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恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー ミオ編』7

ミオ編7 16章 探春たんしゅん


パーシスの祖父の所有だという別荘は、なだらかな山地に囲まれた中規模の湖に面した、何百軒かの別荘の一つで、貫禄のある丸太を組み上げた、古典的なログハウスだった。

「どうぞ、こちらの部屋を使ってください」

先に着いて、掃除や料理の準備をしていたパーシスとタケルが、湖を見渡す二階の客室に案内してくれる。

「まあ、いい眺め」

と、わたしは礼儀正しく喜んだ。実際に、青い湖水は森林を映し、清らかに澄んでいる。紅葉も、山の頂から中腹あたりまで降りてきている。

「いい所ね、来られてよかったわ」

「ほんと、天気もいいし」

そう同意した紅泉こうせんは、ほとんどミオにつききりだった。ウィンナコーヒーとチーズケーキでもてなされながら、近くにある鍾乳洞の話、湖で釣れる魚の話、有名人の来る別荘の話などを聞いている。

ミオが笑う度、紅泉を嬉しそうに見上げる度、わたしは胸がキリキリ痛む。知らなかった。紅泉が男性を口説くのを見るより、女の子に優しくする方がずっと辛いなんて。

それは、わたしにとって、男性が嫌悪の対象でしかないからだろう。紅泉もそれを知っているから、いくらか遠慮する部分がある。でも、ミオは女の子だから、一緒に行動しても、わたしが不愉快になるはずがないと安心しているのだ。

それは違うわ。

男だろうが女だろうが、わたしは、わたしから紅泉の関心を奪う者が憎いのよ。

他のことでは冷静な計算ができるのに、この一点でだけは、わたしは狂っている。でもまた、その狂熱がなかったら、わたしはたぶん、この世に生きていても意味がないだろう。

他の誰が死のうが生きようが、どうでもいい。人類だって、滅びるなら、滅びて構わない。

ただ、紅泉さえ、わたしといてくれるなら。

もちろん紅泉は、人類が滅びることを望まないから、わたしもまた、ハンターの仕事に協力しているのだ……

「夕食はぼくらが支度しますから、散歩でもなさったら」

という男性たちの勧めで、わたしたちは、三人で夕暮れの湖のほとりに出た。岸辺をたどる遊歩道の脇には、コスモスやロベリアや小菊の群落。桜、楓、黄櫨、花水木の並木が続く。白樺の林も美しい。

ミオは白い小菊と、青紫のデルフィニウムを少し摘んだ。

「あとで、あなたの寝室に飾るわ」

と紅泉を見上げて可愛く言う。わたしはお腹の底が焼けただれる気がしたけれど、知らん顔して、少し先を歩いていた。

いつもなら、そういうことを言うのは、わたしの役回りなのよ。

ただ、むくれているように思われてはしゃくなので、わたしも野草の花を摘みながら、散歩を楽しむふりをしていた。

意地でもミオに、弱みは見せられない。あなたがどんなに甘えようと、紅泉のパートナーは、このわたししかいないのだから。

空が赤く染まると、湖もそれを反射して薔薇色に輝く。周囲にぽつぽつと建つ別荘やホテルのうち、明かりがつくのは半分くらい。

「夏はもっと人がいるんだけど、今は中途半端な時期だから。本格的な紅葉には、まだ早いでしょ。冬になったらまた、スキーやスケートができるんだけど」

「いや、今の時期もいいよ。人が少ないのは静かでいい」

紅泉とミオは、睦まじく話しながら遊歩道を歩いていく。時折、ミオがわたしに話しかけるのも業腹だった。

「ヴァイオレットさんは、スキーはお好きですか」

わたしをそっちのけにしては、紅泉に、気の利かない娘だと思われるからだろう。

「いいえ、それほど。サンドラが山岳スキーをしている時は、ロッジで待っているわ」

誰も下ったことのない急斜面で大滑降なんて、とても付き合いきれないもの。よく今まで、雪崩で死ななかったものだわ。クレバスに落ちたことはあるけれど、たいした怪我もせず、自力で這い上がってくる人だし。

