兄弟間格差、教育虐待を経験した私の人生

 勉強をしなかったら無視。ちょっとでも親の気に入らないことをしたら無視。頑張っていても辛くなって相談したら、じゃあ辞めればいいじゃないと顔を見ずに圧力をかけた言葉を言われる。親が自分が疲れて不機嫌な時の精神的苦痛を受ける言葉と行動。運動も勉強も何やっても難なくこなす姉のひいき、勉強が出来なくても一番下で可愛がられる妹。

 私は、三姉妹の真ん中っ子だ。私の姉は、運動は何をやっても人並み以上に難なくこなし、勉強については中学校受験に合格し都立の中高一貫校に通い、今は国立の一流大学に通っている。妹は、小さい頃から一番下なので何をしても可愛いと許され、勉強はできないが、いつも家族の中心としてどんなわがままも聞いてもらえる。中学校受験で偏差値がそれほど高くないお嬢様が通うような中高一貫校に通っている。

そんな兄弟に挟まれた私はと言うと、中学校受験はせず公立の中学に通い、それなりの私立高校に入り、今は私立大学の獣医学部生である。今のところそれなりの人生であると思う。私立大学、しかも理系で、獣医学部というかなり学費の高いところに通わせてもらっている点でいえば、とても私は恵まれた環境なのだと思う。だけど、そこには隠された背景がある。今回はそれについて語りたいと思う。

1.教育虐待と兄弟間格差

私が小学校に入ったあたりから、親の目が変わった。幼稚園までは思いっきり運動したり、遊んだり出来ていたのだが、小学校に入ってから、私は親が嫌いになった。というのも、宿題だけは真面目にこなす私に、母は不満を持っていた。家で勉強できるチャレンジというものをやらされていたのだが、私は自閉症とかそういう障害ではないはずなのだけれども、こだわりが強かったり、人の話を最後まで聞くのが苦手だった。特にこだわりが強いのとと耳から入ってくる情報に極端に弱かった。勉強は宿題と毎日ひとつ進めるチャレンジだけと勝手に決めていたのだが(なぜそこにこだわっていたかは覚えていない)、母は、ここまで終わらないと夕飯は抜きにすると言ってきた。それに逆らうともちろん夕飯は抜きだし、それから1週間程度、顔を見て話してくれなかった。それは段々エスカレートしていった。

姉が小学5年生の時、中学校受験をしたいから塾に入れて欲しいと頼んだ。両親は中学校までは公立でいいと思っていたのだが、姉が頼んだことなので受け入れ、全く両親が受験に無関心だったのに、難関都立高校に合格した(その他私立もほぼ全て合格)。それからというもの、当時、私は3年生になろうとしていたのだが、姉が受験に成功したことで、私は自分が入りたいからではなく、両親に強制的に塾に入れられ、そこから地獄の受験勉強が始まった。まず、母に連れられ何個も塾の体験に行き、最終的に姉がいっていた塾に決定した。そこではクラス分けテストがあるのだが、中学生までは宿題とテスト勉強くらいしかしていなかった私は、1番下のクラスになった。授業では、講義を受けたあとその日で習ったテストをするのだが、私はとことん耳から入ってくる情報に弱く、授業を聞いて覚えるなどこの人生で1度も出来たことはないほどだから、そのテストはほとんど毎回酷いものだった。だから、毎日家では母に無視され、それを見て見ぬふりをする父と、私が無視されると逆にいい気になって母と楽しそうに話す姉と妹。それがまだ小学3年生の私にとってどんなに傷つき、どんなに悲しかったか、誰も知らない。この気持ちをわかってくれる人は、誰もいなかった。味方になってくれる大人なんているはずなかった。

