第100話 藤かんな東京日記⑯〜初書籍『はだかの白鳥』を初めて手にした日〜
出来立てほやほやの『はだかの白鳥』と初対面
2024年5月23日、13時、飛鳥新社の一室に通された。長机が2つと、キャスター付きの椅子が6つおいてある、10畳くらいの大きさの部屋だ。ここの部屋には何度来ただろう。月刊Hanadaのニコ生出演、『はだかの白鳥』の打ち合わせ、編集者との原稿チェック———壁に貼っている出版書籍のポスターの位置まで、正確に覚えてしまった。
この日は、製本された『はだかの白鳥』を受け取りに来た。出来立てほやほやの完成本である。
部屋に入ると、机の上に黒基調のピカピカの本が5冊、積まれていた。『はだかの白鳥』だ。1冊手にとる。想像はしていたけれど、思った以上に分厚い。
そりゃそうやわな。372ページだもん。よくこんなに書いたな。
自分で書いたものなのに、まるで他人の著書のようだった。
初めて自分の書いた本を手にした時、どんな気持ちになるのだろうと、最終入稿が済んでからずっと考えていた。感極まって泣いたりするのだろうか。手が震えたりするのだろうか。実際はそのどちらでもなかった。
やっと会えた。
そんな気持ち。感動と言えば感動なのかもしれない。だがもっと静かで、でも幸せな感情。体の中でパンパンに膨らんでいたものが、すろんと外に出るような。自分の分身を目の前にするような、不思議な気持ちだった。
私がもしいつか子供を産んだら、こんな気持ちになるんかな。
そう思いながら、指先でつまみ、薄く本を開いた。
そこに飛鳥新社編集長の花田さんがやって来た。
「とっても良い本だよね。本当に良い本ができたよ」
花田さんはそう言い、楽しそうに本をペラペラめくった。彼はいつも本を見る時、愛おしそうな表情で文字を追う。心から本を雑誌を、出版物を愛している、そんな花田さんが私は大好きだ。
「今日、野中さんはいないんですか」
私は花田さんに聞いた。野中さんとは飛鳥新社の編集社であり、『はだかの白鳥』の担当編集者だ。
「野中はね、どうも寝坊したみたいだね。連絡がつかないんだ。こんな大事な日に寝坊するって、ったく、あいつ何やってんだろうね」
花田さんはそう言って笑っていた。「野中さん、いつも寝てなさそうやもんな」と、隣にいた社長はつぶやいていた。
ゲラの修正は変態行為
初めての担当編集者が野中さんで本当に良かったと思っている。それを強く感じたのは、編集の終わった原稿を入稿してから、最終入稿までの2週間だ。
4月24日に初校ゲラを受け取った。ゲラとは、見開きの状態で印刷されたチェック用の原稿のことだ。誤字脱字はもちろんのこと、文法的におかしな部分はないか、句読点の位置など、とにかく気になる部分を修正する。
「新しく何かを書くよりも、書いたものを編集・修正する作業の方が大変だと思います。ゴールはないです。だからどこかで妥協が必要ですよ」
野中さんからはそう忠告されていた。言葉通り、ゲラの修正はなかなか骨の折れる作業だった。なんせ372ページあるのだ。1巡読むだけでも結構な時間がかかる。それに読めば読むほど、言葉のテンポや言い回しが気になる。さらにはこれまでの私の過去や、その時の生々しい感情に、何度も触れ、泣いたり笑ったり。物理的にだけでなく、感情的にも大変な作業だった。
自分の過去や感情を掘り返して、それを書いて読んでもらい、そうすることで快感を得る。これは変態行為なのではなかろうか。AVで陰部を丸出しにするどころか、外的には見えないはずの心の深部まで丸出しにしているのだ。でもそれをせずにはいられない。つまり私は変態なのではなかろうか。
深夜の冴え切った脳みそで、そんなことを永遠と考える。ふとすると窓の外が明るくなっていて、爽やかな鳥の鳴き声が聞こえてくる。少し寝ようとするが、眠気は全くやってこない。やっぱり原稿を読み続ける。気付けばもう日が暮れ始めている。
自分のいる空間と、外の世界の時空がズレているような、まさに精神と時の部屋にいる4日間を過ごした。
28日の夕方、飛鳥新社へ出向き、修正を加えた初校ゲラを入稿。次は原稿を校閲の部署に回し、さらにチェックしてもらうとのことだった。
もう私は原稿を確認することはないのだろうか。少し寂しいような、でもホッとした気分で、野中さんと今後の打ち合わせをした。
「5月頭に再校を出しますので、それを再度チェックしてください。次が最終入稿になります」
野中さんは言った。
また原稿と睨めっこ耐久レースをするんか・・・・・・。
私は無理矢理に口角を上げ「ありがとうございます」と言った。これぞ生みの苦しみなのだろう。
岡本太郎に近付いた48時間
5月5日、祝日、飛鳥新社に再校ゲラをもらいに行った。さすがに出版社も、祝日は祝日らしく、社内には野中さん1人しかいなかった。
「校閲を通しても誤字は残るので、ここからは僕と藤さんが誤字を止める最後の砦です。そのつもりで最終チェックをお願いします」
明らかに寝不足な充血した目で、野中さんは言った。
最後の砦———その言葉に、腎臓の上らへんからアドレナリンがジュワッと出た気がした。最終入稿は2日後の5月7日らしい。
「リミットはあと48時間ですね」
飛鳥新社を出る時、野中さんは私の背中にそう声をかけた。血走った目の野中さんが言うと、ジャックバウワーよりも迫力があった。
最終入稿までの48時間。心身ともに戦闘モードの48時間だった。
何度も読んでいる原稿は、気を抜くと、つい斜め読みしてしまう。それを防ぐには音読が効果的だった。しかし音読してまで集中して読むと、漢字がゲシュタルト崩壊を起こしてきた。「ええい、いっそ全てひらがなにしてしまえ」と投げやりな精神状態になったりもした。
最終入稿まであと18時間。社長から「まだ直す部分なんてあるの?」とLINEがあった。余裕を無くしている私を察して、「もう十分やり切ってるで」と気遣ってくれたのだろう。だがその時私は、文章を書くって孤独やな、とセンチメンタルな気分になった。
まとまった文章を書くようになって、執筆は思っている以上に時間のかかる作業だと改めて感じた。一箇所に「、」を打つかどうかで1時間ほど悩んだりする。「てにをは」を少し変えただけで、その後の文章に微調整が必要となる。自分でも「時間を使ってる割に、全然進捗ないやん」と絶望的な気分になるとこが何度もあった。私は筆が遅いのだろうか。書く能力ないのだろうか。そういたずらに自信をなくすことは頻繁にあった。
原稿はもう直す部分なんてないのかもしれない。十分に書き切った。しかし私が筆者である限り、やはりゴールはない。
執筆は孤独だ!
