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評論風フィクション「学校教育史 近未来編」(7)新自由主義が生んだ究極のシナリオ 学級制度の解体

(2)学級制度の廃止とその効果 -「チャータースクール」の実現

そもそも、明治の学生発布から200年近く、明治24年の改正を除けばほとんどシステムの見直しをしてこなかったことは大きな問題であった。
少なくともこの度の改革が実施されるまで、政府は効果的な施策を何も実施できずにいた。そのことによって多くの尊い命がいじめによって失われたことは悲劇としかいいようがない。

改革の中心は学級制度の廃止

こうした理不尽な学校教育制度にピリオドをうつべく敢行されたのが、すべての学校に選択の自由を保障する大胆な学校制度改革(主にチャータースクールへの転換)であった。そしてその中心に置かれたのが学級の解体であった。

当時の学級は、同年齢・同地区の子どもを同学年とし、子どもや保護者の意向を確認することなく各教室に均等に割り振っていた。
この効率重視のシステムは、高度経済成長期の日本にあっては、均質な労働力を安定的に社会に供給するという意味では効果的であった。
しかし、バブル崩壊後、めざましい経済成長が期待できなくなった時点で、明らかな制度疲労の様相を呈し始め、多くの専門家から機能しないシステムとして批判されるようになった。

また、経済成長が思うように実現できない社会にあっては、大人は子どもたちにわかりやすい目標を与えることができず、努力することの意義を理解させることが困難となった。
子どもたちにとっては、一斉授業によってなされる学習は、いったん授業からこぼれてしまうと、その差は広がるばかりとなり何をしても現状を変えることはできないと諦めるしかない状態であった。
そうしたやり場のない子どもたちの鬱積した気持ちは、いじめという形で学級内部の他者(弱者)に向けられた。同時に教室内に同調圧力が自然発生し、いじめをさらに深刻化させ、大量の不登校児童生徒を生み出していったのである。

学級制度の始まりは明治時代-改革されなかった200年-

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現代の学校教育にはさまざまな課題が、長い間解決されないままになっています。今すぐにでも本気で改革を進めなければ、この作品にあるような学校が…

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