鴦歌合戦』(1939)を見ていただきたい。これは戦前にとられた、江戸を舞台にしたミュージカル映画である。この映画と、皆さんにご精読いただいたストーリーは完全につながっており、この物語はいわば、歌合戦のイントロである。皆さんにこの映画を見ていただいたうえで、また話は戻り、これからの物語は歌合戦の後日談である。

 「了意さん、おつゆが冷めますよ」
お春はそう告げる。彼はここのところ執筆活動に没頭しており、ごはんができても、本を書くのに夢中で全く皿に手を付けない。どうもお春の父、志村もその執筆に協力しており、たびたび彼のところを訪れているようだ。さて、そもそも了意とは誰なのか。それはもちろんお春の夫である浅井禮三郎のことである。
「名を改めたい、いや改めなければならないのだ。」
唐突のことに、お春も驚くばかりであった。どうも、強い決意があるようだ。お春は、禮三郎の名前をかなり気に入っていた。「禮」という字には、儒教でいうところの、社会秩序を円滑にする道徳、という意があり、彼によく合っているとお春は感じていた。しかし、突如禮三郎が「了意」という名に変えたいと言い出したのである。「了意」という名事態は悪くない。それには「さとる」というような意味がある。悪くはないが何より覇気がない。   
 父の志村は、了意が名前を変えると言い出した時、なぜか、やけに了以の肩を持った。何か、了意が名前を変える理由を知っていたのであろうか。それにしても、了意と志村はやけにお互いのことを知っているようなそぶりを見せる。了意が傘を盗んだ時も、金持ちは嫌いだと壺を割らせた時も、志村はどこかわかっているような表情をしていた。それとなくお春が探りをいれても、すぐに話をそらされてしまう。あまり深く詮索はしないが、お春はすこし怪しんでいた。
 そのころから、了意が書いた本が売れ始めてきた。現実を笑いの中で行おうとする『浮世物語』(1665)、そして日本の奇談を集めた『御伽婢子』(1666)と、続けて著作が話題になり、了意は高い評価を受けた。そして、了意そのものにも関心が集まるようになり、自伝を書いてみないか、作家の卵のために経験を話してやってほしいなどという話がひっきりなしに来るようになった。しかし、了意はその手の話に首を縦に振ったためしがない。なぜか了意は自らの生まれについて、全く人に話そうとしない。
「おれは、今いる誰にも縛られない。坊から浪人になったその時からな。」 これが、了以がよく言うことであった。
 お春は傘張りの内職を続けていたから、家には大量の傘があった。了意もお春が作ったもので気に入ったものがあると、勝手に持って行ってしまう。本当に気ままで、困ったものだが、それもまたお春が了意を好きになった理由である。しかし、了意の傘の中で、彼が絶対に使わないものがある。お春が
「使わないなら、捨ててしまいましょうか?」
というと、その時、本当に珍しく、了意が怒った、また慌てたように、
「絶対にこの傘を捨てては、いけない」
といったのである。
 それ以来、この傘は何かしら了意にとって、大事なものなのだろうと思って、お春も大切に保管している。そして、了意は、家に誰もいない日、そっとその傘を取り出す。鍋いっぱいの水を傘にかけ、それを何回も繰り返すと、文字が浮かび上がってくる。そこには、了意の天命である浅井の血統が刻まれているのである。



『鴛鴦歌合戦』(1939)のプロットをもとに、ギリシャ神話「エルメス」「アポロン」他のエッセンスを加えて構想。

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