そう話すと、ミオは目を丸くしている。

「サンドラって、そんな危険なことをするの」

「いやあ、ちゃんと端末ははめてるから。埋まったら、警察が掘り出してくれるよ」

紅泉は、あははと笑う。ミオがますます、尊敬の眼差しになるじゃないの。いつでも救助に行けるように、用意万端整えて、ロッジで待機しているのは誰だと思うの。

すっかり暗くなった空の下を別荘に帰り着くと、窓からは暖かそうな光がこぼれ、食堂には夕食の支度がほとんど出来上がっていた。青いシャツの袖をまくり、紺のエプロンをかけたパーシスが、パンを盛った籠をテーブルに置く。

「タケル、ワインは何がいいか、ご婦人方に聞いてくれ」

自分はまた、厨房に戻っていく。パーシスがシェフで、タケルが助手であるらしい。

「彼は何でもできるのよ」

とミオが自慢する。

「頭もいいし、スポーツ万能、料理も得意」

「唯一の問題は、タケルが恋人ってとこだな」

と紅泉が笑う。できる男性を見ると、どうしても征服欲が湧くらしい。

ミオは、仕方なさそうに微笑んでいた。愛されている本人は、自分の態度がミオを傷つけていることを、ちっとも理解していない。

「サンドラさん、地下にワイン蔵があるんですけど、一緒に見てくれませんか。ぼく、よくわからないので」

とタケルが言うので、わたしたちはぞろぞろ降りていき、棚一杯のワインに感嘆した。パーシスのお祖父さまの趣味らしい。明らかに高価な品は避けて、手頃なテーブルワインを選ぶ。

こんなことなら、お土産に何本か、いいワインを持ってくればよかった。急なお誘いだったし、ミオの方に気をとられていたので、ついうっかりして。どうせ、後で何らかのお礼はするつもりだけれど。

わたしたちが食堂に上がっていくと、テーブルは完成していた。海老とサーモンのクリームパスタ、詰め物をしたローストポーク、チキンと野菜のグリル、トマトのファルシー、アスパラガスのサラダ。

しかも、明かりは数箇所に置いた古風なオイルランプ。室内に陰影ができて、誰もが美男美女に見える。

「デザートには、焼き林檎とジンジャーケーキを用意してます。さあ、どうぞ」

盛り付けは、男性の料理らしく豪快で、味もよかった。野菜は、通り道にある農場で買ってきたばかりだという。

「主菜はぼくで、デザートはタケル。二十人くらいまでのパーティなら、ぼくらだけで準備しますよ」

とパーシスは笑う。

「いいなあ、料理のうまい男って最高。どっちか一人、あたしと結婚しない? 両方でもいいけどさ」

紅泉は冗談を飛ばして陽気に飲み食いし、ミオがいそいそと世話を焼いた。パンを取ったり、ワインを注いだり、紙ナプキンを渡したり。

紅泉が何かからかうと、ミオは頬を染めて喜ぶ。肌が内側から照り輝くような若さ。黒い瞳が、ランプの光を映してきらきら光る。

あの、ふわふわした長い黒髪をつかんで、引き倒してやりたい。

きれいな肌を、血が出るほど引っ掻いてやりたい。

いっそ、また強姦されて泣き叫べばいいのに。

そこまで考える自分に、自分で慄然とした。それがどんなに辛いことか、自分の身でよく知っているくせに。わたしの頭の中身を、もしも紅泉にのぞかれたら、本当に嫌われてしまうわ。

でも、このくらいの冷酷さがないと、ハンター稼業に付き合えないのも事実。わたしが本当に、ただ優しいだけの女だったら、単純な紅泉なんか、とっくに違法組織の罠に落ちて死んでいるわ。

探春2


夕食が済むと、片付けは家事用のアンドロイドに任せて、しばらく雑談をした。まだ寒いという気温ではないけれど、パーシスが暖炉に火を入れてくれたので、人工毛皮の敷物の上で、温かなオレンジ色の炎を眺められる。

