17年ぶりに私の好きな曲の歌詞を考察する

ごあいさつ

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
いちかです。簡単に自己紹介をすると所謂「バンギャ」というやつです。
ビジュアル系バンドが、色々と遷移はすれど10年以上好きなのです。
そんな私が延々と気になっているあるバンドの歌詞を少しだけ考察しようと思います。長くなると思いますのでお時間ある方だけお付き合いください。よろしくお願いいたします。

アヤビエというバンドとの出会い

さて。今回考察していこうかと思うバンドは「アヤビエ」さんです。
今は表記が変わって「彩冷える」ですが。読みはそのままです。
自分のことを「あ、私はバンギャなんだ」と認識してからたくさんのバンドさんをyoutubeで聞いてきたのですが(著作権的に多分今だったら大丈夫じゃないやつ)、たまたま目に入ったアヤビエの「ジャパニーズロウレゾキャラメルタウン」という曲のMVに心惹かれてしまい、何度も繰り返して見ていました。懐かしい。
私は個人的に幼少期から和風のものだったり柄だったり雰囲気だったりが大好きなので性癖にぶっ刺さったんですよね。ジャパニーズ~だけではなくもっと色んなタイプの曲があるんですが、今でも好きな曲です。このバンドで初めて「本命麺」(好きなメンバー)ができた思い出のバンドです。
ただ、上記のジャパニーズ~や、今回長々と書こうとしている「蛙と首輪」という曲を作ったメンバーは私が好きになった時にはもういなくて、そのあとに加入したメンバーさんを私は好きになりました。詳しくは万能ウィキペディアくんを参照してください。

「蛙と首輪」という曲

さて、長々と書きましたがここからが本題になります。前置きが長くて申し訳ありません。
「蛙と首輪」は、アヤビエの3rdシングル「エム」に収録されている曲です。発売年は2005年。まだまだ全然私がバンギャのバの字も知らなかった頃です。(2008年くらいから自分の事をバンギャだと認識した)
歌詞カードに書いてある歌詞は以下になります。

【蛙は、非常に粘性の高い声をあげました。
僕は、幼稚園(プラスチック容器、本来は昆虫飼育用)から逃がした秘密を持ったまま。
よるのしめりけにおいかざむきすべてかえるはもっていった。】

なんだこれは。といいうしかないですよね。
これはアヤビエ結成時のメンバーである涼平さんというギタリストさんが作成した曲です。(ジャパニーズ~もそうです)
この方はかなり言葉遊びというか、言葉選びが上手い方で、「涼平語」とか言われてたりします。
その中でもこの「蛙と首輪」は少し、いやかなり、異質で、歌詞カードと葵くん(ボーカル)が歌っている内容が全く違うのです。
しかし、内容を考えてみると確かに蛙と首輪だし、すごく面白いのです。

曲を聴いたときに聞こえる歌詞と、考察

Aメロ
吸盤はプラスチックに簡単に吸い付くから
箱から逃げないように繋ぎ止められてる
中は別段変わったところもなく
おかしな話ですが景色は普段と同じなのです

蛙→籠(プラスチック容器)に入れられているんでしょうね。
逃げないように繋ぎ止められている、ということは蓋は閉まっている。
蛙を「自分」と置き換えればどうでしょうか。
箱から逃げないように→箱は「幼稚園」(歌詞カードにあるもの)
幼稚園は比喩であり、自分の中にあるしがらみ(幼稚園、と表現することで幼稚園生(色々な個性を持った人間、所謂自分を縛っているもの)から抜け出せない、と考えます。
ただ、「中は別段変わったところもなく、おかしな話ですが景色は普段と同じなのです」と言っているので、自分にとってのしがらみはあるが認められない、しがらみがある自分が普通だと思っている、矛盾が生じているのがわかります。

サビ(1番)
僕は乾いた体をそっと寄せて
ぬめる君のね心が泣いていて
ひどくやつれた表情をはっと見せて困る君がね
急いで這い出すその間に私にまた

蛙なので乾いた、(両生類だから)ととらえることも出来ますし、もう自分に絡みついているしがらみに疲れてしまった、君(もう一人の自分)に寄り添って、自分の心が泣いている(しがらみにとらわれている)ことに気づく、そして気づけば自分の顔はひどくやつれていて、籠(プラスチック容器)から秘密(自分の意志)を持ったまま急いで這い出したい、この状況を打破したいのではないかと捉えることが可能ではないでしょうか。
しかし打破しようとしたところで私(自分)はまた、しがらみに捉えられてしまうとも考えられます。

2番Aメロ(最後の1文はかなり聞き取りにくいので別の(多数の)ブログ様より拝借いたしました)
隣の奴が言いました
外すのは簡単、よく幼稚園とかで飼われていた奴が逃げ出した
繋ぎ繋ぐものがなくきっときっと震えているの
君は肩をなぜ落として逃げない

隣の奴(もう一人の自分)はしっかりとした意思を持っているようで、
「外すのは」(逃げ出すのは)簡単、蛙のように飼われていたものが逃げ出すように貴方(自分自身)もしがらみから抜け出せよ、と言っているのですが私(自分自身、主の性格)はやはり抜け出すには相当な勇気が必要で、しがらみから抜け出しても、這い出てしまったところで自分の居場所がなくなってしまう、怖さが強いのではないでしょうか。逃げたいけど、自分を変えたいけど、現状維持でもいたい。そんな葛藤が「繋ぎ繋ぐものがなくきっときっと震えているの」という部分から読み取れるのではないかと。

2番サビ
僕は乾いた体をそっと寄せて
ぬめる君のね心が泣いていて
ひどくやつれた表情をはっと見せて困る君がね
急いで這い出す

1番のサビとほぼ同じですが、最後が「急いで這い出す」で終わっていますね。
「よるのしめりけにおいかざむきすべてかえるはもっていった。」
歌詞カードにもあるように、蛙(自分)は心を決めてすべてのしがらみ、辛さ、もうひとりの自分も併せて持っていく(新しい自分を見つける)ことにしたのではないでしょうか。
このあと、蛙(私)がどうなったのかは描かれていないので不明ですが、きっと、逃げ出したことでまた新たな自分を見つけられたのではないでしょうか。

まとめ

蛙と首輪、考察してみたかったので自分なりに考察してみました。
色んな方が考察していらっしゃると思いますので、よかったら色々な方のブログを見て回っていただければよいかもしれません。
私はあまり文章能力がないので、こんな文章しか書けませんが読んでいただけると嬉しいです。
またブログなり考察なりなんなりまったり書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

それではまた。

いちか


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?