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短編 手羽先を見ると (3392文字)

鍋が美味しい季節になって、手羽先と出くわす回数も増えた。今日はどうやら塩ちゃんこらしく、私は柚子胡椒を冷蔵庫に取りに行った。

手羽先は昔から好物だし、作ってもらってる立場なのだから文句なんて言わない。

ただ、そのやわらかく調理された手羽先の肉を骨から外し、食べ、関節を外し軟骨を食べる。
その感触を指と口で感じれば感じるほど、須田のことを思い出してしまう。


高校3年の冬、クラスメイト達が部屋の中で受験勉強に追われている中で、我々サッカー部だけはいつもグラウンドに居た。

肌が切れそうなほどピリついた空気は、寒さのせいだけでは無い。3年生、少しの2年生、マネージャー、監督。誰もが神経を研ぎ澄まし、一瞬一瞬の動きの質を高めていく。
選手権を間近に控える我々は、かつて無いほどにまで練習に集中していた。4時に授業が終わり、練習を始め、今はもう9時になろうとしている。
それでも脚は止めない。

その光景は側から見れば少々異様なものだったと思う。全身から白い湯気がオーラのように溢れ、常に誰かしらが大声を張り上げ、全員が殺気を孕んだ目つきをしている。

体育会系特有の緊張感が、乾燥した冬の夜風を切れ味の悪い刃物のように変える。


練習終わりに、私はいつも通り、須田と着替えをしながら話していた。

須田はディフェンスで私はフォワード。雑な上に決定力に欠ける荒いプレーしか出来ない私に対して、彼はコート内で仕事を完璧にこなし、安定という言葉を体現するかのような、誰が見ても上手いと思わせる大人びたレベルの高いプレーをする。完璧なキャプテンシーを持った自慢のディフェンスだった。

実際、全国大会が始まる前のこの時期で、既に彼にはプロ団体からいくつかオファーが来ていた。


「まさかここに来て駿河第一とやるとはなぁ」

須田が参ったような口調で言う。というのも駿河第一は全国常連で、前々回大会では優勝している強豪である。10年ぶりに出場権を得た我々にとって、初戦で彼らとあたるのはなんとしてでも避けたかったが、やむなくその決戦の日は来週まで迫っている。

「あっちも今年は選手層厚いから相当厳しいぞ」

須田がソックスについた芝を取りながら言う。

「なんか二年にやばいやつが二人居るらしい。 馬鹿でかくてフィジカル頼りのゴリラみたいな
やつと、ネイマールばりにドリブルするやつ。どっちもU18の日本代表でフォワード」

私は替えの靴下を探しながら答えた。

「ほおん。1人目に関しちゃ俺とキャラ被ってるな。まあお前なら、俺で対策出来てるから大丈夫だろ。最後にお前を抜いた時を俺は覚えてない」

須田は顔を動かさず答えた。芝はなかなか取れない。

「お前日本代表落ちたじゃねぇか。それに、お前の相手ばっかしてたせいでドリブラー耐性無くなってたらどうすんだよ。ゴリラ封じてもネイマールもどきが来るんだぞ」

「申し訳ありませんねネイマールもどきじゃなくて」


そうして私と須田はバスに乗り込んで、暖房を身体に染み込ませる。今日は12月26日。年を挟んで行われるこの大会に参加する者は皆、クリスマスも正月も捨てる。

須田も私も、これまでの人生をこの大会に捧げている。この大会で結果を出して、プロへの道を掴む。無論負ける気はない。

そして、加速しているかのように進む時間に必死に食らいつき、我々は万全を期して試合に臨む準備が出来ていた。


人が埋まった球技場が、今日は自分のために用意されている。私たちは、緊張と不安と興奮でどうにかなりそうだった。私も余計な事を考える。爪はちゃんと切ったかな。

見かねた須田が、手を叩いて集合をかけた。そして、全員の顔を覗き回しながら言った。自然と円陣の形になった。須田は笑っていた。

「ついに来たぞ。ここ、最高の舞台に。なんだよ、全員死にそうな顔してんじゃねえか。お前ら勘違いすんじゃねぇぞ。俺らが負けたってな、誰も何も気にしねぇんだよ。ここに観にきてる全員が俺らが負けると思ってる。多分親もだぞ、どう思うよ。緊張するほど誰も気にして無いんだよ。なあ? どう思うよお前ら。」

