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労働するを考える-人にとっての労働とは何か-

労働とは
人が生産活動を行う上で行う行動
もしくは生活手段として行う行動
と一般的には定義される

しかしイメージする労働とは
収入のための活動であり
その言葉の中に「楽」というイメージは
あまり感じられない

苦労をするから人間は成長するのか
楽しい・嬉しいなどの感情では
人間は成長しないのか

そもそも労働をせねば人間は生きていけないのか

これは一般的なイメージの問題ではなく
個人が捉える位置付けの問題であろうと考える

例えば生活に必要なことであれば
炊事や洗濯
簡単な掃除や買い出しなど
いわゆる家事労働も労働である

つまり生きている限り
行動すれば
そのすべてが労働なのだ

では趣味に費やす時間はどうか?
これも個人によって尺度が変わる
生きるために必要不可欠な行動でないのであれば
労働とは言い難いのかもしれない

しかしその趣味で生計を立てている人はどうか
趣味が実益を兼ねて
見る人が見れば労働となっているのだ

これは個人向き合い方
労働の在り方の定義の仕方によるだろうと考える

人間は少なくとも
人生の1/3の時間を寝て過ごす

最近の生物学論では生物の正常は寝ている時で
活動状態をより長くする必要があったため
覚醒という異常状態を一時的に維持しているという

これは原生生物がそもそも増殖のみを考え
他の活動を行う機能を持たなかったことに由来する

この考えには私なりに納得出来ないこともある
動的な原生生物もおり その一つがミトコンドリアである

静的な原生生物であったアーキアが
ミトコンドリアを取り込み
酸素からエネルギーを取り出す
という現在の真核生物の形を成した

酸素をエネルギーに変えるのは
一般的な他の惑星系を観測する限り
かなり異常なことである

酸素は他の物質と結び付きやすく
鉱物などの酸化がイメージしやすいが
腐食や腐敗の原因となる

それは細胞にとっても例外ではない
つまり自身で恒久的なエネルギーを得るのと
引き換えに死を獲得したのである

そして真核生物は進化の過程で
外部を知るための知覚機能を獲得し
自分以外の他者を認識する機能を得る

そのことで警戒を怠ることなく
またコミュニティの形成
社会活動を行うために覚醒する時間を
延長せざる得なくなってしまったのだ

睡眠が身体に与える効果について
実はあまりはっきりとした研究結果がない

不眠については覚醒時の影響に
ここまで豊富にエビデンスがあるのに対して
睡眠そのものが与えるのは心身の休息であって
どのようなプロセスを取るのかはわからなかったわけである

しかし発想を逆転させて
睡眠している状態が通常なのであれば
覚醒していることは異常であって
異常を維持するのは相当なエネルギーを必要とするのである

そう考えると我々は異常な時間を
人生の2/3占める時間に費やしていることになるのだ

しかしこの異常な時間を設けねば
人はここまで文明を発展させることは出来なかったであろう

覚醒状態こそ通常の状態だと勘違いし続けることで
人間を含む覚醒をする動物はその種の繁栄に寄与してきたのである

だいぶ前段が長くなってしまったが
たいていの人にとって労働とは
生きることと同義であって
そもそもしなければならないことではあるものの
労働の定義は曖昧かつ膨大であって
個人が必ず何かをせねば世界の均衡が崩れるというものではない

つまり人間という種において
個人の労働とはその程度のことなのである

働きアリが巣穴に餌を運ぶのも
観測者から見れば労働に違いないが
報酬があるわけではない

社会構造の中で必要だと認識していることを
個々人がそれぞれの意識の中で行動しているに過ぎないのだ

人間社会における人口量は増加の一途と辿っており
一個人が何かをしようがしまいが
ほとんど影響を受けない

技術の発展は人一人当たりの労働量を減少させる
アリのように構成員のすべてが全力で働く必要はないのだ
※アリの中にはちゃんとサボる個体もいる

ではいわゆる収入労働に費やす時間が
短くなる中で人間は覚醒という異常時間を
どのように過ごせばよいのだろうか

結論を言えば
好きにすれば良いのである

ずいぶんと無責任なようにも聞こえるかもしれないが
自分が思うほど他者は自分の人生に興味はない

では他人のために
他人の在りようのために
自分を犠牲にする必要はない

社会人数年目の若者たちが
自分達の成長する先や
やりたいことが見つからないと
嘆く光景を何度となく見てきた

その都度
そんなものは自分で決めればいい
見つからないなら
とりあえず何でもいいから石を投げてみればいい
その石が自分の目印になることもあれば
危険察知に寄与するかもしれない
と言ってきた

そういう私はどうか
自分の人生における労働とはなんだろうか

こと仕事人間である私にとって
労働とはただ収入を得るための活動ではない

趣味のために費やす時間も
私にとって不要な時間ではない以上
労働に他ならない

では収入労働も生活労働も
大した違いや価値などないのだ

人間の寝る以外の時間は
死ぬまでの暇つぶしのようなもので
その時間をどのように使うか
どのようなスタンスでいるかという
心の持ちようだけでしかないのだ

それでも日々
自分や周囲や環境に
嘆き悲しみ喜ぶ
それで良いのだと思う

そこにたいそうな意味や結果など
求めなくても良いのだ

みなさんにとっての労働とはなんだろうか
覚醒状態が異常であるなら
寝て過ごしてみるのも一興ではないかと
筆者は思う

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