「屋内で火を眺められるって、最高の贅沢ね」

と、わたしは微笑んだ。炎を見ていれば、ミオが視野に入らない。

「人類の祖先はきっと、寒風の中で焚火を囲んでいたんでしょうからね」

と安楽椅子でくつろぐパーシス。

「安全な小屋や洞窟で定住するようになるまでは、焚火だけが、獣から身を守る武器だったんでしょう」

「はるかな地球の物語だね」

白いシャツに、薄手のカーディガンを羽織るタケルが笑った。

「その頃の夜は、本当に真っ暗闇だったでしょうね。闇に光るのは、獣の目ばかり」

と、わたし。

「だから、月を頼りにしていたんでしょう」

とパーシス。

「あんな大きな月を持つ惑星は、滅多にないものね」

と、わたしが受ける。

「月のおかげで、人類は宇宙への足掛かりを築くことができた。まず、宇宙の神秘を解く手掛かりとして。そして、宇宙開発の第一歩として」

パーシスが言うと、タケルが応じる。

「今の植民星でも、手頃な小惑星を引っ張ってきて、月の代用にしているもんね。空に月がないと、人類は満足しないんだね」

その通り、地球から出発した人類は、どこへ行っても、そこで地球を再現しようとする。惑星に小惑星を衝突させて、自転周期を二十四時間に近づけたり、氷の塊である彗星核を幾つも落として、海の面積を広げたり。

空気の組成を調整し、荒野に微生物や植物の種子を蒔き、動物や昆虫を放し、生態系が安定した頃に移民たちがやってくる。

それでも近頃は、新しい植民惑星の開発はめっきり減っていた。人類はもう、必要なだけの新天地を手に入れたのだ。

人口増加もほとんどないし、問題は、辺境との諍いだけ。

それはもう、犯罪というよりも、『人類という種の分化』なのだと思う。

古い人間の形を守り続けようとする市民たちと、遺伝子操作や機械との融合で進化しようとする辺境の住人たち。

どちらが正しい、とは言えない。だから、どちらも選べるようにしておくのが一番いい。人間の形にこだわる人々は、いずれ、ネアンデルタールのように滅びていくのかもしれないけれど、それは仕方のないこと。

わたしは当面、この姿で満足だわ。紅泉が、可愛いと言ってくれるから。

その紅泉はといえば、近くのソファでミオの隣に座り、夢の農場で何を飼うかという、他愛のない話を親身に聞いてやっている。

この、天然プレイボーイ。

いちいち本気で優しくするから、女ものぼせてしまうのよ。もしも本当に男だったら、きっと歴史に名を残すプレイボーイになっていたわ。

――いいえ、それは違うわね。

女だから、女の望むことがわかるのよ。そして、その通りに騎士を演じてやっているだけ。紅泉こそ、本当は誰より女らしいのだから。

戦闘時には邪魔になる髪を、あえて長く伸ばしているのも、

(これ以上、男らしくなりたくない)

という、ささやかな歯止めのようなもの。

世界が平和になったら、紅泉は喜んで武器を捨て、美しいものだけを身にまとうだろう。〝いつでも走れる靴〟ばかりでなく、華奢なハイヒールも履けるようになる。今は、故郷の屋敷でしか、本当に安心することはできないから……

そのうち、パーシスが裏山にある露店風呂の話をした。

「そこの川に沿ってしばらく登ると、このあたりの別荘主が共同で管理している露店風呂があるんですよ。源泉に近いですから、豪快です。星もよく見えるし。みんな昼間に行くので、夜は誰もいませんけど」

するとたちまち、体力のありあまる紅泉が関心を示す。

「夜でも、道はわかるかな?」

「ええ、川まで行けば、あとは一本道ですから。でも、途中は明かりがなくて、真っ暗ですよ。女の人が夜行くのは、怖いと思います」

もちろん、紅泉が夜の山道を怖がるはずはない。たとえ、虎が出ると言われても。

「ライトがあれば大丈夫。ミオ、せっかくだから一緒に行こ。ヴァイオレットもさ」

とんでもないわ。紅泉と二人ならともかく、ミオがいると、笑顔を保つのに疲れてしまう。顔がひきつるのが、自分でもわかるのだ。きっとミオには、わたしの悪意がはっきり伝わっているに違いない。わたしには、お義理でしか話しかけてこないもの。

