引きこもりの食欲。
詳しいことは省くが、ここ一ヶ月ほど引きこもり生活を敢行している。
容赦のない日差しが産み出す熱気に耐えられるほど私は頑丈ではなくて、少しでも外に出ようものなら2日は寝込む生活をしていたのは7月の前半。そうした無理が祟って、ついに本腰入れた引きこもりへと変貌を遂げたのが先月。ようやく体調が落ち着いてきて、生活は建て直せそうだ。
さて、引きこもりも飯は食う。世の引きこもりの平均値は知らないが、私の場合は一日一食(またはそれ以下)程度の頻度で、平均的には茶碗一杯のご飯と、それに見合ったおかずを食していたと言っていいだろう。内訳を見ていくとスーパーのお弁当だったりもする訳だが、それはともかく。
それで、食欲について。
正直なところ、家にひきこもっている間はすることがない。私は趣味で絵を描くので、それをしたり、余力のある日には家事をしたりしたものだが、如何せん起き上がる気力も着替える気力すらもない日が続いていた。想像しなくとも察せられるだろうが、体力の使いどころがない生活というわけである。買い物に出るにしたって、さほどの移動ではない。歩数は1000歩を下回るのが常だったし、生理的に空腹が訪れたとして、水を飲めば膨らむ程度のそれだった。
つまり、食が非常に細くなったのである。
そもそも、私は食事を積極的に摂る方では無いし、空腹感を覚えることもそんなにない。どうしようもなく塩分が欲しくなるような飢餓感はあれど、それも空腹とは結びつかない感覚だろう。
だから、この引きこもり生活中は余計に食事が苦痛だった。お茶碗一杯の半分も食べれば胃は満たされたし、スーパーで買った焼きそばは三分の一くらいで満足してそれ以上を受け付けなかった。一日にそれ一食しか食べないにもかかわらず、である。
もちろん栄養が足りているわけなどない。摂取カロリー量なんか測るまでもないし、健康的かと言えば不健康極まりないだろう。ただ、基本動かない人間がとる食事として、それくらいの量が適切ではないのか、という考えもある。その辺は詳しくないので知らないが。
私の好物はラーメンとホルモンだ。ラーメンは鶏系のスープが好きだし、ホルモンはマルチョウが好きだ。ラーメンは元気な時であれば一杯を普通に完食できるし、ホルモンについては5皿でも6皿でも食べられるほどの好物だ。
これが、引きこもり中にはできない事だった。
少し元気のある日に最寄り駅のラーメン屋に行って、普通盛りの中華そばを食べた。普段なら物足りなく感じるほどの量、とはいえ、腹八分なのでちょうどいいのだが、少なくとも満腹で苦しむことがない程度の量。これが完食出来なかった。残すのが申し訳ないので麺だけはかきこんだものの、トッピングの類まで手が伸びない。普段ならその美味しさに喜んで帰るところが、この日ばかりは罪悪感に苛まれながらの帰宅となってしまった。あまりにも悲しい。
補足しておくと、美味しいものを食べることそのものは嫌いではない。ただ少食と言うだけで。だから、美味しいものを美味しく食べることが出来ない悲しみに打ちひしがれたわけである。
引きこもることは悪いことでは無いと考えている。というより、そう思わなければあまりの罪悪感に生きることさえ困難になってしまう。
だが、実際食欲は失せるし、そもそもそうなる時点でストレス過多なのだから、何をするにもままならない。困ったものだ。引きこもっていていいことはあんまりない。
およそ二ヶ月の引きこもり期間を経て、これから私は生活のサイクルを立て直す訳だが、さて、食欲が戻ってこない。
体を作る元となる栄養が何も無いので元気もない。元気がないと、食欲が湧かない。
どうしたものだろうか。不健康から抜け出すことはそう簡単では無いらしい。