お春

 昔、お春という女神がおりました。お春は大変歌が上手で、明るい性格だったので、ほかの神たちから慕われていました。しかし、彼女の父である、狂斎は大変困った性格で、彼女が得たものをすべて自分のものとして、彼女の苦労をよそに人間界に降りては、骨董品を買ってきて、それを眺めながら悠々自適に暮らしている毎日でした。ある日、狂斎がまた、骨董品を買いに人間界に降りようとすると、そこに、一人の若者が話しかけてきました、その男は峯澤という神で、峯澤も同じように人間界に買い物に行く途中でした。二人は趣味が合い、すぐに知り合いになり、お互いの家に行くようになりました。峯澤は非常に身分の高い神様でしたので、非常に広い家に住んでいて、家のそこら中に趣味のものが飾ってありました。逆に、狂斎は、それほどたくさん持っているわけではありませんでしたが、狂斎が選ぶ品は峯澤が気に入るものばかりで、その審美眼を峯澤は大変気に入っておりました。初めて、峯澤が狂斎の家に行ったとき、狂斎の娘であるというお春が出てきたとき、峯澤は心打たれ、なんとしてもこの女性を自分の妻にしたいと考えていました。
 しかし、お春にはひそかに思いを寄せている男性が居ました。それが、浅井という男でした。浅井は神のなかでもっとも奔放な男であるといわれており、決まった役職がなく、ほかの神たちの雑用などをして、気楽に暮らしておりました。その浅井にひそかに思いを寄せているお春ですが、なかなか素直になれず、口げんかばかりしてしまい、口惜しい思いをしていました。浅井もまたお春のことを気にかけていましたが、やはり素直になれていませんでした。
 逆にその浅井に積極的にアプローチをかけていたのが、おとみです。おとみは、お春の友人でありましたが、おしとやかながらも非常にしたたかな性格で、たびたび浅井のもとにきては、口説いていましたが、一向に首を縦に振らず、あいまいな返事ばかりつづける浅井に、お春と同様にやきもきしていました。
 ある日、お春が用事のため家を出ると、急に現れた牡牛に襲われ、そのまま連れ去られました。それは峯澤が牡牛に化けた、というものであり、お春にアプローチをかけても、まったくいい返事がもらえないため、いっそ連れ帰って既成事実をつくってやろうと思い、誘拐を決意しました。普通は親である狂斎がお春を探しに行くものですが、実は狂斎と峯澤はひそかに約束をしており、それは、お春を峯澤の妻にする代わりに、狂斎は峯澤から資金の援助を受けるというものでした。そんなことも知らないお春は誰にも助けを請えぬまま、峯澤に誘拐され、妻になるというまで、監禁して、さらにお春を蛙の姿に変えてしまいました。
 そのことにいち早く気づいたのが、浅井でした。彼は、お春が連れ去られた翌日、お春がどこにもいないことに気づき、すぐに狂斎を問い詰めました。すると狂斎は約束のことを話したので、浅井はすぐにお春を探しに行くための準備をしました。これに危機感を覚えたのがおとみでした。
 もともと、おとみはお春が誘拐されたことを内心うれしく思っており、これで十分浅井にアピールができると考えていました。しかし、浅井がお春を連れ戻しに行くと聞いて、このまま浅井がお春を連れ戻してしまうと、お春と浅井が結ばれてしまう、しかしお春が戻らないと浅井は落ち込んだまま元気にならないかもしれない、という状況になってしまうと考えたおとみは、浅井とともにお春を連れ戻す旅に同行することにしました。そうすれば、浅井にアピールできるチャンスも沢山あるし、お春に恩を売ることができると思ったのです。
 おとみも峯澤ほどではありませんが裕福な家の出身であったため、すぐに部下数名と、獅子の毛皮、長槍を持って、まず峯澤の場所を探すため、六兵衛というもっとも地位の高い神の一人に神託を聞きに行きました。六兵衛は、お春が好きな歌を歌うように浅井に言いました。そうすれば、道が開けるというので、浅井とおとみは歌を歌いながら道を歩いていると、どこからともなくあらわれて蝶がいつのまにか群れを成して、道を示し始めました。少しでも歌うのをやめると、蝶がすぐに散らばってしまうため、一行は歌い続けながら進み続けました。
 すると、目の前に川が突然現れました。ずっと歌い続けて、喉が枯れていたので、部下たちはすぐにその水を水瓶に注ぎ飲みました。するとたちまち、部下たちは溶けてなくなってしまったのです。浅井が、投げ矢を川のほうに投げると、何もないはずのところに、投げ矢がささり、突然、大きな三俣の蛇が出てきました。浅井は残った部下たちと勇敢に戦いましたが、一人、また一人と殺されていき、残ったのは浅井とお春だけになってしまいました。