「わたしはいいわ。二人で行ってきて」

この別荘にも、小さいけれど、露天風呂を作ってあるというのだから。シルクのブラウスに丈の長いスカートという姿で、夜の山道など歩きたくない。

「じゃあ、行ってくるね」

最初からジーンズ姿の紅泉は、道を知るミオを連れ、ライトを持って裏山に消えていった。残ったわたしに、パーシスがにっこりする。

「ヴァイオレットさんも、裏庭の風呂へどうぞ。単純な食塩泉ですが、温まりますよ。誰ものぞきに行く男はいませんから、ごゆっくり」

パーシス

二人とも、女性には興味ない、という意味らしい。

だからといって、こういう男性が望ましいとも思わない。

男同士で愛し合うのは、極度の女性蔑視の結果ということがある。女々しいものを拒絶して、そうなるのだ。別に、この二人がそのタイプと決まったわけではないけれど。

「ありがとう。入らせていただくわ」

わたしはいったん客室に戻り、真珠のイヤリングと、お揃いの指輪を外してから、タオルとポーチを持ち、タケルに案内されて別荘の裏側に出た。

母屋から続く渡り廊下の先に、小さいけれど、手入れの行き届いた脱衣所がある。

丸いすべすべした岩を積んだ露店風呂は、その脱衣所を背に、山に向かって作ってあった。昼間なら、森と山の眺めが美しいだろうけれど、今夜は月がないので(植民者たちが、後から周回軌道に乗せた小惑星だけれど)、地上はほとんど闇である。

服を脱いで岩の床に降り、浴槽からこんこんと溢れるお湯の温度を確かめて、手桶にすくい、全身をざっと洗い流した。それからゆっくり、透明な湯の中に沈んでいく。

いいお風呂だった。成分がきつすぎない。硫黄泉だと、目にしみるくらい強いこともあるから。

手足を伸ばして、ゆっくり暖まった。一人では勿体ないわ。紅泉が帰ってきたら、夜中でもいいから引っ張って、もう一度ここへ来ようかしら。

ミオにばかり構わないで。わたしの機嫌もとって。

でも、そんなことを言ったら、まるで子供ね。

わたしは子供の頃から、聞き分けのいい、大人受けのする〝いい子〟だった。気がついたら、そうなっていたのだ。だからこそ、思う存分暴れ回って遊ぶ紅泉がうらやましかった。

警備犬と走り回ったり、三階から庭木に飛び移ったり、自転車で崖から滑り降りたり。

一族の大人たちも、紅泉の無茶を叱りはするけれど、内心では、タフなお転婆ぶりに目を細めていた。次に何をやらかすか、密かに楽しみにしていたのに違いない。

優等生は、つまらない。自分で自分を抑えてしまって、本当の望みが言えないのだもの。

人にどう思われようが、自分のしたいようにする……その覚悟ができたら、人生はうんと楽になるのかもしれない。そうしたら、人の欲とぶつかって、トラブル続きになるのかもしれないけれど。

今度の件、唯一の救いといえば、紅泉は、ミオに同情しか感じていない、ということだろう。ミオもいずれ、それに気がつくはずだ。あきらめて、離れてくれればいい。わたしは片思いで構わない。ただ、紅泉の側にいられれば。

ミカエルの時だけは、もう駄目かと絶望しかけたけれど……彼は、自分から身を引いてくれた。そのことには、感謝する。紅泉はまだ時折、黙ってミカエルのことを考えているけれど。

四、五人は入れる岩の浴槽で、わたしは一人、星を見上げた。余計な明かりがないので、本当に降るような星。白い雲のような銀河が、斜めに空を横切っている。

いつも、あの星空の中を、紅泉と二人で飛び回っているのだ。こうなると、次の仕事が待ち遠しい。まさか、仕事にまでミオを連れて行くとは言わないでしょう。もし、そう言い出しても、良識論で反対できるし。

木々の梢を涼しい風が渡り、顔をひんやり撫でた。躰が熱くなっているから、気持ちいい。

紅泉はもう、山の源泉に着いたかしら。ミオとお湯の中で、いちゃついているかしら。あの子、本当に綺麗だものね……紅泉だって、じっくり鑑賞したくなるかもしれないわ。

その時、闇に沈んだ植え込みの向こうに、人の気配があった。木々のざわめきや、湯が流れる音に紛れているけれど、落ち葉や小枝を踏む、わずかな足音がわかる。あの二人の青年は、女の裸には興味がないはずだけれど。

