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女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』(10)龍太柔道、麻美空手。

『モンスター』との異名を持つキックボクサー村椿和樹が、NOZOMIに無残にもKOされた試合はキックボクシング界に、否、それだけに留まらず各格闘技界に衝撃を走らせた。

2年前の堂島源太郎は元日本王者とはいえ、彼は35才で完全に峠を超えロートルといってもいい年齢だった。
それに寝技も何でもありのNOZOMI有利のルールで行われたもの。
しかし、村椿和樹は立場が違った。
28才と円熟期にあり、キック界ではダン嶋原と並ぶスーパースターなのだ。そんな業界の看板スターが19才の女子選手にKO負けしたという事実は、村椿個人の問題に留まらずキックボクシング界、強いてはキックという格闘技そのものの存亡に関わる問題だ。

「誰か、NOZOMIを倒してやろうなんていう奴はいないのか?」

連盟の方からそう声がかかるが、村椿戦のインパクトが強かったのか? 誰もそんなリスクを負う者はいない。
並みいる男子キックボクサーを、一人の女子選手が震え上がらせた。

“ もう、ダン嶋原に出てきてもらって、魔女退治をしてもらうしかない... ”

そんな声も上がり始めていた。

あの試合から一ヶ月後。

村椿和樹が突然引退を発表した。
43戦39勝(35KO)3敗1分 nozomi戦含。
立派な成績である。
負けたのはデビュー間もない頃に老獪なベテラン選手に判定で敗れた以外は
ダン嶋原とNOZOMIにだけである。
嶋原戦までダウンすら奪われたこともなく、まさにモンスターの異名に相応しい怪物キックボクサーだった。

それが、最後の最後に自分が積み上げてきた実績、キックボクサーとしての誇り全てを傷つけてしまったのだ。
(俺はあの女にKO負けを喫したのだ)

引退の理由は、嶋原戦、NOZOMI戦と連敗をしたこと。そして、最後に負けた相手が女子選手であり、しかもスタンディングルールでKOされてしまったこと。キック界を代表して戦ったのにこの結果なので責任を取りたい。

本当のところ村椿はNOZOMIに骨抜きにされた。完全に心が折れたのだ。
それに、大勢の観ている前で、全国生中継で女子選手に倒されリング上で苦痛にのたうち回る姿を晒したのだ。耐え難い恥ずかしさだった。

(あの女は嶋原でさえKOはすることの出来なかった俺を血の海に沈めた。キック界の沽券に関わる敗戦? 冗談じゃない! 総合ルールで、キックボクサーに限らず、あの階級で彼女に勝てる格闘家はいるのか?下手するといかなる格闘技のいかなる男子を含めても日本最強かもしれない...)

それ以来、村椿は表舞台から姿を消すことになる。

春になり堂島龍太は中学生になった。彼は空手一筋に打ち込み、たまに父が所属していたキックボクシングジムに練習に通っていた。

今日もジムでトレーナーの今井の指導を受けていた。今では彼は龍太の父親代わりと言ってもいい程だ。

「龍太! 益々スピードに磨きがかかってきたな。それに力強さも加わったようだ。ところでお前、中学生になって柔道部に入ったんだって?」

「はい! 打撃系格闘技だけでは将来NOZOMIさんと戦っても太刀打ち出来ないと思うので色々やってみたいんです。組み技も学びたい」

「そうか、、頑張ってな...」

今井は苦笑いするしかなかった。
(この少年は本気でNOZOMIと戦うつもりらしい。龍太には父源太郎以上の素質を感じる。楽しみだ)

龍太の妹麻美も、小学校4年になりレスリングの実力は男子を含めても都内屈指の実力だ。

そんな麻美が兄龍太に向かって真剣な顔で言った。

「お兄ちゃん、わたしも空手を習いたい。お兄ちゃんの通っている道場に紹介してくれる?ママもいいでしょ?」

龍太は女の子である麻美が格闘技に熱中することは賛成できないが、その気持ちを抑えることは無理だと諦めている。それは母佐知子も同じだった。

兄龍太は空手とキック、それに柔道。妹の麻美はレスリングと空手。
この兄妹はその類稀な天性の格闘センスを徐々に開花させようとしていた。
父の仇を討つ! ふたりともそんな小さなことにもう拘っていない。
とにかく強くなって、いつかNOZOMIと戦いたいという人生の大きな目標になった。その為にはNOZOMIに認めてもらわなければならないのだ。

