とある夫婦の始まりから終末まで⑤

義父からの連絡を受けた私は、普段から電話に出ない妻へ何度もCallし、妻を何とか捕まえました。

ターミナル駅まで車で着替えもせず大至急移動し病院へ。この時点で義母は蘇生こそしたものの、意識はなく会話などはできない状態でした。

疲れもあり、一旦夕方で自宅へ戻って着替えることを提案し、何かあればすぐに病院へ駆けつけるということにした。

着替えて20時ごろだっただろうか?義父から連絡を受け再び病院へ。

22時過ぎに義母は旅立った。なんというか本当に急だった。

これまでのエピソードではちょっと不思議な感じではあったり空気を読めないとかはあるが、こうと決めたら信じて前に進む力はすさまじく、そういう意味では尊敬してました。

余りにも急だったので感情は追い付かず、現役だったこともあり葬儀は超大規模。義父も気が休まることもなく葬儀、葬儀後の対応と慌ただしく過ぎていく。

初めて近親者を失ったこともあり、妻には気を使ったつもりですが、至らなかった点も多々あったかもしれません。

このあたりから家内は実家の資産を相続していくことになりそちらでも苦労しているようでした。冒頭の通り、私は資産に関しては興味がないと宣言していたのでその点は自ら関与することはしませんでした。

一番身近な近親者を失ったことに加え資産を持つことにより、彼女の中での考え方も一段階上がったように感じました。しっかりし始めたというかなんでも人に聞いて解決する姿勢から自分で調べていくスタイルに変わっていきました。

私も常日頃から人に全部聞いて解決しようとする妻に、少し自分で調べてみてわからなければ聞くとかにしないと、嘘つかれてもわからなくないか?と伝えたことがある。なんでも人に聞いて解決しようとする姿勢も半分は気に入らなかったのもあったのだと思う。

一方の私は家の借金や生活費などすべてを出し続けてすっからかんです。俺の老後はどうなるんだろうと不安になりながらも僻んでも仕方ないし頑張るしかない。

少しここでもメンタルバランスがおかしくなったかもしれないです。

それから数年経ち、実家の両親がうごけなくなってきて、姉(長女)より実家もう限界だから助けてほしいと連絡を受けるようになりました。

これまでも姉(長女)は何度も私と父を仲直りさせようとしてくれてたのですが、父は明治時代の人間のような頑固さ。私もその血を受け継いでおり一度決めたら貫く性格でした。

自分の選択とは言え、両親とどのように邂逅すればよいのか、、、
でもなんとかせねばならない。

そんな中、妻が末娘を連れて私の実家に姉の手引きであいさつに行ったようです。私と実家の関係を気にして何も言わずですが。

自分の変なこだわりでこうなってしまった。
妻には相談しようか正直悩んだ。
「ありがたいとは感じているけど、私は私を選んでくれと頼んでいない」
過去に何度か言われたことである。

自分自身の過ちを認められず、父とも話せず、なんでこうなってしまったのか、、、自問自答する日々でした。

「実家がヤバイらしい」と妻に漏らすと、
「あなたが行って面倒見ればいいじゃない」と。

その瞬間頭が真っ白になって大喧嘩になってしまったのを覚えています。
お互いフルタイムで働いていて家事もやっています。
大学生と高校生を抱えれば、お金だって余裕はありません。

私も自分のことしか見えてなかったなと今では反省しています。
父と話もできなくなった今となっては、父に早く謝るべきだった。


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