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伝える力、部報(部活便り)

新潟県教育委員会がnoteさんと協定を結び、全ての県立高校にnoteを活用するように決めた。今のところ学校によって差はあるが、目的は「職員、生徒の情報発信能力の向上」。我がバスケ部員も、一年間で一人が一つ投稿することを目標にスタートさせた。

私の部報

大学を卒業後、そのまま佐渡にある羽茂高校で教師生活、指導者生活をスタートさせた。当時は1990年代前半、インターネットはおろか、携帯電話もない時代。幸運だったことは、近くの小学校、中学校に私の赴任と同時に素晴らしい先生が転勤してきたことだった。夜教員住宅に戻ると、試合の後や留守番電話に「丸亀屋さん(お蕎麦の美味しい飲み屋さん、失礼、蕎麦屋です)で待ってるよ〜」というメッセージのたびに、飲みながらバスケットのこと、学校のこと、子供たちのこと・・・・とにかく学んだ。教師としての師匠と言っても過言ではない。そんな○川先生は試合があると試合の様子を保護者に伝えるためにバスケ部便りを発行していた。当時は試合を保護者が見に来ることは少なかったので、子供達が夢中になっている姿を保護者に少しでも伝えるために始めたそうだ。
感化されやすい私も早速、部報として試合のたびに発行するようになった。タイトルは「心を込めて」だった気がする。中心選手は私が褒めなくてもみんなから称賛されるので、できるだけ多くの選手の名前を掲載するようにした。当時はワープロで文書作成、3.5インチフロッピーディスクに保存する時代。全く残っていないのが残念!
羽茂高校では「心を込めて」何号までかは覚えていない。高田高校では「挑戦」68号、上越総合技術では「がんばれ!(横断幕の言葉)」55号、長岡工業では「飛翔悠久(玄関の石碑の言葉)」16号、現在の柏崎高校では「燃えろ柏高(横断幕の言葉)」現在40号

選手たちも楽しみにしていて、自分の名前が出ることは楽しみのようだ。
ただ、時代とともに内容も変わってきた。今は試合の様子は映像として残るので、活動の記録、試合の振り返り、その時の状況に応じたメッセージを伝えることを目的としている。
様々な著名人の名言を載せることも多い。
さらに、県総体後(3年生引退後)は、3年生一人一人へのメッセージと一年間の活動振り返りの特大号を制作する。20代〜30代前半は大会数日後のミーティングで配布するために、夜遅くまでパソコン(ワープロ)と格闘していた。

この習慣?は学年主任となった時の学年だよりにめちゃ目や活かされたと思う。学年便りの話はまた後日。

卒業したOBも部報のことは印象的だったようで、よく飲み会のネタになる。

多分、指導者を辞めるまで書き続けるんだろうなぁ

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