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みっつの世界を生きる私

今から2年前の2022年7月1日、noteに最初の記事をあげた。早いもので「note」を書き始めてから3年目になる。最初の記事を開いてみる。なになに、書くことで「言葉と想像」という私の宇宙を構造化させたいと綴っている。結局、ただ書き散らかしていただけのような気がする。当初の目的をどこまで私は到達し得たのであろうか。


■世界は人の数だけ存在している

先日、「世界はひとつではない」という記事を書いた。また、世界は人の数だけ在ると書いた。私たちは自分の世界と相手の世界の接点を探るため、相手とのあいだの概念域(具体⇆抽象度合)を推し量るべく、⇆の調整ツマミを動かし意思疎通を図っている。このツマミの調節に長けている人、もとい、このツマミの意義を理解し、それに心を砕いている人こそが本当の意味でコミュニケーション能力の高い人なのではないかと私は常々考えている。

かく言う私は、超絶不器用+生来の我の強さのため、力み過ぎてツマミの絶妙な力加減を自在に調節出来ない。パブリックシーンでは、目的遂行や求められる役割を果たすため、Te(外向的思考)とFe(外向的感情)を多用している。それだけでこれらの機能は枯渇してしまう。よって、プライベートで振り向けるだけの余力が無い。そんなわけで、社会に出てからというもの友人と呼べる間柄を持つこと、それはすでに絶えて久しい。

■世界は自分のなかにも複数ある

更に、この異なる世界という概念、これは対人場面に限ってのことではない。大方の人が、自分の内側にも複数の世界を併存させている。例えば、身内に見せる顏と世間で見せる顏、仕事と友人や趣味との関わりで見せる印象とか。いわゆる本音と建前、TPOに応じた使い分けは大なり小なり皆がやっていることである。このような違いもまた人の多面性を表すものであり、多面性が織りなすそれぞれの世界観、複数の「世界」がひとりの人間のうちに内在している。

同様に、私自身も日常生活を送るうえで大きくみっつの世界を併存させ、それぞれを把持している感覚がある。そのみっつの世界がそれぞれどのようなものなのか、改めて自分自身の世界構造というものを整理してみたい。

①上澄みの世界

いわゆる社会、世間と呼ばれる世界。私はこの世界を舞台上に設えたコントのセットのようなものだと思っている。美術屋さんがベニヤ板で精巧に造ったパネルみたいに。まるで往年のザ・ドリフターズのコントのよう。締めに「ダメだこりゃ」で一斉にセットがバタバタと倒れる、そうあの感じ。突き詰めれば私たちが共通概念として抱く社会とは、実体はコントのようであり脆く儚い幻想で成り立っている。けれども心的には相当に強固な世界だ。何故なら「心的な世界」は人類の歴史であり、人類はそれに依ってすがって生き延びてきたからだ。

ある日、私の中で、この舞台セット、からくりが、ガラガラと音を立てて崩れた。崩れたあとは、興行を終えて皆がはけてしまった劇場のようにがらんとしている。

過去には、この世界を白日の下にさらそうと躍起になりトンチキな行為に駆られたこともあった。恥ずかしながら。けれど、多くの人がこの「舞台セット」を存続すべきシステムと捉え、永劫に堅牢であることを願っていることを理解した。それからはひっそりとそこから距離を置くことにしている。ただ、距離を置きながらも自分のうちに、環境活動家のプチ・グレタさんを住まわせているのでこの世界に対する怒りや焦燥という内圧が常にかかり続けいている。だが、一方で、私もこの世に生まれ落ちシステムの恩恵に預かり、その利得を享受している立場である。このような捻じれた構造に自動的に組み込まれているのが事実である。嗚呼、手のひらをじっと見る他なし。

②日常の世界

私が引き起こす言動によって直接的な作用や影響を及ぼし得ることのできる世界。つまり、身近な人間関係のことであり、私の生活範囲のなかで日々繰り広げられる現実である。具体的に言えば、家族、親族間に関わる事柄および仕事における諸々の事象である。

この世界は、自身がどのような信念や心持ちで事象に対峙するかにより若干の変化が見込まれる世界でもある。表現は適切ではないが、自分の裁量によって操作可能な世界だと言える。また、操作可能である以上、自らの言動が端を発したコトに対する責任が必ず発生する。なので、私はこの世界に対し常に幾分かの注意を払っている。前方に転がる障害物を除けたり、あちこち手入れをし持ちを良くすることで、このささやかな世界にいたずらに災厄が降りかかることの無いよう日々努めている。誰からも頼まれちゃいないし、感謝もされないのに、である。

何故、そのような心持ちでひとり勝手をしているのかと問われれば、半分は自分のビジョンに適った世界に現実を設えたいから。だから誰もしない草取りをしたりスリッパを揃えたり仕事中も常にジッとしていない。もう半分はおそらくは眼前にひろがる世界から享受した様々な「愛」に対する返礼、のつもりなのだと思う。こんなことをしたところで誰にも理解されやしないけど。でも、そうだとしても私は私なりの「愛」をもって世界に返礼をしたい。礼を返すという義務と責任を果たさなければどうにも居心地が悪いのである。いかにちっぽけで慎ましいものであっても主体性をもって生きることのできる世界とはそれほどに貴重なものなのである。私にとって。