須田は一呼吸置いた。そして血相を変えた。

「俺はな、それが死ぬ程腹立つんだよ。なあ。俺たちは死ぬ程かけてきただろ。ここまで。やり切っただろ。全国とは言えまだ初戦だ。ここで負けたら、全てが無駄になったと思え。逆に勝って、観てるやつら全員度肝抜かしてやると、知らしめてやると思え。親の期待を裏切ったりなんかすんじゃねぇ。親は全員俺らのこと信じてるからな。俺らを信じてる人、支えてくれている人たちを
全員大喜びさせてやろうじゃねぇか。なあ。そのくらいの価値がこの試合にはある。大番狂わせ。大どんでん返し。最高だろ。なあ。いくぞ、俺たちには今なんにもない。怖がるな。俺らなら出来る。全身全霊を全部ぶつける。絶対に

大きく息を吸う。誰も緊張なんてしていない。それどころか全員目が輝いている。この溢れんばかりのエネルギーを、ぶつける準備が今、出来た。

おそらく須田は勝つぞ、と言ったのだろう。でももう少なくとも私の耳には聞こえない。もう何も覚えていないのだった。あの円陣で何かがはずれ、全員が狂った馬のようになった。須田を見る。彼も同じだった。情熱的に、かつ冷静に。立ちはだかる相手を見据えている。

そして、我々は最高の入りで試合を開始した。



今思い返しても、完全に雰囲気に気圧されていた我々を、あそこまで豹変させれた須田の円陣は奇跡を起こしていたと思う。恐ろしいことに、私はあの試合のほとんどの記憶がない。私は90分フル出場したはずだし、録画ビデオを観ると、そこには今までで1番。どの観点から見ても1番良い試合をしている当時の我々の姿が見れる。

しかし、そのビデオの最後では我々は、全員が地面に突っ伏し、抑えられる訳がないくらいたくさんの涙を天然芝に染み込ませていた。そしてピッチ上にも、そしてベンチにも、須田の姿はなかった。

それは、後半25分に起きたある事故が原因だった。私はその事故をもう1度見るためにビデオを最初から見返した。


前半は激しい攻防の末0-0でハーフタイムを迎えた。この時点で観客は少しざわめいていた。我々は猛攻を制し、決定的な攻撃のチャンスを作ることも出来ていた。期待は膨らんでいく。後半に入ると、どんどん大きくなってくる歓声が聞こえてきた。

後半25分、コーナーキーックのチャンスが来た。私も須田もゴールを狙う。事前の作戦で、本命は須田。1番背が高く、ヘディングも上手い。

2年生がいいキックを出す。狙い通り、須田めがけて弧を描いて飛んでくる。

全員が目を見はった。完璧だった。
しかし須田は、急に体制を崩した。
ゴリラみたいなやつが、須田のユニフォームを引っ張ったのだ。そして須田はバランスを崩したまま、変な体制で地面に足をついた。と、

次の瞬間、その場に居た全員にハッキリと聞こえる音がした、それは、木を砕くような、また、
手羽先の関節を外すような。


誰よりも高く飛んだ須田は着地に失敗した。
そして、無理な角度で足に体重が加わり、
膝が本来曲がるべき方向と真逆に曲がった。




須田の叫び声が聞こえ、私は駆け寄っている。その場は騒然としていた。担架係がもたついているのを見て私が大声でキレている。膝に布がかぶせられ、須田は呻き声を発し続けながらコートから消えた。

私は、ショックで頭が真っ白になり、その後のPKを外した。



改めて見返すと、この試合の負けの原因は、PKを外した私にあると思わされる。決めていれば、その1点を守りきればよかったのだ。

なのに私は、そこで集中が途切れてしまった。彼と過ごした、濃厚な3年弱の過去。そして素人が見ても、下手したら2度とサッカーなんて出来ないと思わされるような、ショッキングな絵面の彼の姿。彼に声をかけていたプロチームの話と、彼の夢の話。

結局その試合は、試合終了間際にカウンターで沈められ、私たちは敗退した。


手羽先が夕飯の鍋に出てくると、今だに思い出す。須田は今では、運動こそできないものの普通に暮らしているし、私も手羽先を美味しく味わえている。ただ、あの音と、あのショッキングな光景は、今後一生覚えているだろう。

でもそれは、夢に出てうなされるなんてものではない。ただ単に手羽先を味わっている時に、ふと思い出すだけなのだ。私は自分がこんな性格で良かったとつくづく思う。








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