岡本太郎の境地に近付いた気がした、48時間だった。
最終入稿、野中さん怒(いか)る
5月7日、最終入稿の日がやってきた。16時、化粧をする気力もなく、すっぴんのままメガネをかけ、10年以上着ているユルユルの服を着て、飛鳥新社に出かけた。
飛鳥新社のいつもの部屋に通され、後から野中さんが付箋のいっぱい付いた原稿を持って入って来た。彼は相変わらず目が充血しており、顔が青白かった。
目が赤くて顔が青い。野中さん、あなたはもう鬼ですか?
そして野中さんとの修正点の読み合わせが始まった。原稿の修正をしていて、ひとつ印象的だったことがある。野中さんは修正点を「この部分はどうしますか?」と聞いてくるのだ。もちろん彼から修正案は提示されるが、最終的には必ず、筆者の私に決めさせる。それが印象的だった。
これは初めてAV撮影をした時と似た印象だった。無名の女優、無名の著者なんて、ぞんざいに扱われるのだろう。AV撮影の時も、今回の書籍化でも、それは覚悟していた。しかし私の偏見でしかなかった。想像とは真逆で、野中さんは100%私の言葉を尊重してくれた。それがとても嬉しかった。
原稿の読み合わせも4章まで進み、野中さんが「ちょっと話変わるんですけど」と話し始めた。
「僕、この炎上の部分を読むと、毎回ムカムカするんですよ。藤さん、4000万ビューもあった投稿を削除したでしょ。あんなの叩かれたって、絶対消さなくて良かったんですよ」
さっきまで血色の悪かった野中さんの青い顔が、赤くなってきた。
「僕もX(エックス)で、『月刊Hanada』のアカウントを動かしているんですけど、何があっても絶対に投稿は消さないって決めてるんです。放っておく。逃げない」
『月刊Hanada』は、野中さん曰く「かなり尖った雑誌だから、アンチも多い」らしい。そしてよく戦いを挑まれるのだそうだ。一般人からだけでなく、新聞社からもよく議論を持ち込まれるとのこと。
「飛鳥新社を本当に嫌いな人はたくさんいるんです。でも言わせておく。だってアンチがいてなんぼですからね」
真っ赤な目で真っ赤な顔をしながら言う野中さんは、仁王様(金剛力士像)のようだった。
原稿の読み合わせは4時間にも及び、全て終わった頃には頭がぼーっとして、脳が腫れぼったかった。
「お疲れ様でした。これで入稿します。でも———」
え、でも?
「でも、どうしても修正したい部分があれば、遠慮せずに言ってください。まだ9日の夕方まで修正できます。ここで遠慮すると絶対にダメです」
ゴールテープは48時間先に延ばされた。
安堵からの緊張へ急転換。嬉しいような叫び出したいような。人は感情が混沌とした時、広角の筋肉が緊張するようだ。私は「分かりました。ありがとうございます」と笑った。お手本のような苦笑いだっただろう。
延長でもらった48時間、私はずっと37度の微熱を出していた。野中さんからはいくつか修正案の連絡が来た。彼は最後の最後までパワー全開で向き合ってくれている。それなのに著者本人が熱を出して、情けない。
そういえばエックスが炎上した時も、ずっと熱を出していたなあ。あれから1年で本を出版できたんやなあ。
そんなことを思い出しながら、バナナを齧り、ひたすらに原稿の文字を追い続けた。熱のせいか、時たま文字がウヨウヨと動く。キモチワルイ・・・・・・。
しかしもうこの時は、読みながら感情が揺れることはなかった。完全に自分の中で過去を消化し尽くしてしまったのだろう。それができたのも文章を書くきっかけをもらえたおかげ、こうして書籍化できたおかげだ。私はたくさんの人の、たくさんの知恵と経験と助言と時間と熱量をもらって、またひとつ大きな壁を乗り越えられた。私だけではないたくさんの人の魂がこもった本。だからこの『はだかの白鳥』が、誰かの糧になれば良いと思う。そうなることを心から願う。
こうして『はだかの白鳥』は無事に完成した。
サポートは私の励みになり、自信になります。 もっといっぱい頑張っちゃうカンナ😙❤️