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社会不適合者黙示録 思春期編(5)

学校ではどれくらい浮いているのかというと、自分に体重を感じさせないほどだった。ポケモンならじめん技を透かせるだろう。クラスで委員会などそれぞれの役割を決めるときも、希望の職種には選挙で勝ち抜けない。ここでは社会の余り者だ。周りから見た自分はこれといった魅力がない、仲良くしようとしても会話にならないとでも思われていたのだろうか。同級生の構成割合としては、自分の出身小学校が多数派を占めることから、人間関係の位置づけが変わることはない。「あいつはこんな奴だよ…」こんな噂をされていたかどうかは知らないが、されていたとしたら周囲からの孤立には時間を要さないだろう。ここはまるで銃弾の飛び交う紛争地域だ。どこにも安らげる場所がない。なんとか避難場所を探さねば。

なんだ、自分にも会話できる相手がいるじゃないか。この時点では、僕の人生にとって大きな発見である。部活で疲れたとか、集会がつまらなくて腰が痛いだとか、こんなたわいもない会話を楽しむことができる相手が存在していた。毎週の小テストだけは少しばかりやる気を出せなかったが、それでも塾へ行く車の中では、まるで紛争地域から脱走できたかのような快感で溢れ返っていた。

その快楽は、まるで麻薬のような中毒性を持っている。次第にこの快楽に更なる刺激を求めるようになってしまったのだ。3学期制の1学期末試験(6月くらい)だっただろうか。塾ではまじめに授業を受けていた自分に異変が起きる。騒ぎはじめてしまったのだ。

これは突発的なものなので、コントロールは難しい。それまで、どこにいても自我を出すことができなかったからだろうか。当時はあらゆる方面から、「大人しい」「真面目」という評価をされることが多かったのだが、自分の中では昔から納得がいっていなかった。弱さゆえに自己の主張が許されない。空気に溶け込むことでしか存在が許されなかった自分にとって、存在が許された空間では自分の本来を表現したいのが思春期の少年にとって最大の欲求だったのだ。

もちろん、騒げば迷惑になる。そんなことは第三者視点を持てば気づけることなのだが、当時の自分にできたことではなかった。それまでまともに人間関係を築くことができなかったからだ。

この騒音機は制御が効かない。出力は上がっていく一方だ。困った反抗期だ。遂には講師に胸座を掴んで怒鳴られることもあった。もっと周りを見ろ。他の人の気持ちを考えろ、と。

自分には理解できなかった。他人の考えていることも、自分が怒られる理由も。それぞれの行動に対して人はどのような感情を抱くのか。なぜ自分の気持ちや思考は無視されるのに、他人の気持ちを想像する必要があるのか。ここでも「自分」は存在しないのか。やはり味方はいないのか。怒鳴られた恐怖や怒り、悲しみよりも疑問の方が大きかった。

その講師には、「他の生徒が怯えるから、大声で怒らせないでくれ。」と言われたこともある。どうやら僕の行動は二次災害も引き起こしていたようだ。

こうして僕の社会的存在意義が、「空気」と「害悪」の二つを任されることになったのだ…

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