理性の痙攣、苦悩の淵源、かかろっと、
三月十六日
午前十時十一分。覚醒用黒液体、アーモンド、ベビーチーズ。九時半ごろ爺さんが小銭を千円札に替えてくれと頼みに来た。午前中は俺にとってすべて「早朝」だということをどうしたら分からせることができるのか。この爺さんは自分が活動している時間は他の人も活動しているに違いないと思っている。自分が酒に酔って気分がよければ誰構わず電話をかけるタイプに違いない。あるいは自分が人生を愛しているからと子供をつくろうとするタイプに違いない。友人にはなれない。きのうは終日部屋にいた。主として「厭世」についての論考の原稿書き。私は母親の産道の出口で、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という銘文を読んだ記憶が濃厚にあるので、希望を語りたがる人間がバカにしか見えない。昔からそうだった。「厭世主義は体力の欠如、楽観主義は知能の欠如」とどこかで聞いた覚えがあるけど思うにその体力の欠如は鈍感さの欠如に原因している。きょうこのあと外出しないといけないからもう書くのをやめる。パスカルの『パンセ』は山田風太郎の『人間臨終図巻』と並んでもうすっかり枕頭の書になっている。
彼は「なにをいまさら」と思うこともたくさん書いている。そういうことの方が多いかもしれない。でもそれを他人の書いたもののなかに見出すとやはり嬉しくなる。ナンシー関口ひろし。
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