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圧倒的に欠けた熱量

 僕は、今、猛烈に悩んでいる。定期的にこの悩みは訪れるのだが、今回ばかりは早々に帰ってくれはしないだろう。その悩みというのは「私は面白くもないし、なんの一芸にも秀でていることもないのに配信なるもので喋って良いのだろうか?」という悩みだ。僕はツイキャスというところとラジオトークという場所で配信をさせていただいてるのだが、毎回思うのが、こう出来たらな〜とかいやこのツッコミの仕方がよかったかな?とか悩むのだ。兎にも角にも、どうしたらよかったんだよ!!という感情が勝つ。いや、少年誌の主人公がショッキングな場面に立ち会った時みたいなリアクションをしてもじゃない?って話ではあるのだが、配信は多分好きなのだろう。僕自身はっきり言って好きとはまだ言えないし。今の自分はどこか配信に対して「熱量」がない気がしてならないのだ。何故なら「配信中でもあるにもかかわらず我関せず」みたいな感じになってしまったり。リアクションも大きくとろうとしなくなったり、自分の喋りを聞いた方々が口を揃えていう「熱」や「勢い」があったりなかったりする頻度が増えてしまったようにも思う。個人的な主観でしかないし、正確な裁量や、判断基準がないのでこっちに託すなそんなものと。この駄文の綴られたnoteを読んでいる方は思うだろう。だけど僕は思った「自分の喋りで何か事を面白くするという荒波」に自ら飛び込んだようなものなのだから、その楽しさを享受していければなと。とtacicaという北海道発のロックバンドの曲の「aranami」という曲を聞いてそう思った。曲中の歌詞に「生きているならやり方は命の数だけ正解はないくせに間違いを正す」とある。じゃあ僕の喋りが自分にとってよければいいのか?どうなのか?そんなことは簡単にはわからない。だが僕はそれでも今日もどこかで喋るのだろう。圧倒的に欠けた熱量を増やすために荒波に乗りながら 終

tacicaのaranamiへのリンク「https://youtu.be/xnZn1NwYUhc」

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