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「恕」。自分を愛せない人は、他人も愛せない、優しくできない―『論語』

己の欲せざる所は、人に施すなかれ

見知らぬ人が交通事故に遭いそうになったら、あるいは、水難事故でおぼれかけていたら、自分の命を投げだしてでも助けようとする。自己犠牲をもいとわない、人をいたわる気持ちが、人間には生まれながらにして備わっているのです。
そういう心情を日々磨いて、実践に移していくことが、人として踏み行うべき道です。

中小企業再生の名経営者と言われた方が、相手を思いやる「恕(じょ)」とはどういうことか、このように解説してくだったことがありまし。

相手を思いやること。それが人としての基本。
自分のことをさしおいて、他人にために何かをしてあげることに大きな喜びを感じている方もいます。そういう方と見比べると、自分が満たれていないことには、他人に何かをしてあげたいという心情にはなれないところがあります。そんな自分自身を小さいな、と感じることもしばしばです。

孔子が人の生き方の基本とした「恕(じょ)」、「おもいやり」について、元教師で文筆家の佐久 協(やすし)さんの解釈がとても参考になるので、みていきましょう。
「100分de名著ブックス『孔子 論語』」(100分de名著 2011年5月放映『孔子 論語』をもとに再構成。一部、神田が編集しています(以下、佐久ささんのコメント部分同じ)。

 孔子が推奨する一語は「恕(じょ)」でした。「おもいやり」です。
孔子は人が真っ当にいきていく行動の指針として、つねに「恕」の心を忘れるな、そうすれば、自分の人間的成長もおのずとかなうと言っています。

「100分de名著ブックス『孔子 論語』

 佐久さんはそう述べた後に、おもいやり、恕をめぐる、孔子と弟子の子貢の問答に触れています。

子貢がごく短い言葉で、生涯、座右の銘にすべきものはありませんか」と尋ねたので、「それは恕(思いやり)かな。自分がされたら嫌だと思うことは、人にしてはいかんよ」と答えてやったよ。

子(貢(しこう)問(と)いて曰(いわ)く、「一言(いちげん)にして以(も)って終身(しゅうしん)これを行(おこ)なうべきものありや」。
子(し)曰(いわ)く、「それ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は、人(ひと)に施(ほどこ)すなかれ」。         

  『論語』衛霊公篇

さらに、佐久さんは「恕」とはどういうものか、『聖書』を引き合いに出してきます。

「自分がしれもらいたいことを、人にしてあげなさい」と言います。表現は裏腹ですが、それとおなじこと、と解説してたうえで、核心に迫っていきます。

「100分de名著ブックス『孔子 論語

 佐久さんの解説は、切れ味をまして、次のように続きます。

 孔子が言うところの「おもいやり」の精神。「思いやる」という以上は、思いやる対象があるわけです。では誰に対して思いやりをかければいいのでしょうか。
思いやりをかける対象に含めるべきは――、じつは「自分自身」。

「100分de名著ブックス『孔子 論語』」

思いやりをかける対象は、自分自身

思いやりをかける対象に含めるべきは、「自分自身」。
「恕」についての佐久さんの解説、見事です。数多くある『論語』本のどれにも、この切り口はありません。佐久さんの名解説は、こう続きます。

自分を思いやるというのは、自分を甘やかすことではありません。そうではなく、自分を励まし、自分を磨くことです。

では、自分を励まし、自分を磨くとはどういうことか。
孔子と子路の問答を紹介するのです。

 君子とはどういう人物のことですか、と子路に尋ねられて、孔子はこう答えます。
「自己を磨いて、謙虚な人間になることだよ」
(実践派の子路は、腑に落ちないところがあったのでしょう)子路は次のように問い返します。
「自分を磨いて、謙虚な人間になることができればいいのですか」
 孔子はこう答えます。
「自分を磨いて謙虚に人間になって、周囲の人びとを安心・幸福にさせることです」
「周囲の人びとを安心・幸福にさせることができればいいのですか」
 と子路になおも問い返されて、孔子は究極ともいえる答えを述べます。
「自分を磨いて謙虚に人間になって、家族や知人だけでなく、さらには安心・幸福にさせること。ただ、これは、聖王と讃えられた堯や舜にでも、難しかったことだよ」

 読み下し文です。

子路(しろ)、君子を問う。
子曰わく、己(おのれ)を脩(おさ)めて以(もっ)て敬(けい)す。
曰わく、斯(か)くの如(ごと)きのみか。
曰わく、己(おの)を脩(おさ)めて以(もっ)て人を安(やす)んず。
曰わく、斯(か)くの如(ごと)きのみか。
曰わく、己(おのれ)を脩(おさ)めて以(もっ)て百姓(ひゃくせい)を安(やす)んず。己(おのれ)を脩(おさ)めて以(もっ)て百姓(ひゃくせい)を安(やす)んずるは、堯(ぎょう)・舜(しゅん)も其(そ)れ猶(なお)諸(これ)を病(や)めり。

『論語』憲問篇

 自分を磨いて謙虚に人間になって、家族や知人だけでなく、安心・幸福にさせる対象を家族や知人に広げていく。
 さらには世の中の人々全員を安心・幸福にさせることができたらいい。
それが理想ではあるけれど、それを実現するのは名君や聖人でもなかなかなしえなかったことです、と孔子は言い切っています。

自分を愛せない人間は、他人も愛せない

さて、佐久さんの解説に戻りましょう。

何をおいても、まずは「自分をきちんとする」のが最優先。
「自分を大切にできてこそ、初めてまわりの人間も大切にできるのです。自分を愛せない人間は、他人も愛せません」。

「100分de名著ブックス『孔子 論語』」

そして、こう語りかけています。

とにかくみんな、もっと自分に「恕」をかけてもらいたい。
「自己中心」、あるいは「自己愛」ということが、人間形成のキーになるのだ、と。

「100分de名著ブックス『孔子 論語』」

 この視点、とても大事ですね。

「己の欲せざる所は、人に施すなかれ」

この名言をこれまでとは違う取らえ方ができるようになりました。
『論語』の読み方、ある意味、自由自在です。

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