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無意識の海底から海面の意識を仰ぐ

■眠っているあいだに見る夢のことを私はよく書いています

なんだか変な文章ですね。夢は眠っているときにしか見ないのに。でも、起きているときでも夢のような映像を見ることがあるので、きっとこのような表現になったのだと思います。                        

■内向きさんは自由闊達に内的世界を謳歌せよ                   

直観ー意識ー夢ー無意識には一連の繋がりがあり、私は夢と直観との関係性や類似性をよく考えます。自然と夢の内容も気にかけるようになります。また、これらの形の無い概念というものは、自分なりの思索で意味づけをしたり、現象に関する根拠を勝手に推察することができるので、なにものにも囚われない、自由さや開放感を得ることができます。ついでに、これらは自分の経験や感覚、感情を題材に考えや想像に耽たりと、ある意味、資源もコストも不要の地球にやさしいお値打ち素材であったりします。        

周囲の人からは、「いつもシケた顔してひとりで何を思いふけているんだか。」と思われているに違いませんが、そんなとき、私は自由闊達に内的世界をのびのびと謳歌しているのです。                  

外側の世界も、内側の世界も、私によって繋ぎ合わされた地続きのひとつの世界であり、内外の世界がバランスを取り合い、自身の固有の世界を形成しています。内向的な人は内向きの世界を豊かにすることで、外側の世界をも新しく拓くことが出来るようになる、そんな気がします。

■夢は「#〇〇」でタグ付けされている

話が反れました。最近、寝ざめにこのような夢を見ました。私は、電車に乗ってどこかへ向かうべく、自転車に乗って駅前までやってきました。駅前から路地に入った公園の端には、自転車が数台停められています。私は電車に乗る人が自転車置き場としてそこに勝手に駐輪しているのだと思い、自身の自転車もそこに停めます。そして、駅に向かって歩き出しますが、途中の商業ビルに入り、ドラッグストアのヘアケア剤や化粧品を眺めています。すると、いつしか店内はカー用品店に変わっており、様々なサイズのタイヤが陳列されたタイヤ売り場を歩いています。           

そこで私は目を醒ましました。夢の内容は、現実の情報(仕事に行かなくちゃ)に上書き更新をされ、すぐに忘れてしまいました。       

その後、仕事に出かける前、洗濯物を持ってベランダに出て、庭先に停めてある自家用車を見たとき、今朝の夢がフラッシュバックしました。「そうだ、車の冬用タイヤをノーマルタイヤに付け替えようと思っていたんだ。」 このところ、「暖かくなりもう雪が積もることはないからタイヤを元に戻さなければ。」というタスクがチラチラと頭をかすめ、やろう、やろう、と思ってはいたものの、日々のやるべきリストに押し流され、タイヤ交換の予約は未だしていませんでした。            

このように、頭に引っかかっている事柄が夢の中に現れてくることが、ままあります。現れ方としてはこんな感じで、引っかかり事象そのものが直接的なストーリーとして現れるわけではなく、「#タイヤ」「#目的地向かう」みたいな形で出てきます。私の場合、「目的地に向かう=やらなくちゃ」であることが多いので、つまりは「タイヤを替えなくちゃ」と解読できます。ちなみに、私の夢の多くが、どこかに向かうことばかりです。INTJタイプのTeの優勢ぶりの特徴である「タスク処理観念」が夢の中でも色濃く反映されているのかもしれません。                                 

ところで、興味本位で夢判断の入門書をめくると、「歯が抜ける夢はこのような意味合いがある」「夢に亡くなった人が出てきたときの心理状態はこうだ」など、物や事象に対する象徴的な意味やイメージ、深層心理がよく紹介されています。どうして、夢には事象や悩み事そのものが現れず、異なる形や出来事に変換され、脈絡のないストーリーとなって現れるのでしょうか。                      

■無意識の海底から海面の意識を仰ぐ

これは、どうゆうことなのだろうか、とぼんやりと考えていると、ふと、海の深い場所から、日差しが差す海面を仰ぎ見ているようだなあ、とイメージが浮かびました。                          

私は小さな頃から海が苦手で、スキューバダイビングもやったことが無いためあくまで想像の域ですけど、下から海面を見上げたとき海面は太陽の光を含み明るい色合いを帯びています。そして、その海面に浮かんでいる船底やブイの色は、海の色合いと相まって実際の色とは多少、異なる色調で見えることでしょう。次に、形状も同様に、水中のなかでは、光の屈折とか何かの原理で、実際の姿、形と異なって少々歪んで見えるのではないかと思われます。更に、もっと水深が深ければ、より光は届かなくなり、その姿かたちを正しく捉えることは当然、難しくなります。                          

意識や無意識も、海底と海面の関係に少し似ているのではないでしょうか。夢は、無意識領域の深いところから、海面、いわば表層の意識を捉えた世界を映しだしています。睡眠中ゆえ、視覚を中心とした感覚情報を得ることが出来ません。したがって、記憶や想像だけを頼りにするため、奇想天外な設定や突拍子のない展開が夢においては繰り広げられます。そして、無意識の深い場所にある観念や情動を感受するため、表層的な現実の出来事に関する具体情報ではなく、物事の本質や関係性、深層心理といったものが夢では映し出されやすい。このような傾向が夢にはあるのではないでしょうか。         

なんだか抽象的でわかりずらい説明になってしまいました。要は、無意識は深い部分で物事を捉えているため、その無意識が見る夢というのは、ひどくシンボリックであったり、洞察や示唆に富んだ直観的なものであったりするものだよ、ということを言いたかった次第です。                  

■多くのことが繋がりあって世界が形成されている   

以上のように考えてみると、夢と現実は決して別物の異なる世界などではなく、地続きのひとつの世界であり、このあいだを自由に行き来することで、更に豊かな固有の世界を形づくることができるのではないかと思います。そういえば、さっき同じような内容を書いていました。ということは、外的・内的世界、意識・無意識の対となる概念のそれぞれが、もしかすると近しい構造にあるのかもしれません。文字にすると当たり前のことですが、やっぱり多くのことが繋がりあって世界というものが形成されているのですね。   

さて、今夜も眠りにつくことが楽しみになってきました。                   
お目通しをいただき有難うございました。              


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