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短編 伸び(1095文字)


小中学校と怒涛だった背の伸びはもう完全に止まったのに、毎日毎日喉仏の右隣、剃りずらい所でヒゲは伸びている。
にもかかわらず、あらゆる場面での成績というものは伸び悩んでいる。

切り餅を4個、オーブントースターに入れる。
朝5時43分、試合のある日の朝は餅とうどん。
小学生の時からずっと変えていない。
水と、酒とみりんと白だしと麺つゆと砂糖を、鍋に入れ火にかけ、沸いたタイミングでちょうど温まった冷凍うどんをレンジから取り出し、入れる。うどんを煮て、焼け上がった餅も後から入れて煮る。

出来上がるのは、噛む必要が無いくらいデロデロのうどんと、同じく箸でつまむのが難しいくらいデロデロの餅。
離乳食を連想させるこの小麦粉と米の塊のエネルギーで、今日も戦い抜かなければならない。
餅は箸から逃げるように伸びる。それをすするように食べる。

改札を抜けて、急行が止まるホームに出る。
6時36分発、東京とは逆方面行きの電車に乗る。
大体、綺麗で広い人工芝のグラウンドは、都心からだいぶ離れた場所にある。
そして決まって、どこからか堆肥の臭いがするような所で、近くにコンビニは絶対に無くて、バス以外の辿り着く手段が無いのにバスの本数が無い。

次の駅で乗ってきた女の人の首筋に、キスマークのような痕があるのを見た。
なぜか当たり前のように、特別美人では無いのに、まじまじと目で追ってしまうような雰囲気がある。
シンプルでありながらお洒落で高そうな服、カバン。少し無造作に乱れた髪に、明らかに眠そうな顔。そしてキスマークが視認できるくらいゆっくりな歩き。

その女の人がどんな人なのか。そんなの自分には関係ないし、そもそも考えてもわからないに決まっている。にもかかわらず、突拍子もないことを考えようとしてしまう、しかし行き着くのはいつも、安直で単純な妄想の塊なのだ。
諦めていつものように、ツイッターで好きなアニメの美少女の絵を見て鼻の下を伸ばす。
首元を触ると、喉仏の横の髭の剃り残しの存在に気づいた。所詮自分はこの程度なのだ。大人になってもきっとこのままだ。

目の前には逃げ出したくなるほど沢山のライバルが居て、各々死に物狂いで日々成長を求めて行動しているというのに、自分は一体何をやっているのだろうか。不安なまま、なぜ伸び悩み苦しむ自分をからさらに逃げるのか。ヒゲにもってかいれる養分をどうにか出来ないものか。

ふと気がつくと、じんわり汗をかいていた。
どうやら胃袋ではちゃんと消化が進んでいるようだった。
諦めて、今日の試合のことを考え始めた。相手は格上だ。成長するにはちょうど良いじゃないか。
そもそも出場出来るか怪しい現実からは目を逸らした。

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