投げやりになったらお終い。挽回のチャンスはやってくる―『春秋左氏伝』
人生がうまくいかないときに、どうすればいいのか
昇進、昇格の選抜から外れた。希望の部署に配属されなかった。トラブルに巻き込まれた……うまくいかないときや不遇のときに、成功している人、輝いている人が羨ましい。恨めしく思えて仕方がない。
自分なりに努力をしてきたのに、能力も実績もひけをとらないのに……自分だけがどうして不運な目にあうのだ。そういう思いが込み上げてくればくるほど、ふて腐れたり、なげやりになりがちです。
世の中や周りのことを恨んでみても、なにも解決しないのはわかっているのですが、では、ではどうするのがいいのでしょうか。
その参考にしたいのが、古代中国に、貴族の子弟で、後継者になれずにふてくされていた人物が、その後たどった人生です。。
中国古典の『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』、通称『左伝』に載っている話で、物語の主は、魯(ろ)の貴族・公鉏(こうしょ)という人です。
「禍福は門なし、ただ人の召く所なり」
この一節が、「禍福は門なし、ただ人の召く所なり」として知られている言葉です。四字熟語では「禍福無門」。
話は続きます。閔子馬は、公鉏に次のように語りかけます。
以上が『春秋左氏伝』に記された公鉏のエピソードです。
自ら人生切り開いていこうとする人には、幸せが待っている。
公鉏が父親の下した処遇に不満で、不貞腐れたままでいたら、身分が低いまま貧乏暮らしで生涯を終える、そんな悲しい末路を迎えていたかもしれません。考えと行動を改めたことで、公鉏の人生は開けた、と言えるでしょう。
「あなたが日々していることを、誰も見ていないかもしれないし、褒めてくれない。でも、お天道様さまはきちんと見ている」。
それって本当かな、と思うこともありますが、実際のところ、ピンチを乗り越えた人たちをみていると、必死に頑張っているのをみて、誰かが救いの手を差し伸べてくれて、苦境を凌いだ、そんなケースが多いです。
反対に、ひとりよがり、あるいはうまくいかないのを周りのせいにしている人を、助けようとする人は、あまりいないように見受けます。不運に見舞われたという要因はあっても、落ちぶれてしまうのは、自分のせいなのではなでしょう。
「禍福(かふく)は門なし、ただ人の召く所(なり)」。
幸せにしても不幸せにしても特別な門があって入ってくるわけではない。それもこれもみな当人が招くのである。
言い換えれば、自ら人生切り開いていこうとする人には、幸せが待っている。
これは、昔も今もかわることのない、普遍の原則ではないでしょうか。
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