機能不全家族×宗教。私の家族について淡々としたまとめ(小〜大学受験まで)

とても長いです。

私たちは、田舎のかなり古い一軒家(今は築65年くらい)に住んでいました。家族構成は母、祖母、姉、私です。

母親も祖母もパートで、生活はかなり苦しかったです。世帯年収100万あるかないかくらい。

父親は私が物心つく前に離婚。そのあとは全然会ってませんでしたが、小学1、2年生の時に少し会って以来、ぱったりと会わなくなりました。

実は、私が小学2年生の頃に父は亡くなりました。この事実は、私が大学生になってから母親と喧嘩した時に言われました。

母親は子供である私たちが生まれる前から、ある宗教に入っていました。

姉と私は、物心ついた時あたりから宗教の集まりに参加させられていました。何時間もずっと正座して話を聞いたり、お経のようなものを唱え続けるのはとても辛かったです。

そして、宗教に参加する=お金を払わなければならないのです。

しかし、私の家庭はとても貧乏でした。小学生の時は毎日空腹で、たまに出るお菓子はご馳走でした。

母親は「お前らの食費にどれだけ金をかけてると思ってるんだ」「自分は好きなものも買えない」「早く働け」と毎日のように私たちに怒っていました。

それでも母親は、毎月宗教団体にお金を払っていました。お金を払って、祈れば幸せに慣れると言っていました。
しかし貧乏なことは変わらず、ずっと母親は娘である私たちに怒っていました。幸せそうには見えませんでした。

私自身親のいいなりになって祈っても、学校を含め生きることが辛かったです。

ゲームと、特に好きだったのが絵を描くことでした。母親は私が部屋で絵を描いてると、襖から覗き込んでいました。とても気持ち悪かったです。また、少女漫画の絵を描いていると「エッチな絵描いてんのw」とか馬鹿にしていました。

私たちの家族は、古くて汚い家に住んでいるど貧乏ということで、近所から「近づかない方がいい」と言われていたと思います。

小学生の時は、お風呂に週1日くらいしか入ってませんでした。また、高校生になるまで家にシャワーがなく、鍋を沸かして桶に入れて風呂としていました。

また、小学校でいじめにあい、5,6年生はずっと一人ぼっちでした。1クラスしかなく女子は10人程度でした。本当にずっと死にたかったです。

学校にも家にも居場所が無かったです。学校ではいじめられ、家に帰っても母親はキレていて。
祖母もよくキレていました。そして、祖母の部屋で私たち姉妹の愚痴をよく言っていました。自分の部屋にまで聞こえてきて、本当に嫌でした。

小学校1年生くらいの頃、同級生が私の実家に遊びに行った際「豚箱みたい」と言っていました。当時は意味はよくわかりませんでしたが、それを聞いた祖母と母親に「友達を家に入れるな」と怒られた記憶があります。

小中学生の時は、私が母親に怒られるのも、周りの人間が蔑むような目で見るのも、いじめられるのも全部全部自分が悪いからだと思っていました。

自分が醜いから。気持ち悪いから。
私も自分に対して、「気持ち悪い。早く消えろ」とずっと思っていました。

そして中学生の頃に「我が家はおかしいのではないか」と思うようになりました。
中学の時はあまりにも家が汚いこと、母親が宗教に入っていることがとても嫌になりました。

また、中学で「運動部に入りたい」と母親に言いあっさり許可をもらいました。わたしは剣道部に入りました。入部してから親が「剣道なんかやめろ」「早くやめろ」と毎日のように怒っていました。
運動部に入った私が悪いですが、そもそも入部の許可しないでって思ってしまいました。

中学生以降、親には「宗教をやめてほしい」と何回も何回も説得しました。そうすると、親は毎回キレ出します。「親になんて態度だ」とかよくわかんないこと言われました。

お金がないなら宗教をやめろと言っても、全然聞いてくれません。
高校3年生になるまで、家の状況や親の愚痴を誰にも言いませんでした。もし言ったら、自分が異常者扱いされると思ったんですよ。「あいつの家庭やばいぞ」って噂されるんじゃないかって怖かったんです。

高校に進学した私は、大学に進学したいと思うようになりました。
教育について学びたいと思ったからです。家はかなり貧乏ではありましたが、私は高校生の時から奨学金を借りていてある程度お金があると思っていました。当時の私はアホでした。

経済的な問題で国公立大学しか行けないということで、国立一本で受験勉強しました。これが地獄の始まりでした。
親には「友達と遊ぶ暇あるなら勉強しろ」と高校1年生の時に言われましたが、無視していました。

高校3年生になり、友達と遊ぶのをやめて受験勉強に専念していましたが、夏から成績が伸び悩みました。
国立一本だったので落ちた場合の選択肢が一切なく、落ちたら人生が終わる、死ぬしかないと本気で思っていました。

高校三年生の春あたりから、毎朝吐き気が止まらず朝ごはんが口に入りませんでした。それでもなんとか学校には行き勉強しましたが、休み時間に泣いてしまうなど、かなり精神的に追い込まれていました。

あんまり親には辛いとかは言わなかったんですが、「受験勉強辛い」と一度言ったことがあります。親の反応は、「あんまり辛い辛い言われると、気分悪くなるからやめて」でした。

友達の存在が支えで、高校3年生になって初めて心から信頼している友達に親の相談をしました。
すると、友達が「君の親ってひどいね」「親の言うことは気にしなくて大丈夫だよ」と言いました。

私は、友達の反応に驚くとともに、救われた気持ちになりました。実は、友達た相談するまで「親が怒るのは全部自分が悪いから」だと本気で思っていたんですよ。

でも、友達が「私にではなく、親に対して」酷いと言ってくれたことでかなり救われましたね。

友達って大事ですね〜

受験は、見事地元の国公立大学に合格できました。しかし、受験が終わってもメンタルが全然回復することはなく、春休みは基本家にいて動けませんでした。

一人暮らしをしたかったのですが、お金がなく実家から通うことになりました。

しかしこれが地獄の始まりでした。

続きます〜

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