不審に感じた時、ヒュッと空気を裂いて、小さな何かが飛んできた。キャンプ用のライターか、小型バッテリーのようなもの。

それがぽちゃりと、湯気の立つ水面に落ちた途端、強い電気ショックが走った。

衝撃で、全身の毛が逆立つ。手足が突っ張り、心臓の鼓動が狂う。

放電はすぐに終わったけれど、わたしが普通人だったら、たぶん即死していただろう。いったん跳ね上がったわたしは、大きな波紋を立てて水中に落ち、熱い湯の中に仰向けに浮いた。薄目を開けたまま。

「やった!」

植え込みの陰から現れたのは、タケル。では、パーシスも共犯ね。

まだ少年といっていい若者は、靴のまま濡れた岩の床に上がり、わたしの上体を、乱暴に浴槽から引き上げた。お尻が縁の岩にこすれて、痛い。膝から下だけ、お湯の中に残る。

気絶したふりをしているので、岩にこすられた痛みは黙って我慢するしかない。気味の悪いしびれは残っているけれど、心臓は無事だった。もう数秒待てば、何とか動ける。

この坊やたちが、わたしたちを〝リリス〟と見抜いたのだろうか。それとも、どこかの組織にそそのかされたのだろうか。どちらにしても、グリフィンが関わっているだろう。

タケルはまた草むらに降り、闇の中から、手頃な石を抱え上げた様子。あれで、わたしの頭を潰すつもりだ。いつか、わたしが瀕死の男にとどめを刺したように。

それを因果応報とあきらめる気は、少しもない。タケルが重い石を持ち上げて戻ってきた時、わたしは跳ね起き、彼の背中に蹴りを入れた。タケルが石を落としてよろめいたところで、首筋に手刀を打ち込み、昏倒させる。たとえ死んでも、わたしのせいではない。

腕の端末で、ナギを呼ぼうとした。ところが、さっきの電撃で壊れている。脱衣所に入り、そこの通話画面で呼んだ。レンタルのキャンピングカーで、近くの路上に待たせてある。

「襲撃されたわ、通報して!! 犯人の一人はタケル・バーンズ。たぶん、パーシス・ウェインも共犯よ」

「了解しました。そちらの端末が機能停止した時点で、応援要請はしています。私もそちらへ急行中です」

感情のない、おっとりした返答だけれど、安堵した。既に首都の司法局本部からも、地元警察からも救援が出発しているのだ。このあたりの道路は全面封鎖、市民は全て足止めされる。どれだけ仲間がいようと、グリフィンの援護があろうと、管理の行き届いた植民惑星からは、そう簡単には逃げられない。

「また、つい一分ほど前に、ミス・サンドラからの非常発信を受信しました。既に司法局にも伝わっています」

紅泉も襲われたのね。ああ、そのはずだわ。パーシスの姿が見えないもの。

「サンドラ!!」

紅泉の端末に通話しても、応答がない。どんな山中でも、電波は衛星経由で届くのに。まして、この別荘地なら、地上の電波塔だけで届くはず。

「ミオ!!」

ミオの端末もだめ。これはもう、一刻の猶予もない。わたしはタケルの呼吸を確かめることもせず、濡れた躰にブラウス一枚を羽織った。

「武器を持って追ってきて!!」

とナギに命じ、サンダルだけ履いて、暗い山道に飛び出す。紅泉一人なら、むしろ安心なのだ。でも、今夜はミオがいる。あの子が足手まといになっていたら、許さないから。

ミオ編7 17章 紅泉

「片道一キロ近くあるのよ。明日にすればいいのに」

ミオは呆れたように言うが、それでもあたしが行きたいと言うと、露天風呂への案内役を引き受けてくれた。

あたしはとにかく、躰を動かしたい。ドライブや散歩程度では、あたしのエネルギーは消化しきれない。本当は、ミオをかついで走っていってもいいくらいだ。

二人それぞれにペンライトを持ち、別荘の裏手の山道を登っていった。強化された視力を持つあたしは、星明かりだけで平気だが、そうと認めることはできないし、ミオには明かりが必要である。

建物が見えない場所まで来ると、頭上に木々がかぶさる小道は、ほとんど闇だった。木々が風に揺さぶられ、ざわざわいっている。

「わたし一人だったら、怖くて絶対来られないわ」

とミオは言うが、あたしにはその、夜道が怖いという感覚がよくわからない。ジェットコースターにしろ、お化け屋敷にしろ、本物の戦闘のスリルとは比較にならないではないか。