ちょうどその頃、本場タイの王者を目指し日本とタイを行き来していたダン嶋原の元に連盟から話しがあった。

「NOZOMIから度々対戦オファーがある。一度交渉してほしい」

NOZOMIはマスコミを通して再三ダン嶋原を挑発している。

「嶋原さんでもKO出来なかった村椿さんを私は倒しました。これ以上逃げるようなら彼(嶋原)は臆病者です」

それはNOZOMIだけでなく、多くの関係者、ファン、マスコミの共通認識になっているようだ。
プライド高い嶋原にとってそれは耐え難いことなのだ。

「ダン嶋原は生粋のキックボクサーです。そんな彼に変則ルールの格闘技戦はやらせたくありません。NOZOMIさんも挑戦したいならグラウンドは勿論のこと、スタンドでの組み技も禁止。つまり純粋なキックボクシングルールなら考えなくもありません...」

そうやって、マネージャーの伊吹は逃げた。明らかに逃げ口実だが、それほどリスクが大きくやりたくない相手なのだ。男子選手にとっては女子と戦って勝ってもなんの得にもならない。
逆に敗れたら今までの格闘技人生が、積み上げた実績が無に帰すことになるのだ。女子選手は負けても称賛されるだろう。あまりにも不公平だ。

ところが。
「純粋なキックルールなら...」
という伊吹の言葉は仇になった。

「やりましょう! キックボクシングルールでも何でも構いませんよ。私としても望むところです」

それがNOZOMIの返事だった。

伊吹は頭を抱えた。
まさか、柔術をバックボーンにする彼女が、そのルールを受け入れるとは思わなかったからだ。

「伊吹さん、キックルールというのも世間では僕が彼女を怖がっているからと思われています。でも、彼女はそのルールを受け入れた。もう逃げられません。僕はやりますよ!」

伊吹は静かに渋々頷いた。

ダン嶋原にとっても、あの村椿和樹がNOZOMIに敗れたことは大変なショックであった。あのカウンターが村椿の顎に決まり倒れた瞬間は信じられない思いだった。更にふらつく村椿の眉間にNOZOMIの肘が襲いかかり目尻をカットすると流血。
彼女は村椿の後頭部を抱えると、そのまま首相撲から鋭角で危険な膝をボディに深く食い込ませた。
リング上で腹部を抑え転がりまわり苦しむ村椿を仁王立ちで見下ろしているNOZOMIの姿はまさに魔女だった。

あのモンスター村椿が負けた。それもスカート付きレオタード姿の女子選手に血の海に沈められたのだ。

(なんで、女が男を、、それも歴史に名を残す名キックボクサーをマットに沈めることが出来るんだ? しかも、得意の組み技でなく打撃で倒すなんて...)

村椿和樹といえば、団体こそ違え同じキックボクシング界のために将来を誓い合った盟友なのだ。
入門した頃、嶋原にとって村椿は目標にする大先輩でもあった。

モンスター 村椿和樹
   vs
  天才 ダン・嶋原

お互いの団体の威信をかけて戦った、あの平成の名勝負と言われたドリームマッチとは何だったのか?
キックボクシングの歴史を変えたと言われた自分と村椿さんの一戦とは何だったのだろうか?

(村椿さんは女に倒されたのだ)

そんな誇りに思っていた村椿和樹さんとの死力を尽くした男と男の戦いが、NOZOMIという一人の女の子によって価値のないものにされてしまった。

女に負けるということは、過去にどんな実績を残していても、その全てを失うということなのだ。

(オレは絶対負けられない。キックルールで負けたら生きていけない...)

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