デジタル時代との親和性

マネされ作家の心情日記 7.5

毎回箸休めになるはずのこのテンポラリーな刻み回。

短めには書いているつもりなのですが、、、

内容が本編とかぶっていたりもするので、もはや箸休めという感じも薄いなと、書いていて思います。

でも今回は短めになりそうな予感。

それは感覚的な話だからです。

今回の話はサイコパスに関して。

サイコパスってどんな人かというと、ものすごく簡潔に伝えるならば〖自分の利益のみを最優先し良心をもたない人〗。

このブログでお話している、努力をせず真っ先に模倣行為に走る人間には、そういう生まれ持った〖罪悪感や良心の欠如〗というサイコパスの要素をもっている人が多いのかもしれないなと最近思うようになりました。

そしてこのサイコパスの要素をもった人の数は、年々増加傾向にあると統計データにもあるみたいですね。(※どこかにあればまたリンク紹介します)

≫サイコパスが増える要因とは

なぜ増えてきているのか?

これは私の勝手な推測でしかないのですが、

その原因は大きく2つ(もしかしたら3つ?)あるのではないかなと。

一つ目はデジタルというテクノロジーが一般的に広く浸透したこと。

二つ目は、戦後希薄な人間関係が構築されてしまってきたこと。

この人がダメにならないようにと叱ってくれる大人って今いないですよね。

…と、大きくはこの二つが私の推測で、

三つ目があるとしたら少子化で出生率が減った分、密度が濃くなったということもありえるかな。

とはいっても実際の割合は当然ながら不明です。

前述したような”叱ってくれる人間”がいた時代には、人同士がお互いの行動を見張っていて、昔は道義的な行動がその時代を生きる人にとっては必要不可欠であったのだと思います。

でも人間関係が希薄化したデジタルな時代には、その縛りがゆるくなり自分の利益だけを追求できてしまう(誰も注意しない)土台ができたことで、

罪悪感や良心をもたないという本来、利己的破壊的な部分が強みとして利用しやすくなったのではと考えます。

だから一部の人間だけが得をする事例が目立っていたり、あたかもそれが正解かのように追随しようとする人が出てきてしまう…。

それは絶対の正解ではないですよー!といいたい。

正解は一人一人違います。それが答えです。

わかりやすい答えだけが正解に見えるかもしれないけれど、それがあなたにとっての正解かどうかは別の話です。

なんだか長くなってきたのでそろそろまとめると、

デジタルな時代がこの先、人の生活を浸食していくことには歯止めが必要です。

それにはまず、
自分さえよければ、自分には関係ないという思考をやめる事です。

それはもう今の時代に逆らうことになるのでしょうが、、、

無理やりにでもその重い空気感の扉を、日本だけでなく世界、もっというなら地球規模で突破することが、現代を生きる人々にとって大きな課題なのかもしれません。

私たちはどんな形であろうと同じ地球の産物です。

何事もバランスが大事。

自然原理がどこで均整をとろうとしているのかは、いち産物の私たちには知るよしもないことですが、

どこに住んでいるとか何を持っているかというような、、、そんな小さな指標の中に本当の豊かさは存在しないのだと、

そんな風に思います。

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