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価値とは普遍的なものではない

私は物に執着がない

まったくないかと問われれば
自分で作った指輪を好んで身に着けたり
何かルールを持って選択したりしてはいる

しかしそのどれもが失くして死ぬほど後悔とまではいかない
愛着はあるが執着はしないというところか

なので物へ執着心を持っている人の思考を理解するのは難しい
たいていの物体は時間が経過すれば風化するなり
陳腐化してその価値を失う
所詮はその程度のものなのである

肉体も物体といえばそうではあるが
所謂個々の物体とは明確な違いがある

意識の差というわけではないが人などの生命と
鉛筆などの物体と無意識・無自覚的に差が生じるのは
当然といえば当然である

物の価値とは何で決まるのであろうか
それは個人が感じうる妥当性で決まるのだと思う

1本150円の飲み物があるとして
真夏の炎天下で3時間何も飲んでないなら安いと感じ
喉が渇いてもいないのに小銭が必要になって
買うに迫られれば高く感じるだろう

1本150円の価値が変わったわけではない
受け取る側のスタンスで物の価値に対する評価が変わったのだ

では150円の価値というものは
普遍的なものであると言えるだろうか?
さっきの例をとってみれば真夏の炎天下で喉がカラカラなら
きっと150円以上の価値を感じるだろう

価値とは何か
対価という話ではない

確かに定価があるものにとって
価値はそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれない

しかし本当にそうか?

すべてが時価でしかなかった時代があったはずだ
そんな中でも平時であれば物価は必ず安定する

それは同じものが同じ価格でなければ
必ず安い方の需要が高まり
結果高い価格を付けたものの価格を下げざるを得ないという
価格均衡性によるものだ

もちろん一時的には需要に応じて
高い価格のものが売れることもあるが
長期的に同一品を比較すれば外圧がない限り
価格は必ず安定するという理論である

では人はこの時の妥当性をどのように考えるのだろうか?
妥当性は複合的な要因によって決定される
そのため妥当性を決定する個人であっても
同じものを同じ価値と常に捉えないものである

つまり価値とはどんなものでも常に変動していると理解すべきである
定価として設定されている価格はあくまでも
その物体を手にいれられる価値でしかなく
その物体の価値を普遍的に定義付けるものではない

物体の価値が普遍的ではないのと同じくして
人の価値も言わば普遍的ではない

価値というと酷く冷淡な印象を受けるかもしれない
しかし無自覚的に人は他者を評価し
自分の中の位置付けを理解しているものだ

どこまで倫理観で押しつぶしたとしても
個人の中に他者を評価し位置付ける思考がある限り
個人の中の他者には明確な価値基準があるはずである

自分の家族と見ず知らずの他人とが
同価値とならないのは不自然なことではない

関係値が低ければ必然的にそこに湧き上がる感情は希薄になる
それはどんな綺麗事を並べても致し方ないことである

人間はコミュニケーションする生き物であり
関係値の構築をその生きる過程に取り込んだ生命体である

他者に言葉を投げかけられ
こちらからも投げる

その最中 自分と他者の価値観の相違から
独善的に言葉を投げ合うこともあるだろう
そうして構築していった他者を理解したという勘違いが
その他者への価値・位置付けとなっていくのである

価値があるのかどうか
価値をどのように捉えるのか

それは個々人によって様々な考え方があるのだ
ある人にとっては真面目な人でも
ある人にとってはろくでなしであるのかもしれない

それはあくまでも自分との接点の中だけで出来上がった
価値基準・位置付けに過ぎないのである

だからこそあなたは他人にとって価値ある人間である必要がない
私もそうだ
自分が他者にとって価値を感じる人間である必要性がない

結果として私の振る舞いが誰かにとって価値のあるものである可能性はある
ただそれは望んで生まれた結果なのではなく
まさに現実の中にある偶然の産物に他ならない

誰もが自分の価値を考える
社会にとってコミュニティにとって
貢献出来る人間を目指すよう社会は強要する

しかしあなたの価値はあなたが決めれば良い
誰かにあなたの価値だけを利用されるようなことがあってはならない
そして生きる理由を誰かに利用される価値の創出にしてはいけない
あなたは自分のために生きている
だからその価値は生きていることそのものにある

価値なんてものはただの都合の良い言い訳に過ぎない
言葉遊び・物は言いようというだけの話だ
誰かも評価されたくなければ独りで生きるしかない

独りで生きられるようには世界はデザインされていない

だからこそ人は他者を意識する
意識するからこそ
そこに傾倒しがちになる

そこで踏みとどまって自分の価値のためだけに意識し続けることが
生きるということなのだろう
あなたは誰のものでもない
私も誰のものでもない
だから価値は自分で決めてい良いのである

あなたも今一度周囲を見渡して物の価値を考えてみて欲しい
値踏みをする自分に嫌気がさすかもしれない
しかしそれが人間の本能的な感覚であることも自覚できるだろう
街の景色が
見え方が
少しは変わって見えるかもしれない

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