③私の内なる世界

幼少期の頃より他の誰にも決して立ち入らせない、私ひとりだけのものとして、この内なる世界をこっそりと存在させてきた。何故なら、私が心の内側で感じたり、考えたり、想像してしまうことは誰にも理解されないと思ってきたからだ。だから親兄弟にも友人にもこれまで決して話さなかったし、話してはいけないことだと最初から自分でわかっていた。呆れるほど過剰な自意識であるが、この内的世界に関しては墓場まで持ってゆくつもりでいる。

そのため、幼稚園に通う頃には自分と他者とは相容れないものなのだということをすっかり理解していた。だから、世界や他者に対し何かを強く期待することも無かったし、他者と比較して落ち込んだり、誰かを嫉妬するということも無かった。もちろん、全く無かったという訳ではないが、常に問題は他者ではなく自分自身の中にあることを知っていたので人並に執着することは少なかった。

私の人生の半分は、この内側の世界に翻弄されたり、怯えたり、ときにそれらと対話をしたり…。とにかく、それだけにかかりっきりの日々だった。そのため、年齢相応に体験する楽しみとか、友人、恋愛関係にまつわる盛り上がりやトラブルもさして無かったし、他者との関係から孤独感を感じることも無かった。あっても私にとっては二の次であり大きな問題では無かった。そう言えば聞こえは良いけれど、要は自分の世界に自分しかいない「他者不在」の状況であった。「他者との心のふれあい」を感じ取る機会を自ら積極的に得ようとしなかったのだと思う。

社会に出て「職責を果たす」ことを身をもって経験することで少しずつ自分だけの世界から出ることを学習した。しかし、何だかんだいっても自分にとっては居心地の良い場所なので、この世界にいる時間を持たないと私は自分を存続することが出来ない。

話は脱線するが、「note」で色々と書き連ねていることも、この世界からのアウトプットである。このような私にとって、まさに「note」での発信は、貴重な機会であり、これまで業務連絡を除く一般的なSNS経験を全く有しなかった私には思いも寄らない大胆不敵な行為なのである。「note」を始めるときはそれこそ「清水の舞台」から飛び降りる思いだった。それが今では複数の書き手の方々とコメントの往復をさせていただけるようになるとは…。ご縁や繋がりというものは本当に有難くそして不思議なものである。

■みっつの世界を生きる私

それはそうと、みっつの世界をどうして自分のなかに生み出したのかというと、それは私がこの現実世界(外側の世界)に適応し社会的に生きるための手段だからである。

現実世界は「物質世界」であり「他者が存在する世界」である。物質世界である以上、資材は有限であり、社会は他者との営みにより形成される。現実世界は大きく物量に依存しており、加えて他者との折り合いのなかで成り立っている。であれば、物質、物体の限界や他者というものは、自分にとっての壁、制約になるわけで、つまりは、この世の中は自分の思い通りにコトが進むものではないことを自動的に意味している。

そのような現実世界のなかで、そこそこ健全に心身のバランスを保ちながら生きてゆくには、世界を分節し、それぞれの世界が交わらないようにすることが手っ取り早い方法だということを子供ながらに体得した。

そもそも、葛藤や各種問題は、総じて異なる価値観、異なるモノ同士が接触する局面で発生する。従って、複雑な社会、複雑な内面との折り合いをつけてゆくには、それぞれの世界が交わらないようにしてやることが一番効率的なのだ。(サファリパークで肉食動物ゾーンと草食動物ゾーンがフェンスで区切られていることと同じ要領である)

だが、反面、果たしてこれで良いのか疑問に感じる私がいる。葛藤を避け、現実から目を背けるだけで良いのか、常にそう自問自答している私がいる。異なる世界の接触面から生まれる葛藤こそ直面しなければならない真の課題なのではないかと。

■よっつめの世界

ところで、2,3年前より「よっつめの世界」なるものが在ることに気が付いている。それを具体的に述べることは差し控えるけれど、端的に言い表せば、「死生観」という言葉が最も近い。みっつの世界を大きく包み込む概念宇宙が確かにそこに存在している。このよっつめの世界は、年を追うごとに私のなかで、よりはっきりと形づくられてきているような気がしている。

まさか、こんな風に多様な世界を自分のなかで持ち得ることになろうとは…。混沌に喘いでいた昔の自分では凡そ思い付かなかったことであろう。

と言っても、別にたいした人生を歩んできた訳では無い。ごくごく、ありふれた、他人から見れば全く面白みに欠ける生き方である。けれど、自分の足で地面を踏みしめここまでどうにか歩いてくることが出来た。そのような実感が私のなかにはとてつもなくある。

山の中腹の展望台に立ち私は後ろを振り返る。これまで歩いてきた道筋を、細くのびた山の尾根を、今はこうしてゆっくりと見下ろしている。だが、ここはまだ山の中腹に過ぎない。いや、すでに頂上に立っているのかもしれない。まあ、そんなことはもうどちらでも良い。

苦笑して私はまた荷を担いで歩き始める。

その行き着く先を私はわかっている、今の私にはそれだけで十分なのだ。


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