本には交流がある 5 時間のストップモーションのこと

作品の中の時間が止まった場面、ストップモーションが、私を最も引きつける。感銘を受ける、感じるものが大きい。そんなひととおりの言葉では表現できないが、私の語彙の貧しさでは、そういうしかない。テーマより場面、部分があって全体がある、この考えは今も変わらない。民がいて国がある、とは少しおおげさかな。

とまれ、<満願>の場面を引用します。

<八月のおわり私は美しいものを見た。朝お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横座りに座っていた奥さんが「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁いた。
ふと顔をあげると、すぐ眼の前の小道を、簡単服を着た清潔な姿がさっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。>

*(筑摩書房太宰治全集2、昭和43年発行分より。旧漢字旧仮名は、新字体新仮名にあらためました。)

白いパラソルは、ストップモーション。私の不良な心にもさわやかに見えた。

ストップモーションは私の好みらしい。場面転換についても映画が好きな私の中の文化みたいな箇所の感性には、若い頃から欠かせないものだった。
五番町夕霧楼の佐久間良子が、朝どこかへ出かけていく場面があり、同時に暗転があり、夕方帰ってきた時には、暗かった少女が喜びをかくせないような表情で戻ってきた。別人になっていたと言ってもいい。それを一瞬の暗転であらわした。
又、仁義の墓場の渡哲也が大阪で売春婦にペイをおそわり、つぎに廃人の表情のストップモーション。そしてドアをあけて出て行く表情は、快活で笑みをうかべていた。つきぬけて別人になったのだろう。どちらもストップモーションからの次の場面転換でエネルギーが生まれていた。・・・時間の方向と力のベクトルのように感じた。

矛盾します、ほんとうに矛盾するけれど、後年、ストップモーション、場面転換とか、そんな技術的なことではなく、静かで強い愛情だけの場面を読む機会に恵まれた。
引用することに少し躊躇したけれど、人の本当のことは載せておきたい。

*引用<山元加津子講演録、みんな大好きⅡ、みかちゃんのこと>
<平成18年、生命のシンフォニー発行分より。>

「怒るのじゃなくて、叱るじゃなくて、逃げるんじゃなくて、引っ張られないようにちゃんと髪をこう結んで自分を守りながらも、みかちゃんをしっかり抱きしめて「ママはここにいるから大丈夫よ。」
(中略)
この閉じられた空間の中に朝がきて夜がきて朝がきて夜がきて、テレビも何も無いところでもう十日間もお母さんはこうやってみかちゃんの体をずっとずっと抱きしめて・・・・
(中略)
「お母さん大変ですね。」って言うとお母さんは「そんなこと全然ありません。みかは施設に入っているからいつもみかのそばにいてやることが出来ないけど今、こうやって病院にいる間はみかのことだけ考えて、みかのことだけずっと抱きしめていられるから、この十日間は神様が私とみかにくれたとっても大切な時間なんです。」

本は心がけのわるい自分にも交流してくれる。こんな本当のことをおしえてくれる、見せてくれる。

太宰治と井伏鱒二のことはまとめて、後日書きたい。
ただ太宰治は暗くないですよ。ためしに畜犬談を読んでみてください。


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