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ドラマ「虎に翼」まで及んだ女性差別。孔子の時代からの黒歴史をたどる。 

『大戴礼記』にみる女性に課された礼の定め 

 孔子の「女子と小人とは養い難し」の話の続きです。

「女性蔑視は世界的なものですよね。なぜ男性は女性蔑視をしたのでしょうね」。
というコメントをいただき、多少やりとりをしましたが、それに対する適切な答えは、いまだにみつかっていません。

 ここでは、孔子が生きた2500年以上前の古代中国、春秋時代において、女性の社会的地位はどうだったのか。
当時のことを知る術はありませんが、孔子が生きた時代よりも後、漢代の儒者・戴徳(たいとく)が、古代の礼文献を取捨して整理した『大戴礼記』(だたいらいき)に、女性の社会的地位を知る手がかりがありした。

『大戴礼記』本命篇に、中国古代の女性に課され、日本でも説かれた礼の定め、とされている「三従七去」(さんじゅうしちきょ)という記述です。

 それをみていきましょう。なお、ここからは主にネット上に検索したものを転記するカタチになってしまいます。ご了承ください。

「三従」女性は男性に従うべし

 まず、女性蔑視、男性優位について説いている「三従」について。
「従」とは女性は男性に従いなさい、ということで、次の3つのことを指しています。

一 生家では父に従う
二 嫁に行ったら夫に従う
三 夫の死後(老いて)は子に従う

 子については男子と記されていませんが、家族制度のあり方、文脈からして男子のことでしょう。徹底した男性優位。家族関係において、終生、女性に主導権を握らせることは、一切ありえない、ということです。

「七去」女性を離婚できる7項目

 次に「七去」についてみていきましょう。
「去」とは、夫が妻を去る、つまり離婚できる条件のこと。
 それが7項目掲げてあり、これに一つでも該当すると、男性側から離婚ができたようです。

一 義理の父、母(舅、姑)に従わない
二 子供を産めない。無子
三 無駄話しする。多言
四 盗難癖がある。窃盗
五 貞操観念がない。淫乱
六 嫉妬深い
七 悪い病気を持っている。悪疾

子を産む。その使命を果たせない女性は、離縁を強要される。
 これは、現代社会からすると不条理極まりないことですが、家族制度を維持していくために、こういうシステムが存在したのでしょう。
舅、姑が、嫁のことを気に入らなかったら、追い出される。
 これも、先ほどと同様に不条理で核家族の現代においては、ありえないこと。「忠孝」を重んじる儒教社会においては、親の存在や言動は絶対で、それに反抗することは許されなかった。そういうことでしょう。

 それにしても、不貞で離婚されるのは仕方がないことですが、無駄話、嫉妬深い、といったことまでが、離婚の理由になっていたとは!! 
 いかに女性の人権が虐げられていたのか、差別されていたのか。それを物語る証左ともいえます。

「三不去」というセーフティーネット

 ただ、「七去」には、例外として「三不去」なるものが付随していて、次の場合は、離婚ができない、とされていました。

一 帰るべき家がない場合
二 夫の父母の3年の喪に服した場合
三 結婚したときには貧しかったのに、結婚後、(夫が出世するなどして)豊かになった場合

 この「三不去」までみてみると、家の存続に貢献した女性や、身寄りのない女性は、たとえ子を産めなくても離縁の対象にはならなかった、つまりセーフティーネットが設けられたことがみてとれます。
 男性優位、女性蔑視の社会ではあるけれど、人として生きる権利を虐げることはしてはならない。それが最低限のモラルになっていたのでしょうか。

「四行」婦徳、婦言、婦容、婦功

 なお、『大戴礼記』が著されたより時代が下がって、後漢の時代、女性文学者の班昭(はんしょう)が、婚期を迎えた自分の娘のために『女誡』(じょかい)という教訓書を書き記しました。それが、当時の知識人に歓迎されて広く流布し、中国における女訓書の原型となったということです。

 日本では、『女誡』を参考にしたと思われるのが、『四行』と言われているものです。『四行』とは次の4つのこと。

婦徳=三従の徳
婦言=女性の言葉遣い
婦容=身だしなみや立居振舞
婦功=技芸や教養

三従の徳の三従は、先にみた女性は男性に従うべしの3つ、そのことです。「三従」と「四行」が、江戸時代の女子教育で実践されていたという、次のような記載がありました。

 女子教育のあり方は、階級によって多少の違いはありましたが、共通していたことは、儒教に基づいた「三従」(幼にしては父に、長じては夫に、老いては子に従う)と「四行」(婦徳=三従の徳、婦言=女性の言葉遣い、婦容=身だしなみや立居振舞、婦功=技芸や教養)の教えをもとにしました。
なかでも、座作進退(礼儀作法)の「しつけ」は、礼儀の厳しかった武士階級はむろん、庶民の子女にとっても必要と思われ、重視されました。

 江戸時代に武士階級で厳しく行われた子女の 「しつけ」が、明治時代には良家の子女の「しつけ」として、各家庭で相応に実践されました。

 ここに記されているように、「しつけ」教育は、儒教社会の女性蔑視、女性差別が根本にあり、数百年にもわたって日本社会で広く行われてきました。
 そういう社会規範が、戦後の民主主義導入、女権運動の高まりよって、取り除かれ、女性活躍の場が広がっていく。「虎に翼」はそういう時代に女性の地位向上のために、先頭を走り続けた女性の生きざまを描いたドラマ。

 それに対して、孔子はどうだったのか。
 古代中国の社会通念に則った常識人の目で女性をみていたのか。あるいは、女性蔑視派だったのか。それは知る由がありません。
 はっきりしているのは、孔子が関わっていた政治・行政の舞台は、男(中心の)社会でした。その世界に生きる、君主や貴族、弟子たちと交わした問答をまとめたものが『論語』だということです。


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