「熊とか虎とか、出るわけじゃないでしょ」

出たところで、あたしが石ころを拾って投げれば、銃で撃ったのと同じ結果になる。野生動物をやたら殺してはいけないので、逃げられる限りは逃げるが。

「それは、いないと思うけど……猪はいるわよ。いつか見たもの。それに、もっと奥に入れば、狼もいるんですって」

人間が入植する星では、地球型の生態系を再現してあるから、大型の肉食動物も一定数は生息する。草食動物だけでは、自然界のバランスがとれない。

それにまた、人類自身も増えすぎないように自制している。個人が意図して子供を減らそうとしているわけではないが(子供好きな男女は、何人でも生んでいる)、子供を持たない独身者も多く、自然に増減のバランスが取れているのだ。

かつて、地球上で人口爆発を起こした反省が、無意識の領域に染みついているのかもしれない。この銀河もまた、有限だからである。他の銀河に溢れ出してもいいが、そこには他の文明が存在しているかもしれない。

「大丈夫、猪が出たら捕まえて、明日は焼き肉パーティにするから。お腹に野菜ともち米を詰めて、丸焼きにすると美味しいんだよ。あとは、猪鍋だね」

「もう、サンドラったら」

ミオは冗談と思ったらしいが、あたしは半分、本気である。猪は繁殖力が強いから、一頭くらい食べても構うまい。

「夜の山なんて、探険みたいで面白いじゃない」

「サンドラが楽しいなら、それでいいけど……」

ミオは何か、沈んでいるようだった。あたしとしては、精一杯、笑わせたり、楽しませたりしてきたつもりなのだが。

「どうしたの、何か心配?」

立ち止まって尋ねたら、ミオはライトを足元に向けたまま、顔を曇らせている。

「あの、わたし……」

何かもじもじ、言いにくそうだ。

「何なの、言ってみれば? 別にあたしは怒らないから」

ミオはためらった挙句、口を開いた。

「わたし、ヴァイオレットさんに嫌われていると思うの」

あたしはやや、虚を突かれる。そこが問題なのか。

それはまあ、ミオを歓迎していないのは確かだ。でも、それは、あたしたちが正規の市民ではないという事情があるから。もしもミオがあたしたちの正体を知り、家族や友達に何か洩らしたら、と探春は心配しているのだ。

「あのね、別に、嫌ってるわけじゃないよ。ただ、長いこと二人で暮らしてきたものだから、他人が交じるのに慣れていなくてね」

しまった。ミオの顔が更に暗くなる。ああいうことをした後で他人と言われては、確かにショックかも。

「ごめん、今のは失言」

あたしはミオを抱き寄せ、あごの下に手を当てて仰向かせ、さくらんぼのような唇に軽いキスをした。探春が見たら怒るだろうけれど、〝半端な同情〟だからまずいのだ。どうせ同情するなら、〝徹底して、本格的に〟すればいいわけでしょ。

