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歩くは義務

昨日海に行った。久しぶりの海にめちゃくちゃテンションが上がって、波打ち際の少し土が湿って硬くなってる地面を裸足で何往復も走り回ってしまった。

走るはもはや衝動でしかなくなっている。
高校生までは義務で走ってもいた。授業があったから。
しかしもう走る必要は、(あまり遅刻をしないぼくには)あんまりない。

駅から学校が遠く、人と遊ぶことが増えたため、前よりもはるかに歩くようになったのに、今日歩いたら海で走った時に使ったであろう足の筋肉が痛かった。
痛い部分に意識を置きながらゆっくり歩くと、まっすぐ歩けている気がした。左右の足に交互に痛みを感じながら進む中で、これが本当の歩くなのかなと思った。
実は最近歩いている時なんだかずっとどちらかに傾いている気がしていた。
歩くことはいろんな要因が重なって義務になる。だから嫌でも、傾いていても、歩かなきゃいけない。

その義務から解放された走るという行為こそ、純粋な”足を用いて移動する行為”(=歩く)になり得るのかもしれない。今の私には。

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