それから1年、あまりにも勉強が嫌いになり、家では勉強するふりをしていたが、塾にいってもぼーっと座ってるだけで聞こうと思っても今まで以上に情報が頭に入っこなくなった。姉と違って塾に入ったのに成績の上がらない、むしろ落ちていく私を姉は見下していたし、母や父は、落ちこぼれだと毎日のように言っていた。妹は両親に可愛がれるためにさらに可愛こぶっていた。さらに、父方のおばあちゃんや、母の姉に私が勉強出来ないことや、落ちこぼれだと電話する度に言っているのが聞こえた。だからもう無理だった。私は、受験を諦めた。いや、したくなかった。

中学校の公立に入ってからは、それなりに楽しかった。先生が私のことをよく分かってくれて、話をよく聞いてくれた。ここまで深い話はあまりしなかったが、それでも気が楽になった。小学生の時からしていたバスケ部に入り、都大会に出場するほど、まぁまぁ強かったと思う。私はそこのキャプテンだった。それに、冬休みの課題の書道や、読書感想文で入賞したり、3年生の時には、体育有料生徒にも選ばれた。それでも両親に褒められたことはなかった。それどころか、勉強の話ばかり。中3の時にまた行きたくない塾に入れられ、この時は、4つのクラスのうち上から2番目のクラスだったのだが、その中の最下位だった。塾の先生にはこのままじゃどこにも受からないと言われ、家ではそんなこと言われたなんて言えるはずもなく、生きづらさを抱えていた。高校はどうにか中学校の内申もあり、それなりの所に入学できた。しかし、その前に問題がある。私が中学1年の時、姉が国立の超一流大学に合格したのだ。すごいと思った。でも羨ましいとも思った。そんな姉を両親は褒め称える。私も勉強を頑張ったらあんなふうに褒めてもらえるのだろうか。だが、そんなことを考える余裕もなかった。なぜなら、お年玉という問題があったからだ。私の家ではお年玉は勉強や何かで頑張った順に金額が変わるのだが、私は小学校5年生の時から妹と同じ金額をもらっていた。それに対して、姉の金額は私の倍はゆうに超えていた。両親曰く、私は一応妹より歳が3つ上だから、この金額にしてあげた、と。悔しかった。悲しかった。これが人生で最大に親に言われて傷ついた言葉だ。死にたくもなった。

それから、高校に入った。高校3年間お年玉は妹と毎年同じだった。今まで勉強をあまり頑張れなかったけれど、この高校は面倒見がよく、私は高1の頃から平日3時間以上は勉強し、長期休みは毎日学校に通い、朝から晩まで勉強していた。その甲斐あってか、無事に第2志望校の獣医学部に合格した(受けた大学8校中8校合格した)。国立の薬学部にも合格していたが、両親がどちらも薬学部出身だったので、薬学部にはどうしても行きたくなくて、自分で奨学金を借りて私立の獣医学部にした。親は満足しているようだ。母はママ友に私のことも自慢げに話しているようだし、父も何も言ってこない。姉は前と違って私に優しくしてくれるようになった。妹は、私を尊敬していると言う。

都合のいい話だと思う。都合の悪い時は無視したり、精神的に追い込んできたのに対して、ちょっと都合がよければ手のひら返す。ほんとに世の中不公平だと思う。都合のいい世の中だと思う。私はまだそこまで大人になれないので許せない。っていうかこれまでの人生をどうやって自分のものにしていいか分からない。ずっと親に支配されていたから。子供にとっては親が全て。逃げ出すことも縁を切るなどと言ったこともすれば、命と引き換えになる。ほんとうにひどいと思う。

今は、普通に接せられてる。顔を見て話してくれるし、ご飯を作ってくれる。でもお手伝いをしないとまた前みたいにそっぽ向かれる。だから今も、親の言うこと絶対だ。正直大学で家を出たかった。しかし、地方の大学には行かせてもらえなかった。どんなに頼んでもダメだった。今、私はどうしていいか分からない。この先をどう生きたらいいのだろうか。

もし良かったら、こういった環境で育てられてきた方や、こういったものの専門知識がある方がいらっしゃったら是非アドバイスが欲しいです。今はもう大学生になって、前向きにいこうと頑張っているところなので応援してくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。


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