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Neと「言語モドキ」について考える

駅から少し歩いたところにある小料理屋さんで「ほろ酔いセット」をひとりいただきながら「言語モドキ」をヒントにひとつの考えを言葉に表してみようと試みている。ちなみに、こちらのお店、静かに飲食ができ店構えも昭和のドラマのセットに出てくるような何とも落ち着く雰囲気が魅力。

のり@毎日投稿を目指すENTPさんの記事を引用させていただく。のりさんの記事は、オリジナリティあふれる視点がユニークでいつも楽しく拝読している。

で、肝心のこちらの引用記事だが、読み通した限り、どうやら、ENTPであるのりさんの記憶情報は「言語モドキ」という概念に置換され、脳内で貯蔵されているらしいのだ。最初、記事を読んだときは「???」頭にクエスチョンがいくつも浮かんだ。「言語モドキ」は私の世界には全く存在しない概念であり、いくら読んでもイメージが上手く湧いてこない…。

ところで、MBTI理論のベースともいえる、スイスの精神科医、心理学者のカール・ユングが提唱した心理機能という概念があるが、これは人の感覚刺激情報の認知(インプット)とその情報の判断(アウトプット)の仕方を類別したものである。

この認知→判断の過程には、実は「記憶」という働きが備わっており、分解すると「認知→判断→記憶」とか「認知→記憶→判断」という工程で情報のインプット、アウトプットがなされているはずである。そして、この「記憶」においても個人により記憶の仕方に特徴や傾向があり、更に、その特徴が判断や行動の際に何ららかの影響を及ぼす。つまるところ、各心理機能の得手不得手といった優位性にも記憶が影響し得ることが有り得るのではないか。「言語モドキ」に関する記事を読みながら、思い込みに近い、根拠の薄い仮説を思い浮かべた。

こちらの記事から想像する限り、記憶の仕方、脳内で情報を貯蔵する方法として、過去の記憶、出来事を、一連のストーリーで憶えるのではなく、強い感覚や感情に紐づく事物、つまり印象強いものを象徴的に置き換え、詳細な情報の代わりとして、記憶に定着させているようだ。そして、印象が更なる印象を呼び、その印象群が記憶された情報として脳内から引き出される感じなのかもしれない。よって、その印象強いイメージにフィットするワードを「言語モドキ」という端的な造語に置き換え表現されているのではないか。したがって、詳細な記憶を思い出すときは、言語モドキが発生した経過を逆に辿ることで詳細情報がよみがえってくる、そのような過程を脳内で自動的に踏んでいるのではないかと推理した。

これは、ENTPらしい非常に効率的な記憶情報の管理方法と言える。そもそも、ENTPの主機能であるNeによるひらめきの特徴は、思考型であるはずにもかかわらず、時に論理や時間変化も超越する、ずば抜けた独創性、道理や筋道をも一足飛びに跳躍する合理性にある。一般に、強固な論理性や一方向とされる時間変化は、物事の正確性を期したり、矛盾を防ぐには大変有効だが、独創的な創造やひらめきにおいては大きな制約や障壁になりかねない。これではNe最大の強みである高い抽象思考の妨げとなり、可能性の範囲が狭められてしまうことになる。であれば、Neを最大限に発揮した抽象思考を主戦力とするENTPにおいては、情報の記憶の仕方においても、それらの制約を受けない無時間かつ無因的手法を自動的に選択し、記憶を精製しているに違いない。

その反例、といっても、あくまで個人的事例に過ぎないが、自称INTJ、Ni主機能の私にとっての記憶とは、おおよそ一連の映像、ストーリーで保持されるものであり、記憶を想起するときは、どうしたって前後の文脈が入り込んでくる。なんなら、そのNiで無意識に記憶の捏造、上書き更新をし、異なる意味や新たな物語を付け替えようとすらしかねない。記憶に物語性を持たせることを好むため、記憶の中で因果関係や大まかな順序を付けたがる傾向が大変に強い。

また、最近、書籍で知ったが医師、本田真美氏によって提唱された「本田式認知特性」によれば、事物の認知(捉える方法)には複数の種類があり、人により得意とする認知方法が異なっていたり、複数のあいだには個々の優位性があるという。

例えば、Ne主機能者は瞬間的な記憶やイメージの生成が得意なことから、瞬間画像として情報を認知する「カメラ的認知」が優位なのではないかと推測した。その逆に、Ni持ちは情報に観念的な意味づけを無意識に与えてしまう点からも映像的認知、エピソードとして記憶する傾向が強いのではないだろうか。

また、これはNe、Niの両方に言えるのではないかと思うのだが、直観機能があまりに高じると、記憶という概念すら軽視してしまうような気がする。何故ならNタイプ者は、上記のように記憶を何等かの記号やイメージ、象徴に変換して脳内で保持しているため、思い出したいときはそこから手繰り寄せれば必要な記憶情報はいつだって取り出せる、くらいに記憶を軽く捉えている節があるのだ。また、それがどれほど正確な記憶情報かもあんまり重要視していない気がする。その記憶情報が今の自分に役立つものであれば良いのだ。記憶に対してせいぜいその程度にしか認識していないキライがあるような気がしてならない。(これらは主観に偏った見解であり、一般的なものではないことは一言申し添えたい)

というわけで、「言語モドキ」という非常に象徴的、主観的なツールを用いる記憶方法が、ENTP全般に共有されるものか、はたまた他の心理機能をメインで使いこなす方にも通じる事象なのか、もしくは、のりさん個人に帰属するものなのかは全く不明であるが、とにかく上記「言語モドキ」の記事で示された記憶のプロセスは、非常に謎めいたものであり、全容を解き明かしたい気分に無性に駆られるのだ。

以上、いつもながら論理性を欠いた内容となりましたが、一方的な個人的関心による「言語モドキ」の考察、ざっくりまとめてみました。

のりさん、どうぞ添削宜しくお願いします。



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