見出し画像

理性の痙攣、苦悩の淵源、かかろっと、

三月十六日

「金は諸悪の根源だと言われている」とカレドは彼のアパートメントで言った。彼の英語にはニューヨーク訛りに、アラビア語、それに申し分なく話せるヒンディー語の訛りがふんだんに混ざっていた。「しかし、それは真実ではない。真実はまったくその逆だ。金が諸悪の根源なのではなく、悪こそがすべての金の根源なんだ。清潔な金なんてものは存在しない。世界じゅうの金はどれも多かれ少なかれ汚れている。なぜなら、清潔に金を稼ぐ方法など存在しないからだ。きみがもし金を稼げば、どこかで誰かがそれによって苦しんでいる。思うに、ほとんど誰もが、ほかのことでは決して法律を破らない人々でさえ、闇市場では進んで一、二ドルよけいに金を増やそうとするのは、ひとつにはそのせいだ」

G・D・ロバーツ『シャンタラム(中)』(田口俊樹・訳 新潮社)

午前十時十一分。覚醒用黒液体、アーモンド、ベビーチーズ。九時半ごろ爺さんが小銭を千円札に替えてくれと頼みに来た。午前中は俺にとってすべて「早朝」だということをどうしたら分からせることができるのか。この爺さんは自分が活動している時間は他の人も活動しているに違いないと思っている。自分が酒に酔って気分がよければ誰構わず電話をかけるタイプに違いない。あるいは自分が人生を愛しているからと子供をつくろうとするタイプに違いない。友人にはなれない。きのうは終日部屋にいた。主として「厭世」についての論考の原稿書き。私は母親の産道の出口で、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という銘文を読んだ記憶が濃厚にあるので、希望を語りたがる人間がバカにしか見えない。昔からそうだった。「厭世主義は体力の欠如、楽観主義は知能の欠如」とどこかで聞いた覚えがあるけど思うにその体力の欠如は鈍感さの欠如に原因している。きょうこのあと外出しないといけないからもう書くのをやめる。パスカルの『パンセ』は山田風太郎の『人間臨終図巻』と並んでもうすっかり枕頭の書になっている。

私たちの状態が本当に幸福だったら、そのことを考えまいと気をそらせる必要もなかったであろう。

田辺保・訳

わたしは、もしすべての人がおたがいに何を語り合っているかを知ったら、この世に友は四人といなくなることは確かだと言いたい。

同上

彼は「なにをいまさら」と思うこともたくさん書いている。そういうことの方が多いかもしれない。でもそれを他人の書いたもののなかに見出すとやはり嬉しくなる。ナンシー関口ひろし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?