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#1_拝啓、もう1人の私へ

中1の夏、10才上の姉にアニメ『十二国記』を薦められたどハマりした私なのだが、なかでも印象に残っているのが、「東の海神 西の滄海」のチャプターである。十二国記の世界観を語りだすと止まらないので詳細は端折るが、なかに登場する架空の国、雁国の延王・尚隆が延の麒麟(王様を選ぶ神獣)に選ばれてから着位して間もない頃に起きた内乱を収めたといういたってシンプルなお話である。すっごい雑に説明するとその内乱を起こしている側のリーダーを王側がやっつけたという話で、そのことを取り巻く心情としては、内乱起こした側に対して、立場が違かったら俺自身(王自身)もそうなってたし、内乱起こしてたしな…というので、もう一人の俺として、毎年その人の命日にて弔いつつ、王としての自身のやり方を省察するタイムを設けているという話。雑すぎて雑いので、あの、よかった本編見てください。あと、十二国記の世界観・概念理解はこちらからご覧いただけますので、もしよろしければ…!

というので、私の人生におけるもう一人の私について、今日は綴りたいと思う。

もう一人の私、M氏との出会いは台湾の高校であった。台湾の高校というのはいうまでもなく、台湾の学校なので基本的に同級生は皆台湾人で、台湾語を織り交ぜた中国語を話す人々である。ただ、台湾も元々マルチエスニックな社会であること、それから台湾と日本の結びつきはやはり強いので、日台の国際結婚家庭で育ったであろう同級生は一定数いたが、その数は多くはなかった。私も体験したが、日本名のみ持っている場合は、名前が四文字でとにかく目立つので、出席とられるたびに「お、日本人か」「母語はどっち?」「いつまで日本にいたのか」とそれぞれの先生に根掘り葉掘り聞かれるという目立ちっぷりである。だから、高校に入学した時に同じクラスに振り分けられたMと出会った時は、とても嬉しかったし、運命共同体に感じた。なぜなら、Mも私と同様に苗字二文字、名前二文字を持った日台のミックスであったからである。そして、誕生日も1週間違いという、同じ星座だねキャッキャッ的な至って純粋なJKのノリで、秒速で仲良くなった。

私は台湾の日本人学校(現地だと私立の外国人学校として位置付けられる)に通っていたのに対して、Mとしては日本人学校に行きたかったけど、Mの親が学費が高いから諦めてくれとのことで、地元の公立小学校、中学校に通っていたという話を聞いて、ああ、日本人学校に通いたくても通えない子っているんだなと初めて気付かされた。Mはその他にもたくさんの自身のストーリーをシェアしてくれた。親は自分が幼い頃に離婚して、父は一人で兵庫に住んでいること、自分は母親のもとに育ったが、母親の出自はかなりのヤクザであること、自分の地元は治安は悪く、通っていた小学校や中学校でも「雑種じゃん」と言われて揶揄われたこと、「小日本」(小…貶める意味を持つ)などと投げかけられで育ってきたこと、名前が四文字だから無駄に目立ったり、日本語話せるていで見られるけど、本当は何も話せなくて、アイデンティティについて悩んでること、そんな話をしてくれた。

今振り返ってみると、Mとの出会いを通して得られたものが、今日こうして私が研究の道に進んでいることにつながっているのかもしれない。

というのはさておき、一見順風満帆な友情のスタート、と思いきや、
高校から入学して3ヶ月後、Mは他の強そうな台湾JKを巻き込んで、私をターゲットにしてさまざまな形で嫌がらせをしてくるようになる。という終わりの始まりであった。きっかけはおそらく些細なすれ違いで、今となっては詳細は微塵も覚えていない。最初は健気に仲直りしようよ、などとこちらから歩み寄る姿勢を見せていたが、次第に諦め、人々と関わることもやめ、私は私の人生における最も暗黒な時代を過ごすことになってしまうのだが、その状況の本当の打開は高2に上がるタイミングで訪れるのであった。そう、みんな大好き、クラス替えである。