 大蛇にも、大きな傷がつけられていましたが、明らかに絶体絶命という状況でした。しかし、全くあきらめていない浅井に、最初から大蛇におびえて動けなかったお春は強く奮い立たせられました。このままでは、浅井と結ばれる夢が潰えてしまうと思ったお春は奮い立ち、どのように倒せるかを精一杯考え始めました。すると、昔読んだ本の中に、この大蛇とよく似た大蛇が出てきていたのを思い出した。その絵本の中で、大蛇を倒した勇者は、内臓に投げ矢に塗られた毒が入り、苦しみながら暴れまわった隙を勇者につかれて倒されたのだと書いてあったことを、おとみは思い出しました。そうして、おとみは投げ矢に塗れるだけの毒を塗り、それを浅井に渡しました。浅井は一瞬のスキを逃さずに投げ矢を投げ、それが大蛇の腹に刺さると、大蛇は苦しみだし、暴れまわりました。一瞬大蛇の口が開いたかと思うと、それを見逃さなかったおとみは投げ矢を投げ、それを大蛇が飲み込むと、明らかに大蛇の動きが鈍りました。そして浅井は持っていた長槍で大蛇の三つの頭をすべて突き刺し、ついに倒しました。
 二人だけになってしまいましたが、二人は歩みを止めることなく、進み続けました。その間、浅井はお春のことをずっと考えていました。このようなことになるならもっと早くに正直になって、お春に気持ちを伝えるべきだったと、そのような公開ばかりが頭をよぎりました。おとみはそれを見て、少し落ち込んでいました。自分が愛している浅井は、最後に自分に振り向いてくれないと思うと、悲しみがあふれてきそうでしたが、最後まで浅井に付き添う覚悟でおりました。
 ついに二人が峯澤のもとにつくと、そこには峯澤と、蛙になってしまったお春の姿がありました。すぐにその蛙がお春だと分かった峯澤はすぐにお春を助けに行こうとしましたが、それを制止して、峯澤は言いました。
  「そのままこちらに来れば、蛙になってしまったお春を後ろにある崖から落とすぞ、それが嫌ならば、貴様らのどちらかがこの崖に飛び込むことだ。そうすればお春は生きて返してやる。これは六兵衛様の名において、必ず守る。」
これを聞いた浅井は、覚悟を決めたような顔をして、おとみに言いました。
  「お春を狂斎のもとではなく、おとみのところで雇ってほしい、きっと役に立つ、最期の願いだ。」
このように言い残して、浅井は崖に向かって歩き始めました。すると、急に浅井の腕が後ろから引っ張られました。それはただ泣いていたお富でした。浅井が引っ張られて、後ろに倒れると、おとみは立ち上がり、崖に向かって走り出しました。そして、崖に飛び込み、奈落の底に落ちてゆきました。
すると、蛙に変えられていたお春が元の姿に戻りました。するとすぐにつけていたかんざしを取り出し、峯澤の首元に突き刺しました。峯澤は驚く間もなく、倒れてそのまま死んでしまいました。そしてそのまま地面に崩れ落ちたお春は泣きました。峯澤もただ呆然としながら、すこしたつと涙があふれてきました。その後、お春は浅井と結ばれ、おとみのために立派な墓が建てられました。お春は狂斎のもとを離れ、浅井と放浪することとなりました。峯澤がもっていた骨董品は、すべて誘拐の罰として、六兵衛に没収され、同じように狂斎のものも、峯澤との密約のために、没収されました。
 とある日、六兵衛にお礼を言いに行くといって、お春は手土産の酒をもって、一人で六兵衛のもとへ向かいました。そして、六兵衛と再会すると、二人で大きく笑いました。お春は言いました。
 「すべてうまくいきましたね。」
六兵衛もうなずいて、お春がもってきた酒をあおりました。
 「峯澤も浅井もみんなうまく動いてくれたものだ。」
こう言って、没収した骨董品をながめてまた笑いました。
実はこの一連のながれはすべてお春と六兵衛が仕組んだものでした。お春は以前から、浅井にすり寄ってくるおとみと、自分にすり寄ってくる峯澤をうっとうしいと思っていました。また六兵衛も狂斎と峯澤が持っている骨董品を自分のものとしたいと思っていました。そこで二人は、この計画を思いつきました。浅井が大蛇に殺されなかったのも、歌うと蝶がやってきたのも、すべて六兵衛が事前に手をまわして仕組んでいたものでした。最後も、浅井が崖に飛び込んだ場合は、助かるようにすべて準備してあったのです。この計画は二人の想像以上にうまくいき、結果として、二人は完全に望んだ結果を得ることができました。
 その後、浅井とお春は二人で仲良く幸せに暮らしました。度々おとみの墓を訪れては、二人そろって涙を流すのです。しかし、そこに埋まっているのは本当におとみなのかは誰も知りません。今もまだ崖の下で眠っているかもしれません。その墓を作り、死体を埋めたのは六兵衛とお春なのですから



『鴛鴦歌合戦』(1939)のプロットをもとに、ギリシャ神話他のエッセンスを加えて構想。

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