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父の記憶

「見つけてくれてありがとう」

好きな歌手の1フレーズです
こんなに早くスキを押して貰えるものなんですね。

褒められると一瞬で調子に乗るタイプなので、
仕事もそっちのけで筆を走らせます。

★★★★
私は宮城県で1992年の冬に生を受けました。
覚えている一番古い記憶は、2~3才頃でしょうか。

お風呂でバビル2世の歌を歌いながら髪を洗ってくれている父の姿です。
もっとも、物心つく前に両親は離婚して母子家庭となり、記憶のある限りは
一度も会っていません。

割と珍しい2文字の苗字で気に入っていたような気がしましたが、
母の再婚により、石を投げれば当たりそうなありきたりな苗字になりました。これが確か小学校5年生頃の話で、その時は年子の妹と「新しい苗字になるんだ!早く旧姓とおサラバしたい!」となぜか喜びあっていました。

親子3人で仲良く何不自由無く生活してきたので、恨んだりしていたつもりは全く無かったのですが、苗字が変わるというイベントが発生したことで、私たちの元を去った父の事を急に思い出して、寂しくなったり、怒ったりした感情の裏返しの様なものだったかもしれません。

それから時は流れ・・・
3.11の震災の時、ふと母に「お父さんに会ってみる?」と聞かれました。
この頃私は高校を卒業し大学に入る直前でした。「生きてたんだ、連絡とれる関係にあるんだ、何してるんだろう、家族はいるのかな・・・」

色んな想いが湧き上がりましたが、結果父には会いませんでした。
当時どんな気持ちで断ったのか、もう10年前になるのでちゃんと覚えていませんが、多分めんどくさかったんだと思います。

当時は理想の父親というものに出会ったことが無く、母が再婚した父も全く
家族に馴染みませんでした。仲良くやってた時期もありますが、今では別居、離婚寸前という所です。

だから、会ってもどうせ大した人じゃない、会う事で寧ろマイナスになる可能性の方が高い、じゃあわざわざ会う必要も無いでしょ、メンドクサイ・・という思考回路だったんじゃないかと推測します。

ただ、それから10年経った今では会ってもいいかなと少し思ったりもします。私自身が親になったのも関係あるかもしれません。話のネタにもなりますからね・・

皆さんはどう思いますか?
コメント頂ければ幸いです。

また次回。


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