『イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方』を読んで

自分の「イドコロ」はどこにあるのか?
そんなことを考えていくきっかけになる本だと思いました。

イドコロの種類

本を執筆した伊藤さんによれば、イドコロの型を身体の免疫系に喩えて「自然系イドコロ」と「獲得系イドコロ」の2つに分けることができるようです。

自然系イドコロ

普段生活する中で自ずと生じる。一般的に強い継続性があり、負荷の大きい助け合いが行われることが多い。家族といった生活を共同する集まり、友人、仕事仲間が該当する。

獲得系イドコロ

必要に応じて自分でつくったり見つけたりすることができる。流動性が高い。ちょっとした手助けをしてもらっても、負い目を感じにくい。趣味、公共空間、お店、オープンスペースなどがある。

私のイドコロとなる場所

私のイドコロはどこになるのか。本を読みながら考えていたのは、知り合いが経営している喫茶店のことです。本の中でも、個人店も居場所の一つとして機能しているとしていました。店は開かれた空間ですが、個人店は精神的なセーフティネットにもなりやすいそうです。

私のよく行く喫茶店も地域の利用者がいます。利用する人との会話もあります。イドコロとしての機能を発揮していると感じています。

イドコロはありますか?

今の日本社会は効率を求めている状態にあります。イドコロは非効率的なものとして排除されているのが現状のようです。ゆとりの持てない社会になったと思います。

喫茶店している知り合いは、「子どもたちがゆっくりできる場所をつくりたい」という思いでこども食堂を始めました。月に1回の活動ですが、もうすぐ7年経ちます。スタッフも含めて来られた人たちのイドコロとして機能しているようです。

孤立しやすい社会になっています。ネット空間にイドコロを見出そうとしている人もいると思いますが、総合的に見てイドコロとしての機能は発揮しにくいと思います。

誰かと一緒にいて楽しめるような空間があれば、そこがイドコロとしての機能があると思います。そんな場所はありますか?

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,797件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?