私の通っていた高校は、いくつかコースに分かれており、暗黒の時代の真っ最中にいた私は、台湾にいてたまるか、日本行ってやるという一心で、日本の大学受験の勉強の確保を見越して(後付で〜す)、日本語コースを選択した。日本語コースでは週3ぐらい日本語の授業があって、その間は自分の勉強ができるラッキーハッピーシステムだったので、そういう戦略をとった私ですが、一方Mも、前述の通り、あまり日本語が話せず、日本語を獲得しようと、日本語クラスを選択するわけです。いじめっ子といじめられっ子、また同じクラスで再会せねばならない、という結末なのだが、緩やかに関係が変わっていきます。まず、日本語の習得に比重を置いているカリキュラムデザインであるため、文法の学習などの座学のほかに、日本の学校との交流があったりする訳なのです。そのため、次第に、台湾人の同級生たちは、第二外国語として日本語を勉強していくなかで、両方流暢に話せるバイリンガルである私に対して尊敬の眼差しを宿すようになります。それにプラスして、高1の時のクラスの構成員とはまた異なるので、他のクラスから来た割と心がまともな子たちと仲良くなるにつれ、Mもまた私に対して緩やかに態度を変えます。まあ、いい意味でも悪い意味でもサーファーなんでしょうね。波を見極める系の。

日本語クラスでのテストの前に、答え教えてよとカンニングの耳打ちしてきたり、交流の時は思いっきり私を頼ったり、と。まあ、今となっては可愛いもんだけれど、当時はとてつもなく腹立たしく思った。自分が中心にいないと拗ねるところ、どこに行くにしてもいつも二人ぐらい従えて、付き添わせて、機嫌を伺わせて、というところ。私を散々傷つけておいて、けど日本語クラスのあらゆるところでは私の能力が役に立つから利用してこようとするところ、人生で初めて誰かに強い気持ちでこの世界から消えてほしいと思ったのは、後にも先にもこのMだけなんだと思う。

まあ、かくいう私も心を無にして、あれもこれも日本での憧れのユニバーシティーライフまでの辛抱…南無…という日々を過ごすことで、Mをいい感じに回避する日々を全うする訳なのだが、その後人から聞いたのは、Mが大学受験の統一テストでカンニングした事実、そしてカンニングしたにも関わらず大して良い大学には行けていないという事実、そして法律を専攻するということ。私との関わり方だけを見たら、はて?となってしまったのだが、まあ、どうでも良い。なぜなら私は日本で生きることにしたので。てな具合にね、私の記憶からも薄れつつあるMです。高校卒業した瞬間に連絡先全て消したので、それも相まって薄い薄い。そして彼女は近年、台湾のどこかで警察官になったとか…。

彼女が決して辿り着くことないであろうという前提をもとに、私は今noteに綴っているのだが、実は、今日がMの誕生日なので、私から最後にお祝いをさせてください。おそらくだけれども、ちゃんとMの話をするのが、最初で最後になりそうなので。

M、お誕生日おめでとう。高1の時から知り合って約12年が経ちましたね。
記憶は薄れつつありますが、今でもあなたのことをよく思い出しています。人は、傷つけたことよりも傷つけられたことの方がしっかり残っているのでね、私はあなたのことを忘れたりはしません。今でも運命的な出会いであると思っています。なぜなら、あなたと出会わなければ、日本と台湾の国際結婚家庭に生まれ育った私はなかでも恵まれている方という自分自身の持っている特権に気づけなかったから。あなたと出会わなければ、こんなふうな楽な道を選び、綺麗事を言う説得力のない人間にはなりたくない、と気付かなかったから。

けれど、私は毎年7月23日になるとあなたを思い出しては、
あなたはもう一人の私なのだな、としみじみ思います。
この世界に”絶対”などなく、たまたまその状況に置かれているだけなのだから。Mと私の立場が逆だったら、私も同じように接していたのかもしれない。

Mは今幸せでしょうか。まあそこについても特段興味はないのですが。人生で関わることは二度とないと思うのですが、あなたが私のことを傷つけた事実の裏側にある背景として日本/台湾でののアイデンティティの揺らぎがあったのは確かだと思うし、私に心底嫉妬していたのも今だったらよくわかります。だから私は、研究というアプローチをとってもっともっとこういう文化的なアイデンティティの揺らぎを持つことに起因するミックスの子ども、若者が生きやすいような社会を作ります。あなたもあなたの正義をどうぞ貫いて、警察官としての仕事を全うしてね。けど、あなたの正義が相変わらず楽な道を土台にして築き上げているものであれば、その時は遠慮なく張り倒していただきますわ。そんな感じで、お互いの人生に邁進していきましょう。さようなら。もう一人の私、本当にお誕生日おめでとう。


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