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内なる地図 その2

■認知地図を描くこと 人間関係を築くこと 2つの関係性

先日、「ウェイファインディング機能」といって、人には目的地までの道のりを脳内でシュミレーションし、行程を間違えずに到着する機能が備わっていることを書きました。そして、その機能は脳内の記憶を司る海馬なる組織とおおよそ同じ部位で働いており、人間関係を構築する際もこの場所が活動するそうです。そのため、脳内で地図を描く機能と人間関係を築いたり広げたりする機能の間にはどうやら関係があるらしいのです。      

今回は、この脳内で地図を描く機能と人間関係を築く行為との関係性についてもう少し思考を進めてゆきたいと思います。                   

■脳内で地図をつくること                

図書館でタイトルに惹かれ手に取ったものの、1回の貸し出しでは読みこなせず3回も借りてしまいました。以下に、私がこちらの本で興味をひいた部分をざっくりまとめてみたいと思います。

『失われゆく我々の内なる地図 空間認知の隠れた役割』
マイケル・ボンド著
竹内和世訳

ナビゲーション能力は、空間を把握する能力以外にも、「出来事を記憶し思い出す」「人間関係を理解する」「抽象的な概念を操る」「良好なメンタルヘルスを保つ」「認知症を防ぐ」といった様々な脳や心の働きに係わっているということです。GPSや現代的な生活によって方向や場所を把握する必要のなくなった今、その力は急速に衰え始めている。              

失われゆく我々の内なる地図より

主に記憶を司る脳の組織に「海馬」が挙げられますが、海馬は同時に場所や頭の向き、空間のヘリ(境界)や格子(縦横,交差といった位置関係を指す)を認識する細胞も有しており、記憶の働きが実は場所や空間の理解とも密接に関わっていることが研究で示されているそうです。(何か一連の事柄を覚えるときには、同時に場所や位置の情報もひっくるめて記憶する特質があるのだそうです)                                 

■人間関係を地図にする                   

そして、どうやら人は、頭の中の地図を作る機能を応用して、言葉という複雑な構造をつくり、心のナビゲーションシステムをも同様に構築したのでした。例えば、言語における前置詞の多くが空間の概念のうえに作られており、「ピンからキリまで」の「~から~まで」は距離の概念を転用した表現であり、抽象的な概念を空間の表現に置き換えた言い回しであると言うことが可能です。このように場所、空間を用いた言語表現は多数あり、脳内の地図をつくる働きをベースに、言語という概念、構造を作り出すことを人は成功したのだと本著では論じられています。

同様に、空間や位置関係を表す言語を用いて、人間関係をも地図化させ、複雑な関係性を表現したり、関係を結んだり理解することに役立てました。「一線を越えた関係」とか「相手との距離を詰める」、「アウェー感」など例えのごく一部ですけど、確かに、距離や位置の概念を用いることで、形で表すことの出来ない、人間関係の機微を端的に表し、他者とそれらを容易に共有し、その関係性に関する認識を深めることが出来るようになりました。              

人は脳内で認知地図をつくる機能をその他の機能にまで押し広げたり、アレンジをすることで、人間関係をも地図化させ、複雑な関係性を理解し、より高次な社会性を持ち、人の進化を劇的に遂げることが出来た。この機能を獲得したことは、人類の進化において重要なステップの1つであったのではないでしょうか。

■認知地図とメンタルヘルス                   

そして更に本書では、この認知地図を作る脳の働きが、こころの安定、メンタルヘルスにも強く影響を与えていると記しています。研究によると、うつ病、統合失調症など精神疾患を患っている人の海馬は、疾患を有しない人の海馬と比較すると明らかに委縮していることが認められるそうです。それはつまり、記憶力の低下の他に認知地図を形成する働きの低下も示すものであり、具体的には人間関係を構築したり、社会のなかで様々な活動をするための社会的スキルが低下することを指すのだそうです。                              

ときに精神疾患を患っている人は、「心の中で道に迷っている。」「未来が真っ暗で目の前が何も見えない。」等の心象風景を訴えることが多いそうです。また、著者は、「アルツハイマー型認知症の患者が、心理的にうつ状態に陥りやすいのは、彼らの認知地図が脳の障害で壊れてしまっているためである。」と説明しています。人が獲得した「ウェイファインディング機能」や脳内で展開される「認知地図」というものが良好なメンタルヘルスを育むうえでも大きな影響を与えているというのです。                     

自分を取り巻く人間関係や様々な物事を地図化させることで、複雑なものを一般化させ、その認識を高めたり、理解を促進することは、人が良好なコンディションを保つうえでは大変重要なファクターなのでしょう。             

■現代人から失われる機能                       

そして、現在、人は目的地までの道のりを覚えたり、地図を読んで道程を確かめる機会を利便性を理由に放棄するようになりました。スマホやカーナビがあれば、その音声に従うだけで、何も考えずとも目的地へ辿り着くことが出来るのですから。著者は、このような技術の進歩による便利さを得ることと引き換えに人が長い歴史のなかで獲得した「ウェイファインンディング機能」を手放すことに対し、警笛を鳴らしています。道順がわからなくなること以上により多くの複雑で高次な能力が失われてゆくことを懸念していると記しています。                         

そういえば、今、SNSでは、多くの人が時代の閉塞感を嘆いていたり、様々なメディアがこの閉塞感に関するトピックをあげています。もしかすると、時代の閉塞感を招くひとつの要因に、ウェイファインディング機能の低下が挙げられないでしょうか。自分を取り巻く環境は常に霧の中で、未来は不透明、自分がどこにいるのかさえもわからない…。

■相反する世界で生きる私たち


この閉塞感が、実は、利便性や効率性を追い求める私たち現代人が自ら作り出した世界に他ならないのかと思うと果たして何の因果なのでしょう。また、SNSの普及は私たちに世界の繋がりを強め、一見、世界が狭まり、近づいたような錯覚を与えます。しかし、この論から導くならば、技術の進歩により世界が物理的に近づいたとしても、現代人の世界を認知する機能が衰えてしまえば、裏腹に世界は隔絶されて閉じられてしまうのです。このように屈折した二重の世界を健全に捉えることは容易ではなく、人々があらゆるところで行き惑うことは想像に難くはありません。          

このような世界のなかでどう歩みを進めてゆくのか、今後、恐らく様々な場面で私たちは試されてゆくのであろう、と予感しています。                             

           


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