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言葉がわたしに刺さるとき

 小川洋子さんのエッセイ、「カラーひよことコーヒー豆」に、こんな一節が出てくる。

「大げさな励ましなど所詮、励ます側の自己満足でしかない。特別な才能や資格を持った人だけが、再生への光を授けられるのでもない。当たり前の愛情さえあれば、人は立ち直れる。」

 これを初めて読んだとき、涙が溢れ出てきて止まらなかった。自分でも驚くほど泣いて、泣いて、しばらく読み進めても、また同じページに戻って泣いた。

「当たり前の愛情さえあれば、人は立ち直れる。」

 この言葉から、わたしは母のことを想起した。
 わたしもずいぶんややこしい子どもであるが、一番上の兄も、なかなかにややこしい人である。特にここ数年は彼の中の過渡期なのだろうか、問題を起こすことも多く、わたしもそれなりに影響を受けては愚痴をこぼしていた。

 そんな兄に、どこまでもどこまでも辛抱強くかかわる母の姿が、そこに見えた。
 ああ、母もこう思っているんだな。いや、これを信じたいと思っているんだな、と思った。

 母が何を言ったわけでもない。兄の問題も山は越え、ずいぶん落ち着いてきた時期であった。
 母の辛抱強さへの尊敬、兄への苛立ち、己の罪悪感、ありとあらゆる感情が、この言葉ですとんと落ちた。
 声をあげて、わあわあ泣いた。

 これを読んで、わたしがものすごく辛抱強くなったわけでも、他者へ慈愛の気持ちが芽生えたわけでもない。しかし、わたしにとって必要な言葉だったのだと思う。

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