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自信×自身

考えてるのか、考えていないのか、自らの思考というものが分からない。これは僕という人間が抱える永遠に問われても答えられない一つの課題のようなものだろう。

僕という人間は、この問題を見てみぬふりをしている。何故だと問われても答えられないものが多すぎるからである。思えば幼少の頃から考えるのが得意ではない自覚はあった。両親に、何かをやろうと提案をしたら真っ先に言い返す余地のないまでの言い方をされた会話が何個あったろう。成長過程で「提案する」という、行為を恐れていくようになった感覚だけはしっかりと今も残っている上に、時折その残穢を抱えているのだなと思わされる場面もしばしある。まず、何か人との会話で口を開こうにも重く思う時もある。そんなに大した話じゃないが返答のミスを減らしたいとか余計なリソースを割いているのだと帰路についてから気付いた事もあった。だが悪癖は早々に治らず最新家電を買ったは良いものの、使ってない人みたいに持て余している。何がしたいのか。何になりたいのか うまく説明は出来ない。文字にも起こせない。そんな事をふと思っていると、あることに気付いたのだ。「なぜ僕は人に対して興味を持たないのか」と言うことに対しての気付きである。僕は最近気付かされたのだ、人に興味ないよねと言う不意に放たれた誰かからの一言によって、気持ちは揺らいだ。目を向けたくなかった箇所で、結論が見えそうにないし、僕の人生が続く限りはこの問題はずっと後ろをついてくる。そんな問題のヒントになりそうなものを掴んだのだ、それは身近ではあるが獲得するのに難しいものであった。僕が人に興味を持たなかったのは恐らくというか確定していて、「自己に対しての自信がない、それ故に人に対しての関心が薄いのではないのではないのか」と、僕には特技も誇れるものがない。そんな中、漠然と思ったのは自分を鍛えるという発想を持つことや、気付いたり、提案することの重要性等を得た。これを無駄にせず燦然と輝く自分だけのものにしていけるようにしたいと思った。


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