半年でも一年でも、ちやほやしてやればいいのだ。そうすれば、ミオは若くて健康なのだから、段々と回復して、本来の生活に戻れるはず。

「もう他人じゃないよね。大丈夫、わかってる」

すると、ミオはぎゅっと抱きついてきた。長い髪から、ほんのり甘い香りがする。

「ごめんなさい。迷惑かけて」

迷惑といえば迷惑なのかもしれないが、さすがにそうは言えない。ミオに落ち度はないのだ。

「ミオはそんな心配しなくていい。こうして、あたしがついてるでしょ。好きなだけ、あたしに甘えていいんだよ」

あたしが男なら、このままミオを恋人にしてもいいだろう。けれど、女であるあたしは、ミオに恋愛感情を持つことはない。これは、迷子を保護するようなもの。

「それじゃ、あの、今夜も一緒に寝てくれる?」

ミオがおずおず言うので、あたしは微笑んだ。

「もちろん、抱っこして寝てあげるよ。でも、今夜は声を抑えてね。外に洩れたら、みんなびっくりする」

すると、ミオは狙い通り、

「いや、そんなこと言わないで」

と身をよじる。男の気持ちがわかるなあ。恥じらう女の子というのは、つい苛めたくなるものだ。

「いや、昨夜の乱れ方はすごかった。自分で覚えてる? 何度も、殺されるみたいな声をあげたよ。ミオは感じやすいんだね」

すると、泣きそうな声で言う。

「だって、だって、あれはサンドラが……」

「じゃ、今夜はしなくていいの?」

「知らない、いじわる」

うーん、我ながら、恥ずかしいことをやっている。潔癖な探春が見たら、それこそあたしを軽蔑するかも。

『あなたとは長年の付き合いだけど、そこまで悪乗りする人とは知らなかったわ』

なんて。まあ、これはミオのリハビリだから。日にちぐすり、と言うではないか。こうやってふざけているうちに、時間が過ぎればいいのである。

ミオ編7 18章 パーシス

何をやってるんだろうな、まったく。

暗い山中に先回りして、ぼくたちは準備を整えていたが、ミオとサンドラは山道の途中で立ち止まり、何やらいちゃついているようだ。登山用の暗視ゴーグルで見ていると、キスしたり、抱き合ったりして、一向に道の先へ進まない。

まさか、罠の位置まで行かないうちに引き返す、ということにはならないだろうな。既にタケルがヴァイオレットを仕留めているのだから、サンドラはここで倒さなくては。

それにしても、〝リリス〟の主力と言いながら、呑気なものだ。グリフィンからの資料では、純然たる男好きということだったが、女もいけるらしい。

柔軟性があるというのは、しぶとい証拠だ。

ぼくは昼間、サンドラとヴァイオレットの両方に、血圧降下剤入りのウィンナコーヒーを飲ませていた。祖父母のための常備薬である。あの量なら、ただちに脳貧血状態になって、ふらつくはず。

だが、二人とも何ともなかったのだ。薬を飲まされたことにすら、気づいていない。

やはり、違法強化体。それが市民社会で探偵を名乗っているなら、〝リリス〟に間違いない。

グリフィンの代理と名乗った男にも、そう保証された。幸運な出会いだ。懸賞金制度の元締め、グリフィンという後ろ盾を得れば、怖いものはない。

辺境のどこかで基地を築き、適切な不老処置を選び、バイオロイドの美女や美少年をかしずかせ、『永遠』を楽しむことができるのだ。老いて死ぬ運命など、ぼくには相応しくない。自分で自分を改造し、進化させていけば、何億年の命でも望めるのだから。

ミオ編7 19章 ミオ

サンドラが一緒だと、暗い山道でも躰がほかほかする。

ヴァイオレットさんのことは、あまり気に病まないことにしよう。サンドラは、わたしが救いを求める限り、応えてくれるのだもの。それがいつまで続くかなんて、今から心配していたら、身が保たないし。

