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オレンジ/おやすみばく/⑤みかん

オレンジ

おやすみばく


⑤みかん


 我家はとても慎ましく暮らしていたので果物というのは贅沢品でした。実際にはいつも夕食後にデザートがあったので、果物を「贅沢だね」と笑い乍ら食すのが習慣だったのです。好きな果物はたくさんあります。無花果。昔住んでいた家のそばに沼地があって無花果の大木が横たわるように生えていました。小学生だった私と弟は長袖のジャージで武装して、ビニール袋を片手に無花果を摘みに行きました。今でも無花果をみると弟は子どもにその話をします。最近は八つに切ってガラスの器に入れて食したりします。気どっているのではなくパクリと食べてしまうのがもったいないからです。柿は何でも好きですが母と私は特に江戸柿が好きです。近所のスーパーにあまり並ばないので、世間と自分たちの嗜好に剥離があるのかと毎年悩んだりします。百貨店の生鮮食品売場で見つけると嬉々として買って帰り、その年のノルマを果たしたような気持になります。ぶどうでは母の故郷の名産のナイアガラがいちばん好きです。こちらではなかなか手に入らないので取り寄せることもあります。江戸柿もナイアガラもいたみやすいのが多く供給されない理由なのかもしれません。でも何でも好きです。リンゴも、バナナも。桃が冷蔵庫に入っていたらその日は明らかに何割かテンションが増したまま過ごします。「桃は果物の王様や」いただくときに必ず堂本光一くんの名言を反芻します。特別な果物の様な気がします。仙人や王子が食したからでしょう。それでも、もしも残りの人生で一種類の果物しか食せないというお題を与えられたら、私は迷わずみかんと答えます。段ボールで箱買いしたみかんの最初の一個が甘かった時、長期間の幸せを確保したような気分になります。あみあみのネットの中のぱんぱんのみかん。籐のかごの中のみかん。みかんがあるよ。なんて甘美な響き。

 大晦日。私はシカちゃんと二階の部屋で紅白歌合戦を見ていました。普段使わない部屋にセッティングしたこたつは年末年始に泊まりに来てくれた弟ファミリーへの歓迎の表明です。レポート用紙、サラサとシグマ、色鉛筆。次に登場するアイドル歌手の衣装を予想し乍らお絵描きをして、「近くない?」「当たった!」とはしゃいでいました。卓袱台の上にはいっぱいのみかん…の皮。臙脂色の綿入れを羽織った私とテラコッタ色のもこもこのカーディガンのシカちゃん。どちらが動くか。二人背中を丸めてもはや攻防戦です。「お風呂順番に入ってよ」私の弟であるシカちゃんのお父さんが部屋を覗きます。そうして腕に抱えたみかんを机の上にこぼれおとします。「ありがとう」「シカがね。お願いしたのよ」私の携帯を覗くと「お風呂まだ」「まだ。アニメメドレー終わってから」「年が明けるよ」「みかん持ってきて」の履歴。「でかした」それからまたふたりでゆっくりとみかんの皮をむき乍ら、テレビを見て、お絵描きをして、2017年が暮れていきました。

