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正解探し→正解創りを

子供の頃、周りの大人たちから「○○しなさい」「○○したらダメ」などの指示や注意を受けます。子供からすれば、周りの大人たちが示す態度が正解と信じます。

ですが、そこそこ長く生きていくうちに、これらは周囲の大人たちという他人の都合に合わせた「正解」だった。
その偏った正解はすべての人や物事に通じないことを、数々の失敗経験から知ります。

わたしは引きこもり生活が長かったため、関わる人がとにかく少ない。
とくに、母親との心理的距離が近すぎたことで出来上がった自分は・・
頑張るときは、融通が利かない生真面目人間に。(認められたくてやる)
失敗したときは、(それを指摘されたとき)被害妄想に囚われた悲劇のヒロインになる。(つまり責任逃れ)

(わたしが経験した)他人が用意した正解の中身は、
他人に認められるためには時に自己犠牲を払い、時に同情を引き付けようとする自己中マインドだった。
そう、強すぎる承認欲求のこと。これでは自己成長などできるわけがない。
わたし自身、ようやく腑に落ちました。

承認欲求を他人に満たしてもらう受け身の生き方は、社会で起こる生存競争から淘汰されるだろう。(長い目で見れば)
こう感じたわたしは、他人の正解を当てにせず、自分で正解を創ること。
その正解を創るには、曖昧で複雑なグレーゾーンとされるものと向き合う。
今後を生きていく上で、ここを重要視しています。

正解創りはとにかく気の遠くなる作業です。(だって自己責任だから)
その作業を少しでも効率化させるためのヒントを、このnoteからも多くいただいています。
「唯一無二のわたし」としての人生を生きる。そのためには、noteを通じたインプットとアウトプットも欠かさない。楽ではないけど楽しいです。

目に見える価値は作れないけど、目に見えない価値は創れる(かも)。
もしかすると、これがわたしの強みになるかも。その可能性を広げるべく、今後も毎日更新にこだわりたいです。



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