見出し画像

幸福とは~哲学という思想~

幸福とはなんだろうか

定番の辞書上では
恵まれた状態にあって満足に楽しく感ずること
しあわせ

幸福の定義をしあわせと表記するのは
辞書の表現の面白さか

人は幸福にならなければならない
なぜならなければならないのだろう

確かに恵まれた状態にあって満足し楽しく感じる
そんな状態が長く続くことを人間は本質的に望んでいる

ではどうやったら人は幸福になることが出来るのか?

人間は古来から
なぜ人は生きているのか?
どうすれば幸福に生きられるのか?
その疑問と向き合い続けてきた

人間に限らず原生生物は真核生物に進化する際
ミトコンドリアを取り込んで
生き物の毒である酸素を吸い込みエネルギーとすることにした

酸素はあらゆる物質と化合し場合によっては
酸化作用によって細胞を腐敗させる

こうして生物は積極的な死を手に入れた
積極的な死とは可能性のダイスを振り続けることに他ならない
何が成功で何が失敗かはわからない
それでも生まれ死ぬまでのサイクルを無限にも思える回数
試行することで我々人間まで辿りついた

そして人間はこう思考した
なぜ人は生きるのか?
どうすれば幸福になれるのか?

それは生命誕生の起源から今日にかけてまで
多くの生物達が積み上げてきた死を
自分達 人間はどのように向き合えばよいのかという思想

それが哲学というものである

最初の哲人といわれる
ソクラテス

哲人ソクラテスはある日
アポロンの神託を受ける

彼の弟子カイレフォンがアポロンの神託所で巫女に
ソクラテス以上の賢者はあるか
と問うと

ソクラテス以上の賢者は一人もいない
と答えたという

ソクラテスは自分には凡そ知識などはなく
賢明ではないと自覚していたため大いに驚いた

彼は自分の認知を確かめるため
街に出て知識人達と問答を行うことで
自分の無知を証明しようとした

しかしこれが予想外の結果を生む
彼が街中で自身の意見を述べる政治家や詩人たちに
問答を試みると自分の専門分野については
朗々と意見を述べるのに対して
他のことは知っている
わかっていると思い込んでいるに過ぎなかった

ソクラテスはこの問答から
知らないことを知っていると思い込んでいる人よりは
知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く
知識の上で少しばかり優れていると理解した

また神託において神がソクラテスの名を出したのは
一例に過ぎず その真意は
人智の価値は僅少もしくは空無に過ぎない
最大の賢者とは自分の知恵が実際には無価値であることを
自覚している者であることを指摘することに
あったと解釈している

彼の発言によく見られる
神のみぞ知る
とは人智では限界があることと
深い神への尊崇の念からである

彼は政治家や有名な詩人たちを公衆の面前で
侮辱したことで恨みを買い
アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ
若者を堕落させた罪で裁判にかけられ死刑に処される

当時は看守を少額の賄賂で脱獄が容易に出来た
弟子たちも彼の脱獄を助けようと駆けつけたが
彼の意志である
ただ生きるのではなく よく生きる
に従い毒ニンジンの盃を仰いで死を選んだ

私は高校生の時
哲人ソクラテスを知った

無知の知・助産術・悪妻クサンチッペと
用語ばかりが先行したが
彼の心理とは現代においては稀有に他ならない境地である

自身が神から最も賢いと評され
自身に慢心することなく探求し
自身の意志を貫き法に殉じた

現代の世で世間から注目され
その手腕を評価されることはあっても
神にその存在を認められることなど
そうはあるまい

もしそうだとして
神の神託に慢心すれば
どこぞのカルト教団のように
狂気に走り他者を傷つけてしまう

神の声が聴けるのなら
自分の考えが正しいなら
他者を傷つけて良いわけではない

ただ生きるのではなく よく生きよ
とは漫然と受動的に生きるのではなく
自発的に能動的に生きねばならない

彼が残した言葉はあまりにも大きい
人間の智には限界がある
それを他者に自分を過大に評価させる手段にしてはいけない
自身に慢心しても
自己の保身に走ってもいけない

自分が知るのは自分のためであって
他者を弄するためではないのだ

自分がよく生きているであれば
不正に身を汚して自身の意志を曲げることに比べれば
死すらその障害になりはしない

彼の壮絶な人生を知るにつけ
知識をもつということを曲解してはいけないと思う
誰かよりも何かを知っているなど
神が知っていることに比べれば
ほとんど誤差の範疇でしかない

自分も知らないが
他者も知らない
それが普通で当たり前なのだ

だからこそ
幸福を求めるなら
よく生きねばならないのだ

私はソクラテスを知ってから
常にこう考えるようになった

人生はどこで終わるのかわからない
明日事故で
この瞬間にも病気で亡くなるかもしれない

であるならば
今を大事にすべきだ

一分一秒
その中で何か経験を積むように能動的に動くこと

今日より明日の自分は
少しでも成長していること
それを目指すように心がけること

誰かより
そんな指標は必要ない

私の幸福の中に他者の尺度は存在しない
他者の笑顔や幸福の小さな手伝いにはなるかもしれないが
それは個人が各々努力をしたからに過ぎない

人は一人で幸福になるのだ
そのために自身との対話を忘れてはならない
慢心し怠惰に時間を過ごすのは勿体ない

幸福という尺度は人それぞれである
だからこそ自身の幸福への道筋だけは
自身に正直に向き合っていたいものである

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?