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だいたい図書館にいます日記

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日記兼読書録。
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記事一覧

バカらしいというか、アホらしいというか、徳光らしいというか、マイナスイオン的とい…

五月八日 午後十二時三二分。寝過ごした。九時三八分の目覚ましの音には反応したんだけど。こ…

点鼻薬の罠、落第めがね、かきくけこパーマネント、ダンディズムあるいは短小包茎ビビ…

五月七日 午前一一時八分。ホームパイ、アーモンド、緑茶。もう花粉の最悪期はとっくに過ぎて…

バカにつける薬、「まとも」であることの孤独と存在論的世界線、Fラン救国政府、Mの…

五月六日 午前十時五六分。コーヒー、スイートアーモンド。手のひらを太陽にすかしてみても真…

本好きに「いい人」はいない、古着好きに「わるい人」はいない、カスハラ撲滅委員会あ…

五月五日 午後十二時十七分。紅茶、コープヌードル白ごま担々麺。与沢翼と小池百合子が「鉄拳…

渡る世間はクズばかり、みんな違ってみんなカス、三十歳死亡法案、可決、キンタマーニ…

五月四日 午前八時十三分。濃緑茶、素焼き扁桃九個。内村航平が脇毛を剃っている夢を見る。正…

新政府、日本虚無党、ろくでなしが人の陰口、◉|★|〇、サザンカが咲かない丘にて、

五月三日 午前十一時五七分。濃緑茶、卵かけ納豆ごはん。この日記、気が付けばもう五〇〇を超…

「真の男」になりたがっている男たち、

五月二日 午前十時三一分。扁桃三つ、濃緑茶。ほんらい起きしなにものを口にいれてはいけない。小中学生のころぎりぎりまで寝てたから朝飯が苦痛だった。 三か月以上昼夜逆転せずに生活できている。抑鬱もさして重くない。そこそこ調子がいいのは、たんに冬が終わり、花粉の季節が終わったからだろう。最悪でないというだけで「気分の良さ」を感じられるなんて。きょうは天気がいいからまた遠征するか。「えんせい」を漢字変換すると厭世になった。厭世という言葉の美しさ。厭世を感じない人間などいるのだろうか

ラプソディ・オンデマンド、コジン的な事はセイジ的な事である、あいかわらず学がない…

五月一日 午前十時二四分。緑茶。卵かけ納豆ご飯(パックから出してたからか卵の白身がすこし…

若者の地球離れ、肉離れ、エガちゃん離れ、

四月三十日 明日は午前中に母親が来るというからおそらく日記を書く時間がない。だからいまの…

この日常の退屈さに立ち向かう英雄性、シニシズムと厭世と冒険と、

四月二九日 午前十時五二分。濃緑茶(能力茶)、日清チョコフレーク。いつもより早めに起きた…

人は「元気」でなくてもいいし、「人生」を楽しむ必要などないし、街には「活気」など…

四月二八日 午前十一時二四分。緑茶、白かりんとう。午前九時半ごろに隣の年金爺さんのピンポ…

絶望と無力さ、厭世気分をしゃぶりつくした後に、ヘーゲルアレルギー、全身暴力装置、

四月二七日 午前十一時二三分。賞味期限切れ乾燥マッシュポテト(マヨネーズかけ)、紅茶。中…

金がなくても命に別条なし、句案中毒、ジョンソン繭、

四月二六日 午前十一時五四分。緑茶、ソイジョイ的なお菓子、扁桃。やや中断はあったもののた…

憫笑倶楽部、山菜メルカトル図法、いつまでもあると思うな読書体力、男はいつなぜ「おじさん」になる、稲妻蜃気楼、

四月二五日 午前九時五三分。きわめて濃い緑茶、貯古、扁桃。早起きは気持ち悪い。目が覚めると川内康範のことが頭にあって、だからさっき『月光仮面』の主題歌「月光仮面は誰でしょう」を聴いていた。この詞の「月光仮面のおじさんは」の部分に「時代」を感じる。あの「連続テレビ映画」が放送された一九五八年~一九五九年はまだ「おじさん」がヒーローたり得た時代だったのか、と結論するのはさすがに単純過ぎるか。いずれにしてもこの時代にはまだ「おじさん」に一定の「権威」はあった。いまでは「おじさん」