心配なことは、何でも率直に聞けばいいのよ。サンドラなら、できることはできる、できないことはできないと、はっきり答えてくれるわ。

動きやすいミニスカートとレギンスという格好で、再び夜道を歩きながら、わたしは気掛かりだったことを尋ねてみた。

「あの、聞いてもいいかしら……あなたが次のお仕事に行ったら、わたしはどうすればいいの。一緒についていけるのかしら」

うーん、それは、とサンドラも悩むらしい。

「仕事によるなあ。辺境に出ることもあるし、違法組織とドンパチもあるし」

わたしは驚いた。サンドラは、本当に精鋭の捜査官なのだ。軍の艦隊でさえ、滅多に中央星域からは出ないというのに。

「それじゃ、違法都市に行ったりもするの」

「えー、まあ、逃げた犯人を追う時とか、誘拐された市民を助ける時とかね」

ますますびっくり。

「そんなことしてるの、〝リリス〟だけかと思ったわ。普通の捜査官も、辺境に行くなんて」

サンドラは肩をすくめた。

「そりゃ、〝リリス〟だけに、全ての事件を任せるわけにもいかないでしょ。本来は、軍人や司法局員のすることなんだから」

「それはそうよね。でも、それなら、〝リリス〟だけを英雄扱いすることないのに。サンドラだって、ヴァイオレットさんだって英雄だわ。他の司法局員も」

するとサンドラは照れるのか、頭をぽりぽり掻いてよそを向く。

「まあ、司法局としては、わかりやすい看板スターがいてくれた方がいいんだ……違法組織の恨みも、そっちへ向くわけだし」

「あ、そうね。普通の司法局員が恨まれるより、その方がいいわよね。〝リリス〟はきっと、家族なんかもいなくて、身軽なんでしょうから」

サンドラは、よそを向いたまま咳払いした。

「とにかく、あたしが仕事で出掛ける時は、ミオは家族と一緒にいてくれた方がいいな。その方が、あたしも安心だし」

この星で待てというの。これまで通りの生活をして。それは、待てと言われる限り待つけれど、やっぱり寂しい。

「お仕事中は、通話もなるべくしない方がいいんでしょ? 休暇になったら、会いに来てくれるの?」

つい、声が震えてしまう。

「それはそう、もちろん会いに来るよ……まとまった休暇が取れたらね」

サンドラは軽く言うけれど、その話ばかりは信用できない、と思った。だってサンドラは、まだ仕事が終わらなくて、とか、まとまった休みが取れなくて、とか、わたしに言い訳することができる。

側にいるヴァイオレットさんが、そう言わせるのではないだろうか。

いったん遠く離れてしまったら、わたしに会いにきてくれる頻度は、みるまに低下するに違いない。

恋愛はやはり、近くにいる者の勝利だ。ここはやはり、少しくらい無理でも強引でも、自己主張しなくては。

「あの、わたし、あなたについていきたいの。たとえ辺境に出るような任務でも、船の片隅に乗せてもらえませんか。でないと、あなたといられる時間なんて、ほとんどないはずだもの。七夕みたいに、一年に一度だけなんていや」

サンドラの腕にすがり、下から見上げて頼んだ。

「わたし、邪魔にならないよう努力するわ。今から捜査官になるなんて無理だけど、あなたの助手が務まるくらいには勉強します。銃だって撃てるようになるわ。取れというなら、パイロットライセンスだって取るし」

サンドラは、返事に困るらしかった。明らかに、わたしには無理、と思っている。それに、資格のない者を捜査活動に同行することは、望ましいことではないだろう。その結果、捜査に支障が出たら、サンドラの責任問題になってしまう。

「ミオ、それはね、今からそんなに思いつめなくていいことだよ」

やはりサンドラは、なだめる態度で言う。

「ミオには元々、農場を作る夢があるでしょ。それは、とてもいいことだと思うな。あたしが時々、そこへ訪ねていくという形が、一番いいのかもしれないし……」

それが良識なのは、わかる。わかるけれど、待てない。

「時々って、何年に一度? 休暇ごとに、絶対来てくれる保証がある?」

「いや、それは……」

サンドラを困らせてはいけない。それはよくわかっているけれど、食い下がらないと、わたしは置き去りにされてしまう。サンドラにとって、わたしはまだ、同情の対象にすぎないのだもの。

「ま、ま、歩きながら話そう」

サンドラはわたしの手を引き、また山道を歩きだす。

「止まってばかりいると、夜が明けちゃうからね」

わたしが仕方なく歩きだすと、サンドラは手を放した。わたしより少し前を歩きながら、子供を諭すように言う。

「ねえミオ、次の仕事がどの星になるか、この休暇がいつまで続くか、あたしにもわからないんだ。だから、何も確かなことは言えない。ただ、次の仕事が終わった時にまだ生きていたら、ミオに連絡を取る。それだけは約束するから」

まだ、生きていたら?

「そんな言い方しないで。怖いわ。サンドラ、いつも、死ぬかもしれないと思って生きてるの?」

「そりゃ、そうだよ。そういう仕事だもの」

だめ。

いや。

一人で危険な所へ行かないで。

ああ、違うわ。ヴァイオレットさんが一緒なんだ。だとしたら、わたしなんか、ヴァイオレットさんの百万分の一も『大事な存在』になれない。

その時、足元に違和感があった。この道、少し窪んでいる。前来た時は、もっと平らだった気がするけれど。

いきなり、ドンと何かが吹き飛ぶような音がして、闇の中から液体が降りかかってきた。得体の知れないものが、頭にも肩にも、腰にも脚にも降り注ぐ。それがみるまに粘つき、足にからみついてきた。腕もこわばる。髪が固まる。地面に落ちたライトが、そのまま粘着質の池に埋められていく。

「何、これ!?」

「ミオ!!」

サンドラが振り向き、わたしに手を伸ばしてきた。その瞬間、視界が赤くなる。わたしたちは、燃え上がる炎に包まれていた。

   ミオ編8に続く

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