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生涯をかけて追求したいことを見つけよう。あきらめてはいけない―『論語』
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
仕事でもいい、ライフワークでもいい。
生涯をかけて追求したいことがはっきりしたら、どうしますか?
その達成に向けて精力を傾ける。
あるいは、実現のための環境づくりをする。
いずれにしても、前向きのアクションを取りますよね。
そういう励ましの言葉として受け止めたいのが、『論語』で孔子が述べているこの言葉です。ただ、古来、受け止め方は人によって違うので、そのことも含めて、みていきましょう。
朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。
よく知られている『論語』の名言の1つで、次のように訳出されるのが一般的です。
「朝に真実の道が開けたら、その日のうちに死んでも悔いはない」。
孔子という人は、生涯、実践哲学を説き続けました。
使命を果たすことに、自らの全エネルギーを尽くしなさい、と弟子や君主に迫ることはあっても、自ら生命を絶つことをすすめるはずがありません。
ちなみに、この言葉を、孔子の日ごろの言動からすると異質である、と解説しているのが、貝塚茂樹先生です。
この短い孔子のことばには、いつもの温厚な調子とは似つかぬ激しい感情がこめられている。
こう述べたあと、古来「道を聞く」の解釈をめぐって、論議がなされたことに触れています。
1つは、道徳的な社会の実現。
もう1つは、道を真理と解釈するもの。
一命にかえても重んじなければならない「道」とは
さて、この言葉は、決死の行動やテロを促していたり、正当化している。そのように読まれたこともありました。
かつて幕末の志士たちは、「朝に道を聞かば」を、尊王攘夷という大義であると受け止め、自らの生命をなげうって、非合法な政治活動に身を投じました。「近代日本資本主義の父」とされる明治時代の実業家、渋沢栄一氏も、その渦に巻き込まれた一人です。
渋沢氏は「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」の意味するところを取り違えていたために、青年時代に若気の至りともいえる暴挙に走ってしまった、と振り返っています。
「幕末のこと、高崎城を乗っ取り、鎌倉街道を通って横浜に出て、洋館を焼き払って西洋人を皆殺しにし、攘夷の成果を挙げて、幕府を倒そうともくろんだことがある。
このとき、朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり、を志士の守るべき絶対の教えだと信じていた」。
ただし、孔子はこうした行為を進めるために、この章句を説かれたのではない。
一命にかえても重んじなければならない「道」があることを教えられたにすぎない、と見るべきなのだ」。
この計画は未遂に終わり、その後は、徳川(一橋)慶喜の家臣として取り立てられて、フランス万国博に招待された幕府一行の一員として渡航、先進の欧州の経済文化を目の当たりして、そこから明治時代の経済活動の手本とすべきものを数多く学んできました。
この体験によって、渋沢栄一氏は「道」の入り口へとたどり着き、やがてその生涯を実業界の発展に捧げたわけです。
渋沢氏にとっての「夕べに死すとも可なり」とは、実業界の発展に尽くすことでした。そして。生涯をかけて実践したのです。
生涯をかけて追求したいことを見つけること。
それに出会ったら、諦めずにやりとげること。
現代に生きる身としては、孔子の言葉をこのように平たく読み解いて、人生を応援するメッセージとして、受け止めたい。
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