自分だけが子どものまま

先日、ついに修了することができた。
あまり話せないがいろいろあった中でなんとか修了させて頂いた。
長かったのかは分からない。けど短かったとは1ミリも思わない。
そんな2年間だった。

修了式で後輩や同期に会ったが自分の接し方がぎこちなかった。
ある程度親しくしてはいたが仲良かった感覚があまりなく
何ヶ月に会ったのも相まって距離感がわからなかった。
そういうこともあり、周りとはそんなに喋らなかった。

お世話になった先生方とも少しお話することは出来た。
ぼちぼちいろんな先生方やゼミの後輩、同期と写真を撮れた。
嬉しかったが、もっと後輩と2ショットで撮ってもよかったの
ではないかと後悔に近い感情がある。

”せっかく最後なんだし”というのもあったが、自分から言って
ダルがられないかが心配だったのと周りを信用しきれなかった。
大丈夫だろと思えるほど後輩や同期に対して安心しきれてなかった。
おそらく言っても嫌がられなかったろうし、何も気にしなかっただろう
けど、結局言えなかった。

だから基本的に向こうから撮らない?って言ってもらってという
受け身のままだった。
今後もこの気持ちは残るのかもな。学生生活ももうないし。

終わった後に夜飯をどうするのかみたいな話になったときも
遠方から自分の親が来ていて、同期と話し合って
”せっかくわざわざ親御さん来てるんだから、一緒に過ごしたら?
みんなまた会えそうな距離だし、親御さん大切にしたら?”
みたいな感じで提案してもらった。

言われた瞬間は、でも最近まで帰省してたしいろいろ話したけどな
と思ったが、考えてみればこっちで一緒に電車乗ったりゆっくりすること
自体あまりなかったなと思ったし、その選択肢は言われるまで
思いつかなかった。

そのため、夜ご飯は親と一緒に食べて見送ることになった。
結局この選択でよかったと思うし、気を使ってもらって感謝しているが
”せっかく最後なんだし”同期とご飯食べたいとも思った。
それとまた会えるっていつなんだよ、式終わりに食べていろいろ話したり
するのがいいんじゃないのかよとも思ってしまった。

ここ最近、小学校から大学の同期に会ったけど
自分だけ子どもっぽいなと思ってしまった。

自分から写真撮ろうって言えない
自分のことしか見えてない
親の気持ちを考えれてない

みんなはちゃんと大人の階段を登ってるのに
自分だけ1人踊り場できゃっきゃしてる。

そんなこともあり学生生活最後の式典はもやもやしたまま終わった。
学生という身分が完全に死ぬまであと1週間。
そっからは社会という荒波を航海しないといけない。
いけないって自分で選んだことなんだけど。

こんな自分で大丈夫なんだろうかと不安でしかない。
とはいえ残りの1週間は全力でお金を結構使ってでも楽しむ。
もうこんなに自分で自由に時間を使えることはないと思うから。
この1週間は子どもっぽいままで楽しもう。

2024/03/24

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