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 検証しなければいけないことも、照合しなければいけないこともたくさんあった。それでもまたこの紙につづられた文献を眺めている。私は研究室で惑星の調査を行うのを生業にしている。研究分野は広く細分化され、そこから更に派生したり、競合しあったりする。今は最近命を終えた水色の星のデータにかかりきりだ。この星は寿命を終えたのではない。私たちが滅ぼした。慣れた作業の油断に伴う事故に巻き込んでしまった。それでも大きな罪悪感はなかった。研究者の中には故意に星を終わらせてデータを収集するものもいる。この星は私たちの星と共通する要素も多く、以前から密かに近づいてはデータを採取していた。慣れ親しんでいたと表現してもよいだろう。潮時だよと慰める者もいた。本格的な採取に取り掛かる機会だったと。私に今までそれをさせなかったのは、その星が所有する特異な雰囲気だった。醸し出しているのか、それともくるまれているのか。センチメンタル。人文学の研究室にいる友人が教えてくれた表現だ。何かを判断するとき理詰めでは
割り切れないような選択肢が存在するのだ。私の専門は地質鉱物学で所謂お堅い分野だ。これは二重の意味を持つ表現になることも友人が教えてくれた。彼は紙ベースや機器から抽出したデータを整理してカテゴライズ化していた。埋もれていたと云ってもいいだろう。私はそれを彼の「ゴミ箱」から拾い上げた。あとで見るつもりで積まれていて結局は処分されるものたち。よく彼は「勝手に持っていっていいよ」と云った。「こういう中に思わぬお宝がかくされていたりもするのだろうけど。紅白歌合戦。堂本光一。ある程度の期間と実績があるものなら、そこからひもといて何かを得ることができるのだろうな。歴史も、民族性も、この一枚に詰まっているのかもしれない。でもね。そんなものばかりなんだ。のみならず。史実、空想、日常。入り混じっていて。今は整理するのに精いっぱいだ。文献というものに娯楽要素が付随している。それだけじゃなくて。うん。センチメンタルなんだ。私はいろいろなものを削ぎ落としたいのだが。専門外なら気分転換くらいにはなるかもしれない」
 私の心をとらえたのは「みかん」だった。私たちの種族にも寿命はあった。食物も摂取したし、栄養だけでなく楽しみとしてそれをとらえる感覚も知っていた。ただこの文献から受ける未知の感覚。雰囲気をいただくと云えばいいのだろうか。興味深かった。
「またそれを見ているのですか」研究室の後輩が覗き込むように云った。ドライでお調子者。だが頭の回転が早く発想もユニークだった。生真面目でこつこつとしていて、でもこんな風に説明のできない寄り道をしてしまう私とはいいコンビネーションだと思っている。そっと私の背後にかがんで、機械を撫でた。画面上に楕円形の物体が現れた。「これが、みかんです」後輩は云った。「画像を手に入れましたよ」その物体を見ても大きさも触感もわからなかった。ただ、「あかりとりの星」のあかりの側のような色をしている。でもそんなに明確な色ではない。少しはなれてぼんやりとくるまれているような色合いだ。「ありがとう。嬉しいな」「私も不思議と仕事の効率が上がったような気がします。寄り道したのに。なんでしょうね。見ていると楽しくなる」後輩は笑った。ほめられて嬉しいのか饒舌になるのがかわいらしかった。 
 数日後、私たちは久々の調査飛行に出発することになった。前回の調査で宇宙船が大きく損傷してメンテナンスに出していたのだ。それでも美しく整備された宇宙船と対面するのには心が浮き立つ。普段斜に構えるのを好む後輩にもその様相が見られるのだが、何か少し違う、そわそわとした、不安の混じったような表情が垣間見える。「どうですか」そうか。いつかの文献で見たプレゼントを渡すパートナーの様な振る舞いだ。宇宙船はやわらかいあかりとりの色にくるまれていた。「いや。担当内に友人がいたので。外装の色を変えても支障はないというので。遊び心ってやつですか」遊び心という表現に最もふさわしいのは天辺につけられた小さな突起をだろう。水育植物の色をあてられ、ちいさなぎざぎざの切込でトリミングされている。「それ、へたって云うそうですよ」後輩が手を伸ばし、そっと外装に触れるのを見ていた。
 飛行は快適だった。だが、お決まりのコースを辿り、水色の星の上を横切った時、私と後輩はまやかしを見たような気分になった。存在はしている。それを確認することも今日の予定に組み込まれていた。だが、生きている。時を刻み続けている。言葉通りに顔を見合わせた時、後輩が操作を誤り機体ががくんと揺れた。調整はそう難しい作業ではなかったが、何かが浮遊物にひっかかりバランスをくずした。へただった。普段なら簡単によけられるはずが小さな突起分の感覚のずれが邪魔をしたのだ。機体は私たちを守るように作られていた。一つの惑星よりも強靭だった。均衡を戻すために水色の星に亀裂が入った。その時私たちが見たもの。それに伴う感情。それらはすべてリセットされる。それも機体の中にプログラミングされている。トラウマというものを形成しないために。次からまた穏やかな作業を行うために。でも私は気づく。いや、後輩の方が先に気づいたのかもしれない。だから冷静な彼が操作を誤ったのだ。思い出した。「潮時」と云ったのは彼だ。星に「感情」はない。だから「感傷」もない。そろそろ本腰を入れてもいいだろう。そうして私も同意したのだ。向上心を免罪符として。事故ではない。故意に滅ぼしたのだ。そして私たちは罰を受けている。計算や経験では回避できない。センチメンタルな星の罰を。ある日私は目覚める。そうして友人の部屋を訪ねるだろう。「大丈夫だったか」「ああ。まあ、おかげでずいぶんなデータを採取できたよ」どこで手に入れたのか。おそらくこれが籐というものなのだ。かごの中に反故になる書類が重ねられている。その中の一枚を私は拾い上げる。「これ、もらっていってもいいかな」「ご自由に」

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 シカちゃんがお布団干しの手摺にもたれてお外を見ている。「風邪ひくよ」こたつの中から私は声をかける。お隣の猫でも顔を出しているのかしら。硝子戸をあけて私も隣に並ぶ。冷たい風が清潔で気持ちいい。「ねえ、あれ飛行船」シカちゃんの視点は眼下じゃなくて空だ。私も見上げる。「見えた」「うん」「もう見えないね」「飛行船じゃないよ。飛行船はね。もっと細長くてさ。ぷかぷかしてるの」「真正面から見たのかもしれないよ」「ええ~なにそれ」「すごい速さで遠ざかっていったんじゃないかな」「後ずさりする茶トラの猫かよ」ふたり顔を見合わせて笑った。私たちの見ていた空は実はガラスに覆われていたのかしら。ぴしりとひびが入る音を聞いたような気がした。たくさんの白い透明な光が一点から広がるように流れて落ちてきた。最後に覚えているのは、キュッと握りしめた暖かくて小さな手の感覚。そうしてこれはすりこまれていたのだろうな。とても急いで唱えた。いつまでもシカちゃんと笑っていられますように。      




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