六言六蔽。優れた人徳が備わっているのに、結果がついてこないのはなぜか―『論語』
人の役に立ちたい。
困っている人を助けたい。
世の中に貢献したい。
強きをくじき、弱きを助けたい。
どんなに正義漢が強く、どんなに人徳に厚くても、それをうまくいかせないことがあります。
それは、自分の能力を自在にコントロールする知恵や術が備わっていないから、ということが多いのではないでしょうか。
あるいは、経験が足りないのに、頭でっかちで意識だけ先走ってしまう。結果、パフォーマンスを存分に発揮できずに不完全燃焼で終わってしまう。
そうなると、本人の意欲は高いのに、それに反して、信頼度が高くない、人望がない、あまり尊敬されていない、ということになりがち。
負のスパイラルに陥らないためには、どういうことを意識すれば、いいのでしょうか。
その参考になりそうなのが、孔子と武闘派で知れる弟子・子路(しろ)との問答です。
正義感が強く、考えるより先に身体が動いてしまう子路。熱血漢として実戦部隊の一員としての活躍は期待されても、組織を率いるとか、先々まで見通しを立てて行動することとなると苦手。それでは、人はなかなかついてきません。
そんな子路の日々の行動をみていて、師匠の孔子には、思うところがあったのでしょう。
孔子は子路に向かって、まあそこに座って私のいうことをよく聞きなさい。そう断ってから、徳を備えるとは、どういうことか、「仁・知・信・直・勇・剛」、六つの徳を順番に挙げて、子路を諭していくのです。
(*以下は、神田の意訳です)
その1 思いやりに富んでいても、そのことをよく修めないと、愚か者になる。
その2 知識があるといっても、そのことをよく修めないと、ただの雑学になる。
その3 誠実さに富んでいても、そのことをよく修めないと、小さな信義にこだわって他人の幸福を損ないかねない。
その4 正直さに溢れていても、そのことをよく修めないと、ただの偏屈になる。
その5 勇気に溢れていても、そのことをよく修めないと、ただの乱暴者になる。
その6 剛毅に溢れていても、そのことをよく修めないと、理非をわきまえない行動に走りがちになる。
子路よ、これが『六言の六蔽』です。仁・知・信・直・勇・剛。この六つの言葉であらわされた美徳には、そのいいところが蔽われて、いわば暗黒面が出るリスクがあることを知っておきない。
子路は「知・仁・勇」の3つの徳のバランスで言えば、勇>仁>知のような人物です、「仁・知・信・直・勇・剛」の6つの徳が備わっている。そのことを、孔子は見抜いていました。
しかし、その徳を上手にコントロールできないと、むしろマイナス面が出てしまい、子路の持ち味が生きない。
なので、子路のもつよさ1つ1つを挙げて、それを上手に生かせないと、こんな逆効果になってしまうよ、と厳しい言い方をしたわけです。
このやりとりから、子路という人をよく理解したうえで、どういう指導の仕方をすれば、効果があるかを孔子がよくよく考えていることが、推察できます。
学問的に優秀ではなく、武勇を得意とする弟子。そうした人材に対しても、いかに卓抜な育て方、指導をしていたか。それを物語る一節。
私はそのように理解しました。
いいところ、特長をほめて伸ばす。一般にはテキストにはそういうコーチングの仕方が書かれています。
しかし、モノの性質、作用には、両面があります。なので、無意識のうちに、逆の作用をもたらす行動をしてしまわないように、日ごろから修練し、その使い方に磨きをかけておくことが、いかに大事か。
徳を自在にコントロールできる力を養いなさい。
「六言六蔽」の教訓を、今日にも生かしていきたいですね。
最後に読み下し文です。
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